220px-Louvre_Venus_de_Milo_DSC00900.jpgルーブル美術館の至宝≪ミロのビーナス≫、深く聡明な表情と女性らしくふくよかな輪郭を持つ裸体の美しさは他に類を見ない。 私も1964年に日本で公開された際にまじかで見て、その美しさに魅了された一人である。しかし、美し過ぎるが故にビーナス像の誕生には、数奇な運命があったようだ。その発見は、1820年のギリシアのキュクラデス諸島の南西メロス島に遡る。或る農夫が掘り出した2個の石に興味を抱いた若いフランス人オリヴィエ・ヴーティエが、さらに農夫に探して貰った合計6個の断片をパズルのように組み合わせ、やがて上半身裸体の美しい女性像を再び世に送り出したのだ。

その後、このビーナス像は、その所有権をめぐって、 さまざまな逸話を残しながら人々の手から手へ受け継がれ、最後にルーブルへ。昨日の新聞に、たまたまビーナス像の失われた両腕に付いての記述が載っていた。右手でずり落ちそうな衣裳を押さえ、左手で林檎を手にしているという説が有力らしい。その林檎とはトロイア戦争の際、アテーナーとヘーラーを出し抜いてパリスから得た"黄金の林檎"のことで、アドルフ・フルトヴェングラーによる復元像がこれだ。 220PX-~2.JPG 最近見た3DCGのアニメーション≪Without Arms≫をご紹介しよう。人気の無い真夜中のルーブル美術館、目覚めたミロのビーナスは自分の両腕が無い事に気づく。周りの像はみんな両手が有って、壺や植物を持っているのに自分は壺さえ抱きかかえる事すらできない。何とか動けるようになったビーナスは、腕を探し求めて美術館内を彷徨い歩く。しかし、思うように歩きまわれない彼女は、階段から後ろ向きに落ちて頭がもげてしまい、階下に展示されていた【サムトラケのニケ】(2008年8月5日のブログ参照)の肩の上に落ち、ニケの頭となってしまう。

サムトラケのニケ】は、今までなかった頭を得て元気づき、大きく羽ばたきながらルーブル美術館のガラスの天井を突き破り天高く舞い上がって行くのであった。

最近詰まらないことで悩むケースが多くなった。その一つに≪マフラーの巻き方≫が有る。我々の若い頃は、首から自然に垂らし2本纏めて上着の中に押し込むか、ネクタイと同じように1回結んで前後に垂らす位しかしなかった。ところがどうだろう?最近の若者は、色んな巻き方をして街中を闊歩している。歯ブラシの持ち方も昔と違うようだから、≪マフラーの巻き方≫が変わっても不思議ではない。恐らく男女合せて十数種類の巻き方が有ると思われるが、世のオジサンたちが気取って真似しても笑われるのがオチな巻き方が殆どのようだ。

page-base.JPG                    <こんな巻き方はとても出来ないよ!(*^_^*)>

最近寒いので、アンゴラの長いマフラーを2本デパートで買い足した。その際、恐る恐る年配の女店員さんに巻き方のレクチャーをお願いしたら、マフラーの中間で二つに畳んで房が付いたマフラーの先端を二つに畳んでできた空間に押し込む方法を教わった。このやり方はポピュラーのようで知らない訳ではなかったが、私がやっていた方法は、長手方向に二つに折って狭くし更に同じ方法で先端を突っ込んでいたので、恰好悪く暖かくもなかった。何事も恥を忍んで聞いてみるものだと改めて悟った。

以前、ネクタイの結び方に付いて書いたような記憶があるが、ネクタイの結び方は5~6種類しかないので、≪マフラーの巻き方≫の方が圧倒的に種類が多い。今、店員さんから教わった巻き方を研究中だが、スーツにコートを羽織った時のベストウエイを誰かお教え願えないだろうか?

 

今朝起きてみて家の周りの雪化粧に、慌てて飛び出しスコップを持って家の玄関の階段の雪かきをした。我が家は、下に駐車場が有って階段で1段(約5m)昇って玄関に入るようになっている。朝食も早々に切り上げ、ワイフと車で会社に向かったのだが、2008年の以来の大雪とあって雪は既に止んでいるものの、路面が凍結していて道路はじゅづつなぎで一向に前に進まない。困ったことに、今日は新幹線で静岡に出張する予定だが、このままでは時間に間に合いそうにない。会社に出て行く積りが、仕方なく急遽途中の駅で降りて電車を乗り継いで東京駅へ・・・・。(写真は運転しながら撮ったもの)

120124_065530.JPG発車時刻は9時3分、待ち合わせ時刻の8時45分には15分余しての余裕の到着だった。しかし、ワイフのアドバイス通りの駅で電車に乗り込んで正解だったのだ。野田から通っている我が社のサービスマンT君は何と会社に到着したのが、家を出て6時間後の11時30分過ぎだったらしい。静岡には予定通り10時過ぎに到着したが、晴天で雪の東京が嘘のようである。東京にとんぼ帰りし、浜松町で或る広域レンタルさんを訪問し、会社に戻った。

今日は、会議の日だがくだんのT君が家庭の事情で退社するため送別会の予定だ。T君はわが社が野田に出店した約3年半前に入社し、閉鎖した後も船橋本社まで通ってくれたのだ。 37歳独身で、ご両親が高齢だし諸般の処理があって、それに専念するという。昨日、雨降りで私を自宅まで送ってくれたが、車中で彼はこう言ってくれた。『大変居心地がいい会社でした。又、出来たら戻って来たいです!』、半分お世辞だろうがその言葉を聞いて、いっぺんに疲れが吹っ飛んだのである。

