9
5月

2016年5月9日(月)  ≪三菱自動車工業≫

三菱自動車工業は先月、同社製軽自動車4車種で燃費を実際よりもよく見せるためにデータを改ざんしていたと発表した。どうやらOEMで供給している日産からの指摘で国土交通省に届け出たらしい。三菱自動車は過去にも2度ほどリコール隠しが発覚して世間の厳しい批判を受けている。その時は、三菱グループの中核をなす三菱重工業三菱商事、三菱東京UFJ銀行3社が財務的な支援を行うことで、危機を乗り越えたが、その際に発行した優先株の処理もやっと終わった矢先の不祥事である。三菱自動車は1945年に三菱重工業から独立した自動車メーカーで、元々重工の時代に培った航空機の生産技術を活かし、戦後日産やトヨタから委託を受け1950年代中盤までボディの請負生産をしていた関係で技術を蓄積して自社による生産を開始したものである。

実は私が本格的に運転した車が、三菱コルトだった。三菱系の商社に就職し建設機械の販売業務に携わっていたため最初に与えられた営業車が、コルトでその後、ギャランランサーに替わっていったと記憶している。恥ずかしながら、免許取りたての大学生時代に長兄の家から1000CCの車を無断で川越街道に乗り出し、走り過ぎたので不安になりUターンして帰ろうとした際、後続の車に突っ込まれオシャカにしたのも三菱だった。身体は無傷だったが、学生であるため資力がなく、親父が全額弁償してくれた。ある時期、三菱自動車はギャランミラージュディアマンテシグマ、高級車のデボネアの他、スポーツタイプのパジェロデリカ等の人気車種を抱えており、ホンダマツダ富士重工などより先を走っていた時期があった。(写真は、1969年12月から1973年6月まで生産されたコルトギャランのバン/写真をクリックしてください)1971_Mitsubishi_Colt_Galant_Estate_V_16L_GL

それもその筈で、三菱の関連企業や社用車や社員・家族が愛車として使用していた時代が有ったので、それだけでも膨大な数に上ったのだ。三菱グループの結束の強さは、他の旧財閥系のグループの比ではなく、その中心となるのが関連企業29社が名を連ねる「金曜会」だ。「金曜会」には、“三菱”という名前を冠称していない東京海上火災旭硝子キリンホールディンスニコン日本郵船なども含まれていて毎月第二金曜日の昼に会合を開いている。私としては愛着が些か残っている三菱が何故このような不祥事を繰り返したのかと甚だ残念至極である。恐らく、リコール隠しやデータの改ざんなどに手を染めた本社の上の面々は、結束が固いゆえに三菱グループに迷惑をかけたくないと心理が働いたのかもしれない。

しかし結果としてそれが世間を騒がせる大事件に発展したのだから、その責任は重い。汗を流して生産に携わっていた工場のスタッフの方々や、下請けの部品メーカー、販売店に対する影響は如何ばかりかと想像するだけで胸が痛む。思うに、ゴールデンウイークどころではなかった筈だ。今回も三菱グループが支援するか否か、見ものだが、日産が手を引くようであれば、国内生産は今後難しいのではないだろうか?残る道は、海外特に北米やヨーロッパ、或いは中国やタイなどの工場で生産し、海外を中心に販路を確保するしかないと私は、考えるが皆さんはどう思われるだろうか?