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2014年11月17日(月)   ≪世界文化遺産2題≫

先週の15日土曜日から日曜日にかけ1泊どまりで、「はとバス」旅行を楽しんだ。年に一度の私の兄弟旅行で、今年の幹事は今は亡き次兄の連れ合いであるK姉さんの手配で『富士山』と『富岡製糸場』の二つの世界文化遺産と八ヶ岳の温泉ホテル宿泊をを組み込んだ贅沢?なツアーである。メンバーは男二人、女四人で、新宿の西口に朝八時前に集合しバスに乗り込んだ。先ずは中央高速で河口湖から富士スバルライン経由で富士山の五合目に向かったが、天気は晴朗で正に富士登山日和である。ご承知の通り富士山は、昨年の六月に関連する文化財群とともに「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目だそうだ。IMG_0006

残念ながら、富士山の頂上までの登山経験は無いものの五合目まで車で来たのは3度目である。富士山が中国人観光客に絶大な人気を誇ると聞いてはいたが、5合目に居る周りの人の5割以上が中国人だったのには驚かされた。平場に降りて昼食を摂り、河口湖畔の紅葉(下の写真が紅葉回廊)を楽しんだ後、八ヶ岳に向かった。八ヶ岳は、山梨県と長野県に跨がる山塊の総称で八ヶ岳という山はない。通常八ヶ岳連峰と呼ぶことが多いが、御嶽山同様火山群のひとつである。八ヶ岳ロイヤルホテルには、4時過ぎに到着したが夕食の6時までにはたっぷり時間が有る為、温泉露天風呂にじっくり浸かり日頃の疲れを洗い落とした。この歳になると、スケジュールに追われるよりこのくらいゆったりとした旅が有り難いし好みだ。

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ホテルの逗留客も中国人が多く、バスタブ内にタオルを浸ける輩が多く大声で歩き回ったりで、マナーの悪さが目立つ。翌16日の楽しみは、今年6月21日にドーハで開催された第38回世界遺産委員会で正式に登録された『富岡製糸場』 訪問だ。(写真下は昼食のおぎのや釜飯)同所は、1872年(明治5年)に官営として操業を開始し、1972年(昭和47年)の日中国交正常化で中国産の廉価な生糸が輸入されるようになり生産量は減少し続けたため、1987年(昭和62年)の2月に操業を停止するが、それまで115年間の歴史を育んだという。115年の間、「富岡製糸所」(1876年~)、「原富岡製糸所」(1902年~)、「株式会社富岡製糸所」(1938年~)、「片倉富岡製糸所」(1939年~)、「片倉工業株式会社富岡工場」(1946年~)とたびたび名称を変更している。史跡、重要文化財としての名称は「旧富岡製糸場」、世界遺産としての名称は単なる「富岡製糸場」である。(ウキぺディア参照)FullSizeRender

広大な敷地内の養蚕製糸工場は、和洋折衷の天井が高い大きなもので、製糸機械もフランスから輸入された当初の物が現存している。閉業した後も片倉工業は、「貸さない、売らない、壊さない」の方針を堅持し、固定資産税を含む年間1億円のコストを払い続けながら維持と管理に専念したと聞く。今の時代、用無しになれば直ぐ解体されることが多いが、こうした片倉の取り組みがあったればこそ、富岡製糸場が世界遺産に登録されるほどの良好な保存状態で保たれてきた訳であり、その功績は高く評価されている。但し、今年の2月15日午前に降った大雪で大正時代に建てられた乾燥場の建物4棟が、雪の重みで崩れ落ちたのは甚だ残念だ。なるべく早い復旧が望まれる。