天皇、皇后両陛下が16日午前、エリザベス女王即位60周年祝賀行事出席のため、羽田空港から政府専用機で英国に向け出発された。陛下は、皇太子時代の1953年、半年間かけて欧米十数カ国を回った。陛下にとっては初めての外国訪問で、主な目的は同年6月に英国で行われた女王の戴冠式に、昭和天皇の名代として参列することだった。戴冠式に参列し、59年後の今回も招待されているのは、当時のボードワン国王の名代だったベルギーのアルベール国王と陛下だけだという。陛下は「アルベール陛下は18歳、私は19歳という、参列者の中でも最も若いうちの二人でした」と懐かしそうに振り返っている。
現在のエリザベス2世はグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)を含むイギリス連邦王国16カ国の女王である。従って、カナダやオーストラリア、ニュージーランド或いはジャマイカなどの女王でもあるのだ。エリザベス女王は1975年(昭和50年)に1度だけ我が国を訪れている。私が鮮明にそれを憶えているのは、赤坂迎賓館で行われた天皇陛下主催の晩さん会の答礼パーティが私が勤めていた丸の内の新東京ビルの皇居側に位置する東京会館で催されたからだ。今も東京会館の壁に其の時の様子を写した写真が飾ってある筈だ。
私も約四半世紀前にイギリス・ロンドンを訪れて女王陛下が住むバッキンガム宮殿の衛兵交代式を観た事がある。この交代式は、かつて「イギリスで最もつまらないアトラクション」と呼ばれた事もあったが、ロンドンの名物であり重要な観光イベントである。4月から7月までは毎日1回、他の月では2日に1回ずつ午前11時または11時30分(日曜日は10時)に行われる。赤い上着に黒いズボンを穿いた近衛歩兵隊はグレナディアガーズ 、コールドストリームガーズ 、スコッツガーズ 、アイリッシュガーズ 、ウェルシュガーズの5つの連隊がある。特に王の誕生日に挙行される最も派手な交代式を、トルーピング(Trooping)・ザ・カラー と言うそうだ。
私が行った時は、宮殿の屋上に、イギリス国旗が掲げられ女王の不在(王室旗が掲げられている時は女王または王が在宅)を示していた。そして私はそこで大変珍しい衛兵交代式を見たのだが、長くなるのでこの続きは明日にしよう!
2012年5月17日(木) ≪慎太郎の「太陽の季節」≫
石原慎太郎知事がぶち上げた『尖閣諸島』買取のための寄付金が、昨日現在7億円に達したとのテレビ報道を見た。最近にない痛快事だけに、信奉者が続々増えて恐らく買取価格15億円は優に超えるだろう。慎太郎の名前を一躍有名にしたのは、今から56年前の今日5月17日に封切られた映画「太陽の季節」だ。南田洋子と長門裕之が主演し弟裕次郎のデビュー作となったこの映画は、慎太郎の短編小説を映画化したものだ。しかし封切りと同時にその内容が問題となり、制作者の内部機関だった「映画倫理規程管理委員会」が外部の第三者も参加する映画倫理委員会(映倫)と改められるきっかけとなったと言われている。
裕福な家庭に育った若者の無軌道な生活を通して、無気力な新世代を描いたストーリーは、倫理性に欠けるため、発表されるや文壇のみならず一般社会にも賞賛と非難という両極端の評価を得たのである。神戸市で産声を上げた慎太郎は、山下汽船に勤務していた父の転勤で、8年間過ごした北海道の小樽から13歳の時に神奈川県逗子市に移り住んだ。実は慎太郎は、高校時代今で言う"落ちこぼれの不登校生"だったのは有名な話だ。慎太郎はは学制改革により新制「湘南高校」(元湘南中学)へ進学したが、当時教師が訳も分からず民主主義を振りかざし、東大に進み「国の役人」になることを強要し始めたという。
或る時、校長が生徒を集めて得意気に「これが我が校の出世頭だ」と当時の大蔵省理財局長を紹介したため、石原はその現実を目の当たりにして、「なんてくだらない学校なのだろう!」と反発し、それをきっかけに学校離れも進んでいったという。そしてついに1年間もの長期の間、休学をすることになる。当時の事を、慎太郎は「ただもう学校にいくのがなんとしても嫌でならなかった」と書き記している。休学中慎太郎が好んでやったのが、詩作やシュールレアリズム的な絵を描くことだった。又、芝居やオペラを観、真昼間から映画鑑賞に耽り、フランス文学が好きという理由からあてもなくフランス語の勉強をしたそうだ。
その後父親の死と共に、グレた弟と若くして後家さんになった母親を養うために公認会計士を志望して一橋大学に進学したのである。小説を書き始めたのは大学時代で、そこから芥川賞を受賞する「太陽の季節」に繋がって行くのだ。因みにこの小説のストーリーは、放蕩者の弟の友人を描いた実話だという。
2012年5月16日(水) ≪リース業協会便り?≫
5月の中旬からリース業協会の関連行事が目白押しだ。昨日は、「全国建設機械器具リース業協会」の「東京支部千葉協議会」の総会、今日が東京支部即ち「東京建設機械リース業協会」の総会、22日と23日が「神奈川建設機械リース業協会」及び「東京支部埼玉協議会」のレンタル基本約款の説明会、25日が「全国建設機械器具リース業協会」の正副会長会議、29日が「全国建設機械器具リース業協会」が総会とめまぐるしいスケジュールをこなしている。その間、給与計算や支払い、試算表のチェックなどの日常業務を遂行し、それぞれの会で何を喋ろうか考える毎日だ。
従って、寝るまも惜しい位で中々このブログまで手が回らないのが実情だ。当然ブログをアップしたとしても、内容が乏しい(元々乏しいが!)ものとなりがちで、読者離れが心配である。小説家とは言わないまでも、ブログを毎日書くと言うのは意外と大変で、書き出すと早いが書き出す前が長いのだ。毎日、新聞、テレビ、ラジオ、インターネット上の情報、仲間内の話、他アンテナを高くしていないと難しい。今日もそろそろ出かける時間が近づいてきたのでシャットダウンしたいと思いますが、この席で是非読者の方々にテーマの提供をお願いしたいと存じます。
引き続き皆様方のご協力のもとに、「勇敢にチャレンジをしながら夢を掴み取りたい」(BRAVE TRY CATCH THE DREARM)のであります!
