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2015年7月17日(金) ≪懐かしの「かき氷」≫

800px-Kakigori_hyokiどうやら台風一過で来週から猛暑がやって来そうな雰囲気である。こんな時、涼を求めるには「かき氷」を食べるのが一番だ。「かき氷 」の歴史は意外と古く平安時代の清少納言が書いた『枕草子』の中の「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の段に「けつりひ」(削り氷)という名前で登場する。当時は、金属製の器に天然氷を小刀で削るもので当然誰もが口にできるものではなかったようだ。しかし、意外と一般的に知られていたらしく、藤原定家の『明月記』にも登場している。近代では、1869年に(明治2年)に横浜の馬車道で町田某が初めてかき氷店を開店したという記録が有る。店の名前は知らないが、何でもアイスクリームもこの店が発祥らしい。(何故か、かき氷の旗は必ずバックに波が・・・)

昭和の初めまでは、不衛生で粗悪な氷を使って製造されケースが多かったため、内務省の取り締まりが厳しくなり営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられたという。何やら、現代のスーパーで売っている野菜や果物に似て面白い。私は小さいころは胃腸が弱くて、小学校に上がる迄は「かき氷」を食べさせてもらえなかった。恐らく就学児童の「かき氷」の記憶や思い出は、夏休みとラップするのではないだろうか。ところで私の「かき氷」の思い出は、小学校一年生の夏に親父の転勤で九州筑豊の炭鉱町に移り住んだ時初めて食べた甘酸っぱい味のイチゴの「かき氷」だ。aug07

硝子の器にうず高く盛られた氷に惜しげもなくイチゴのシロップかけられ、その上に富士さんの雪よろしくたっぷりと甘い練乳が降り注いでいたのである。それでいて代金は当時5円か10円だったと記憶している。それを甘酸っぱいと表現したのは理由がある。その店は女性が経営していたようだが、いつも側に色は黒いが目がやけに大きくてくりくりと愛くるしくて大人しい5歳前後の娘が居た。どうやら親父さんは、出稼ぎに出ているのか、又は元々居ないのか一度も見たことがなかった。無口な性格はその辺りから来ているのかも知れなかった。私はその炭鉱町に一年生から五年生までの約5年間在住し何度もその店を訪れたが、一度もその女の子とは言葉を交わさずじまいだった。

私にとって「かき氷」は、分厚い硝子の器に盛られた赤いイチゴの氷山しか有り得ないのである。