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     <稲村ヶ崎の【ボート遭難慰霊碑】は抱き合ったまま発見された兄弟をモチーフにしている>

1.真白き富士の嶺、緑の江の島

仰ぎ見るも、今は涙

歸らぬ十二の雄々しきみたまに

捧げまつる、胸と心

2.ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら

風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に

力も尽き果て、呼ぶ名は父母

恨みは深し、七里ヶ浜辺

世の中には、楽しい歌、嬉しくて喜びを表す歌、寂しい歌、悲しい歌が有るが、この歌程もの悲しいメロディーと心を打つ歌詞を持つ歌も少ないだろう。これは、102年前の1910年(明治43年)1月23日に逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し全員死亡した悲しい事件を唄った≪「真白き富士の嶺(根)」≫という題名の歌謡曲だ。アメリカ人ジェレマイア・インガルスが作曲した賛美歌に、同校の系列校である鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師だった 三角錫子(みすみ・すずこ、1872年-~921年)が作詞し、鎮魂の歌として12人に捧げたのである。

1910(明治43)年1月23日午後3時頃、一人の青年がシャツ一枚で二本のオールに縋って鎌倉七里ヶ浜沖を漂流中、偶然通りかかった小坪の漁船に救助された。後で判ったのだが、その青年は水泳が得意だった木下三郎(5年生 19歳)だった。漁船は七里ヶ浜には接岸出来ないため小坪漁港まで戻り、木下の冷え切った身体を焚火で暖め、大量に飲んだ水を吐かせ後、人工呼吸を施したが、木下は二度ほど薄目を開け、海の方向を指さしたただけで間もなく息を引き取った。その後、多くの漁船や連合艦隊第二艇隊の「鴎」「鴻」などの捜索の甲斐あって4日以内に全ての遺体が引き揚げられたそうだ。12人の名前は次の通りだ。

 5年生...牧野久雄(21歳)、笹尾虎治(20歳)、徳田勝治(19歳)、
         小堀宗作(19 歳)、木下三郎(19歳)、宮手登(16歳)
  4年生...谷多操(19歳)、松尾寛之(17歳)
  2年生...徳田逸三(15歳)、内山金之助(14歳)、奥田義三郎(14歳)
  逗子小学校高等科2年生...徳田武三(10歳)

この事故で、徳田正蔵氏は勝次逸三、義三郎(奥田)、武三の4人の息子を一度に亡くしてしまったのである。遺体が発見された時の記事を紹介しよう。

兄は死後も骨肉の情の護りも堅く、両手強直、全指を交互に強く交えて握りしめ、自己の双腕に全霊力を集めて弟を抱き居り、人々が之を離さんとするも既に強直せる指はなかなかに離れず。転た見る人をして感涙に咽ばしめ、後に其の状態を伝え聞きし者も覚えず眼頭に熱きもの溢れて止め得ざる次第でありました』・・・徳田勝治が弟武三をしっかり抱いて離さなかったのである。

正蔵は4人の墓に"ー今更に何を語らん言もなし諸行無常の法の深きはー"という歌を刻んだいる。「死者を死せりと思ふなかれ、生者あらん限り死者は生きん」という言葉が有るが、『東日本大震災』の行方不明者は未だ3,400余人、是非このような鎮魂歌が生まれて欲しいと私は思う。尚、≪「真白き富士の嶺(根)」≫は6番まであり、その歌詞は思わず涙を誘う。是非ユーチューブで聞いてみられるといい。

2012年大相撲初場所で把瑠都 凱斗(ばるとかいと)が優勝を飾った。2006年の夏(5月)に入幕して初めての幕の内最高優勝である。「エストニアの怪人」と呼ばれ、身長199cm体重186kgの巨体を生かしての力相撲が初めて花開いたのだ。もともと腰高のまま力任せに攻めて行くタイプで相撲が荒く、取りこぼしも多く怪我も多かったので、今迄賜杯を抱けないでいたのである。従って腰が低く下から攻めて来る白鵬朝青竜を苦手にしてきた。特に朝青竜には遂に勝てなかったのである。(0-9)

スウェーデン系エストニア人の彼は、母国で柔道と相撲を体験してが、女で一つで兄弟3人を育ててくれたお母さんを幸せにしたくて日本にやってきた。エストニア語の他に日本語、ロシア語、英語の他にスペイン語やフランス語を話すバイリンガルで日本でもファンが多いと言われている。今現在、大相撲は白鵬の1人横綱が続いており、今回の優勝で把瑠都が2人目の横綱として名乗りを上げるのもそう遠くない事だろう。但し、今回若し全勝優勝をしたとしても彼は、白星の中に唯一"汚点"を残してしまった。

220px-Baruto_08_Sep.jpgそれは、12日目の稀勢の里戦だ。把瑠都は過去稀勢の里に16勝3敗と大きく勝ち越しているにも拘わらず、立ち合い横に跳んではたき込んで勝ったのである。"真っ向勝負"の力相撲の期待した観客からは『帰れ』コールが巻き起こったと言う。"横に跳んではたく"という相撲は、本来小さくて相手より力が劣る力士がとる戦法である。確かに今売り出し中の新大関稀勢の里は、ここ数場所メキメキ力を付けて来ており、把瑠都との力の差も縮まってきているのも確かだ。しかし、今場所あの一番が完全に水を指してしまった。風呂をあがった把瑠都はその反響の大きさに驚き慌てて謝ったそうだが、後の祭りだ。相撲の粗さと精神を叩き直さなければ、横綱への道はまだまだ遠い様に思える。