日本初の本格的な鉄道検定「第1回鉄道テーマ検定」が13日、東京、大阪、名古屋の3会場であった。高校生が4人1組で合計点を競う「鉄研甲子園」も同時に行われた。今回のテーマ「新幹線」に挑んだのは女性を含む6〜81歳の計約2500人。鉄道ファンは、乗車が好きな「乗り鉄」と撮影を楽しむ「撮り鉄」に分かれが、昭和40年代は確か、親しみや卑称・蔑称の意味を込めて「鉄ちゃん」と呼ばれていたと思う。「鉄ちゃん」に対し女性の場合は、、「鉄道」の後ろの一文字である「道」をとって「みっちゃん」と呼ばれていたと記憶する。
私は、「鉄ちゃん」ではないが、4歳の孫同様小さい頃は多くの鉄道玩具や絵本を持っていたので、「鉄ちゃん」になる可能性はゼロではなかった。今回の検定は、テーマごとに1~3級があり、1級を受けるには2級に合格しているのが条件だそうだ。4択ながら100問の出題問題中には相当難しい内容が多く、「鉄ちゃん」ではない私としては、歯が立ちそうにない。ここでネット調べた2級、3級の問題を掲載するのでチャレンジしては如何か?(答えは末尾に)
①現在「のぞみ」は、定期列車だけでも1日あたり160本以上。行楽シーズンなどには、臨時列車も加え、1時間に片道最大9本も運行されています。では、1992年3月14日に初めて300系「のぞみ」が登場したときの、1日の運転本数は?(2級レベル)
答え→ a.4本 b.24本 c.64本 d.124本
②営業最高速度270kmの300系「のぞみ」の登場で東京~新大阪の所要時間は2時間30分になりました。では、東海道新幹線開業当初の所要時間は?(3級レベル)
答え→ a.4時間 b.3時間10分 c.2時間56分 d.2時間49分
③東海道、山陽新幹線としては、唯一100系のみにあった設備は?(3級レベル)
答え→ a.食堂車 b.2階建車両 c.寝台車 d.社内公衆電話
・あさまのトイレの位置は奇数車、偶数車、東京寄り・長野寄り?
・上田駅がライトアップされると浮き上がるものは何?
・リニア鉄道館に展示されている新幹線車両は何両?
・新幹線の車体に描かれたことのあるキャラクターは、ハローキティー・ミッキーマウス・せんとクンそれとも鉄腕アトム?
<①aの4本・ ②aの4時間・ ③bの2階建車両・・・その後の4問の答えは、現在調査中!(~_~;)>
2012年5月11日(金) ≪『漂着物は誰のもの?』≫
『名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ』に詩情を感じ、瓶に入って流されてきた手紙(a message in a bottle)
に心躍らせるのは、海と共に生きてきた人間に共通する心情のような気がする。益して、それが年月をかけて遠い異国の地より、或る目的のため波頭を乗り越えてやって来たものなら尚のことである。最近、、太平洋の向こう岸に津波の漂着物届き始めた。アラスカに流れ着いたサッカーボールやカナダの海岸で見つかった宮城ナンバーのハーレーダビットソンは、不幸にして流れ着いたものだが、人は同じようにボールで遊び同じように乗り物に乗るのだから、被災した当事者・当事国でなくても、人の心は動かされるのかもしれない。
一般的に「漂着物」とは、主に海辺に漂着した自然界のものや人工物を問わず、さまざまな物を指す。その内容は多彩を極め、ときに観察や蒐集の対象となることもある。それが証拠に、英語圏では、海岸に打ち上げられるものを探して回ることを「beachcombing」、そうする人のことを「beachcomber」と言うそうだ。文字通り浜辺(beach)に櫛をかける(comb)ようにして、漂着したものを探すという訳だ。そういった観点からすると、漂着物は発見した人に所有権が有りそうだが、今回はサッカーボールもバイクも持ち主に返還されるようだ。
一方、同様に流れ着いた「漁運丸」という漁船を、近くの海域にいたカナダの漁船が引き揚げ協力を申し出ていたのに拘わらず、米沿岸警備隊が船舶の航行の邪魔になるとして撃沈したそうだ。(一説には、カナダ船が曳航を断念するのを待って初めて、沿岸警備隊は砲撃したようだが?)。カナダの「グローブ・アンド・メイル」紙は、「In the wreckage of the tsunami, tokens of our shared humanity(津波の瓦礫に、人が共有する人間性の印)」という見出しで、記者は自分たちの国の西岸に少しずつ近づきつつあるたくさんの瓦礫は「倫理上の問題も連れてくる」と書いている。「瓦礫のどれだけがゴミで、どれだけが、敬意をもって扱うべき文化的な遺産なのだろうか」とも。
この新聞は、震災直後の被災現場で、警察や消防やレスキュー作業員たちが誰に言われるまでもなく、破壊の中に散らばったたくさんの写真を拾い集めたことにも言及している。2014年には、150万トンと予測される瓦礫が漂着するピークを迎えるとされているが、今後どのような問題やドラマが生まれるか?不謹慎かもしれないが、大いに興味が有るところである。



