23
11月

2017年11月23日(木)  ≪大相撲はモンゴル勢に乗っ取られた!モンゴル人横綱のあるまじき行為≫

220px-Futabayama_Sadaji(不世出の大横綱 双葉山)

大相撲九州場所は3横砂が休場し、興ざめで話題は全て場所外の「日馬富士の貴ノ岩」暴行事件に持って行かれた。更に、11日目の一昨日、目を疑うようなトンデモナイ出来事が土俵上で起きてしまった。嘉風に寄り切られ土俵下に転がり落ちた横綱白鵬が、お辞儀のために上がるべき土俵上に腰に手をやり一向に戻らないのだ。勝負審判に促されて戻ったものの、土俵上でも「待った」の筈と右手を挙げて立会いの不成立を主張したのだ。「礼に始まり礼に終わる」日本古来の相撲道だが、礼もせずに弓取り式が始まって漸く不満げな顔をしたまま土俵を降りたのだ。

私は、夜家に帰って初めてVTRを見た。、白鳳は、立会い左の張り手が当たりそこない嘉風有利の体制になってすぐ力を抜いて「待った」をしたのか、それとも嘉風もふわっと立ったので「待った」と勘違いしたのかどちらかだろう。しかし、これはどちらも有り得ない話なのだ。白鳳は少し遅れたが張り手を出して戦う態勢に入っていたし、嘉風は相撲を止めず一気に白鳳を土俵の外に持って行ったのだ。従って二人とも臨戦体制に有ったと認められるし、それ以前に相撲を立会い後に止められるのは行事か土俵下の相撲審判しかいないのだ。

私は白鳳が遅れて立つことはよく有ることで、今回もあの名横綱双葉山が終生のテーマとした「後の先」を見習ったものだ。立ち合いで相手より遅れて立って相手を倒す事で、いよいよ白鳳も双葉山に近づいて来たな、と思い始めたところにこの事件が起きてガッカリだ。力士同様、行事も審判員の決定には逆らえず、差し違えをしたら腹を切る覚悟で脇差をさしているのだ。但し、過去に行事でもただ一人自分の軍配を差し違えと判断した審判員に土俵を叩いて猛抗議した行事が居た。引退直前の1958年のこれも九月場所初日、前頭7枚目北の洋横綱栃錦戦で、北の洋が両差しで土俵際まで寄り詰めたところ栃錦が突き落として同時に倒れた。19_Shikimori_Inosuke_1959_Scan10002

第19代伊之助は栃錦に軍配を上げたが、物言いがつき、審判役の判定で北の洋の勝ちと決した。だが、伊之助は、土俵をたたいて「北の洋の右肘が早く落ちたんだ」と10数分も抗議を続けたため、出場停止処分を受けたのだった。未だ九州にいた私はテレビの中継で観ていて、鮮明に記憶に残っている。伊之助は病気がちで、協会公認の白い髭を蓄えていた。この事件以降、「ひげの伊之助」と呼ばれ人気を博したが2年後引退した。それ以来の審判部に縦を突く珍事、否不祥事である。今回一人のモンゴル人横綱が暴力事件を起こし。もう一人のモンゴル人横綱が相撲のルールを破った。暴力事件は、九州場所後も後を引きそうな気配である。相撲協会も見くびられたものだ。「日本モンゴル相撲協会」と名前を変えたらどうだろうか?

双葉山の有名な言葉に、「われ未だ木鶏たりえず」という言葉が有る。白鳳も未だ木鶏なのだ。(意味を知りたい方は、私に電話するか、ネットでお調べください)