Category: 日頃思うこと
昨日暇が出来たので、急に思い立ってワイフとホームコースの「やさと国際ゴルフ倶楽部」に行って来た。朝スルーで午後1時には帰宅し、「日本プロゴルフ選手権」の宮本選手の優勝も見る事ができた。スコアーは、89回で私にしてはマズマズだったが、最終ロングホールのスコアー10は何とも頂けない。フロントナインが6オーバーの42、後半も3パー・4ボギー・1ダブルボギーで494ヤードの易しい最終ホールに差し掛かり、ドライバーで打ったボールが左のラフに!
残り約240ガードを本来であれば、3番ユーティリティー(ウッドとアイアンの中間クラブ)で打って、残りの30~40ヤードを寄せてパーでおさめる処、石川遼君の"直ドラ"(フェアウエイでドライバーを使うショット)の印象が頭に残っていたため、スプーンを持ってバーディを狙って行った。結果は大きくフックしてOBゾーンへ、打ち直しがチョロで100ヤードしか飛ばず、残りアゲインストの140ヤードを8番アイアンで打ったが、左バンカーに捕まってしまった。更に目玉のバンカーから打ったボールがトップして池にはまり、ようやく乗せて8オンツーパットの10となった次第である。
「終わりよければ全てよし」(シェークスピアの戯曲の題名:ALL'S Well The Ends Well)と言うが、終わりが最悪だった。この言葉に似た中国の格言に「画竜点睛」(がりょうてんせい)が有る。竜の絵を描いた時に、最後に目を入れる事の例えとして、「物事を完成させるために最後に加える大事な仕事或いは仕上げ」の事を言う。「画竜点睛」で思いだす事がある。今から30年以上前に市川市に辺見さんと言う土建屋さんが居た。とっくに潰れてしまたが、怒りっぽいが大変優しい人だった。その彼がある年の暮れに、ワザワザ電話をくれて「お前に餅代を用意しているから来い!」と仰る。
丁重にお断りしたのだが、言い出したら聞かない人で結局有り難く頂く事にしたのだが、開けてみてビックリなんと当時としては破格の5万円が入っていた。時効だから明かすが(ワイフには内緒にしてた?)、お陰で心豊かな?正月を迎える事が出来た記憶がある。何故「画竜点睛」か、と言うと辺見さんの背中には"竜の彫り物"が有ったのだ。彼は若い頃、「丸金」の屋号で有名な、高橋組(明治時代に結成された東京浅草に本拠を置く暴力団。指定暴力団・住吉会の2次団体)に所属し、国際劇場辺りを根城にしていたそうだ。
当時彼の幼いお子さんたちが、「パパのワッペン」と呼んでいた"竜の彫り物"には、"目"が入っていなかった。刺青も彫り続けると高熱が出るそうで、"目"は暫く経ってから彫り込むのだそうだ。彼は目を入れる前に奥さんと知り合い、「足を洗った」という。そんな遠い昔を思い出しながら私は、「日本プロゴルフ選手権」を見終わった後、"目"を入れるべく中村コーチに教えを乞うためゴルフ練習場に向かった。
![]()
5月27日(木) ≪私のブログと読者たち≫
私は「ブログ(blog)」を略(ほぼ)毎日書いている。略とはこの場合、土日及び祝祭日を除くと言う意味である。一昨年の7月1日のホームページ開設以来約2年近く続いているのだから、何事も「三日坊主」と言われる事が多い私としては、画期的?な事である。ブログとは「ウエブログ」の略で、ウエブサイトや携帯電話で公開する記録や日記の事を指す。私のブログは、所謂ブログと「エッセイ(essay)」(随筆:文学に於ける一形式で散文によって纏めたもの)の中間辺りに位置するのではないかと思っている。
テーマは、カテゴリにある通り様々だが、やはり身の回りの事や家族の事、仕事に関する事、映画やスポーツなどの趣味の話題、テレビや新聞の話題、季節の話題や健康に関する事など幅広く?書いている積りである。たまに息子たちや友人たちから、「政治ネタは詰まらない」とか「実名を出しては不味いよ」と叱咤される事が多いが、「良く続くね!」とおほめ?の言葉を頂くことも有る。元々ホームページのヒット数を上げるために始めたのだが、いつの間にか私のライフワークになってしまった。
