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2016年10月1日(土)   ≪六文銭と真田家≫

信州を拠点としていた真田家や海野家の旗印である≪六文銭≫は、日本の冥銭 である。冥銭 とは、古くから人が死んで三途の河を渡るときに必要な渡河料金として六文(六文銭、六道銭)が必要だという言い習わしからそう呼ばれた。真田幸村(下の絵)の家紋≪六文銭≫が意味する武士の心得は、「武士たる者、いつ命を落としても悔いが残らない戦いを」という気概から来ているようだ。嘗て死者を葬る際に貨幣を直接お棺に入れていたようだが、文(もん)という貨幣単位がなくなった事や火葬における副葬品制限で炉内に金属を入れることが禁じられるようになったため、近年では六文銭を模して印刷した紙が使用される事が有るようだ。250px-sanada_yukimura

ところで、勇猛な戦国武将として名をはせた真田幸村の真田家はその後どうなったのだろうか?大河ドラマでお解かりの通り関ケ原で徳川方に味方した兄の信之は信州上田と沼田を治める大名になった。しかし、弟、幸村が二度にわたる上田合戦に続き関ヶ原の戦いで武名を轟かせ徳川家を慌てさせた代償は、信之の治政に重くのしかかることになったようだ。妻小松姫(徳川随一の猛将・本多忠勝の娘)の没後、上田から松代への転封を命ぜられしぶしぶ従わざるを得なかった。93歳まで生きた信之は、3代幸道がわずか2歳で家督を相続した際にも、血判状まで作って幕府に忠誠を誓っている。61ga1gugbzl__sx368_bo1204203200_

その後、元禄13(1700)年落雷で本堂が焼失したあと、善光寺外護職である真田家は幕府からその再建を命ぜられ7年の歳月をかけて本堂を再建している。それ以来7年に一度、松代から御開帳に合わせて回向柱を寄進・奉納していて本行事は真田家伝統の公式行事として知られている。 戦国最強の武将と名高い真田幸村の血脈を受け継ぐ真田家14代当主の真田幸俊(ゆきとし)氏は、真田幸村の本当の姿を後世に伝えるべく活動されていると聞く。殆ど処分された筈の石田三成の書状が「真田宝物館」に残っているというから是非一度観てみたいものだ。(武将の末裔を調べてみると結構面白いですよ!)