つい最近友人から「オレの周りでも10人位は君のブログを見てるよ!」と言われてビックリした。彼の話題を書いた事があるので、彼の事を検索したら私のブログに行き着いたらしい。私は常々、私の駄文を読んでいるのは私の家族や親戚と社員の1部、お取引先や業界の1部の方たちが、読んでくれてる程度と思っていたが、まさか友人のその先まで見てくれているとは思いもしなかった。この分では、頻度は別として100人以上?の方々に読んで貰っているかもしれない。テーマは、前の日に何かの出来事やエポックが無い限り、夜中か当日の朝突然浮かぶ事が多い。
何時も悩むのは、テーマは勿論の事(小説家の気持ちが判る?)、事実に反する事や名誉を棄損することを書いていないか、挿入する写真をどうするか、言葉遣いはこの表現でいいだろうか、或いは読者側の観点にどこまで配慮すべきか(おもねる?)、等々である。その点は、余り独善的でも反感を買うだろうし、時として私と読者の中間地点に立って記述する事が望ましい気がする。昨日は、「全国建設機械器具リース業協会」の総会が催され出席したし、私が企画した「SAKURA入札会with東京建設機械リース業協会」のオークション最終日だったが、何故かその事ではなくブログの話題になってしまった。(--〆)
<「SAKURA入札会with東京建設機械リース業協会」の様子/25日17時半撮影>1875年の今日5月20日、度量衡の国際的な統一を目的として、メートル法に関する条約である「メートル条約」が17ヶ国の代表により仏・パリで締結された。当時は、14ヶ条の条約本文と附録規定から成るものだったが、1921年に一部改正されて現在は51ヶ国が加盟しているそうだ。我が国に於いては江戸時代まで、尺貫法が用いられていた。1855年、郡上藩主青山幸哉の命で編纂された『西洋度量考』の中でメートル法について解説したのが最初だが、正式に条約に加盟したのはそれから30年後の1885年(明治18年)で、翌年の4月16日に勅令として公布された。
しかし、現在に至っても物の単位としてその浸透度合は様々で、敷地面積は「坪」で表す事が多いし、部屋の広さも「何畳」、家の大きさも「間口何間」と言う事が殆どだ。若い人たちはどうか判らないが、我々クラスは耕地面積も「反、畝」と言った方が直ぐにピンとくる。私の趣味の一つにゴルフがあるが、ゴルファーはゴルフを始めた途端、「ヤード」の世界に放り込まれるのだ。そして、練習場などで50、100、150、200といったヤード表示の看板目がけてボールを打ち、距離感を体感し視覚的にも把握していくのである。
ゴルフのヤード表示は、我が国ゴルフ発祥(1901年)の聖地である「六甲ゴルフ倶楽部」でヤード・ポンドの国の英国人、アーサー・グルームがプレーして以来変わっていないが、実は今から30年程前に国会審議のうえ、「メートル法」が制定された際に、ゴルフ場も距離表示をメートルに変えさせられた時期があった。当時私は既に一端(いっぱし)のゴルファーだったが、慣れずに苦労した事を憶えている。その後、永六輔さんが「鯨尺を使えないのは、おかしい!」と声を発すると、日本中に不満の声が沸き起こり、お上もそ声を無視できなくなり業種によっては旧来の表示を認める事になったのだ。
ゴルフ場も慣れ親しんだ「ヤード」に戻り、"目出度し・目出度し"だが、グリーン上だけは別だった。本来グリーン上はフィートが正しいのだが、距離的に短いと日本人はメートルの方が判りやすいので、ゴルフ解説者は「何メートルのパット」と言う言い方をする。これもよく考えてみると統一性が無く、可笑しな話だ。多くのへぼゴルファー曰く、「ゴルフにもし欠点が有るとしたら、それは楽し過ぎることだ」。ゴルフをやらない方、是非「ヤード」の世界にお越しください!(●^o^●)
4月14日(水) ≪常磐線車内の奇異?で危険な光景≫
外国人が日本の電車に乗って一番驚くのは、女子高校生や若い女の子が車内で手鏡を取り出して、人目をはばからずに化粧を始める事だそうだ。又、若い男女が携帯電話でメールやゲームに興じていることも、然りらしい。昨日、私は東京建設機械リース業界の理事会の帰り、8時過ぎに日暮里から常磐線に乗り込んだが、そこで"外国人もビックリ"の奇異な光景を目の当たりにした。車内は通勤帰りのサラリーマンで、ほぼ立錐の余地が無いほど込んでいた。
ところが、入口のドア付近に居た二十歳すぎと思しき若い二人の女性のうち一人が、相手とお喋りをしながらやおら小さい爪切り(角質)バサミを取り出し、肩より少し長めの髪の枝毛を切り始めたのである。彼女の格好というと皮のジャケットの下にラメ入りのパーカーを着て、ジーンズの短パンにアルファベットの大文字がデザインされた黄色のストッキングとスニーカーという今風の出で立ちだ。但し、座席の端と壁のコーナーで枝毛を切っているハサミの先端は、尖っていて揺れると危険極まりない状態である。
恐らく「先(尖)端恐怖症?」の私でなくても、ひんしゅくものである。彼女は、途中でチョコレートを取り出して食べながら、下車駅の松戸まで延々と枝毛を切り続けたのである。いつ頃から日本人は、このような人の迷惑を顧みる事が出来ない身勝手な行動をとるようになったのだろうか?特に、昨今若者が事なかれ主義に徹し、物事に対し執着心を持たなくなったと言われている。今、タイではタクシン派の連中が、街中を占拠していて大変な状況らしい。このような姿は褒められた事ではないが、信じた道に向かって邁進することは、決して悪い事ではなく寧ろ良い事である。
今の我が国では、どんな亡国政府が出現しても、若者中心のデモはおろか抗議集会も起りそうにないと思う。理事会の後の懇親会でも、最近の若者の無気力さを皆で嘆いただけに、昨日の出来事はかなりショックだった!
![]()
今日2月10日は、「キタノ記念日」だそうだ。芸人・映画監督・俳優・司会者・東京芸術大学大学映像研究科教授の元漫才師のビートたけし(北野武)を記念する日だそうだ。。「ツー(2)ビート(10)」の語呂合せで、CS放送の番組『チャンネル北野』が2002(平成14)年に制定した。彼は、私と同じ1947年1月に東京都足立区島根町で、ペンキ職人の父(北野菊次郎)と、母(さき)の四男(次男が夭逝し、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武(たけし)」と命名された。
彼は、教育熱心な母の薦めもあって明治大学工学部に進むが、大学生活に馴染めず2年生の時に出奔し新宿界隈で、ボーイやビル解体工や空港に荷役など職を転々とするうちに若松孝二、小水一男らと知り合ったという。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演し、やがて芸能に興味を覚えて曲折を経た後、ついに浅草フランス座でのコント漫才師「ツー・ビート」として名を売り出した。その後、「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にきちんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば恐くない」等の一連の「毒ガス標語」で、毒舌家としての地位を築いて行った。
彼自身「漫才では洋七に勝てない、しゃべりではさんまに勝てない、司会では紳助に勝てない。でも芸能人としてのトータルでは良い所には行くと思う」と、言ってる通り「つかみ」や「一部の評論」は上手いが、笑いでは決してNO.1ではないと思っているようだ。私が考えるに最も評価すべきは、映画の分野かもしれない?彼は、1983年大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」で俳優デビューを果たし、その後1989年に『その男、凶暴につき』という映画で深作監督に代わって映画監督としてデビューした。
その後ソナチネ(1993)・キッズリターン(1996)・HANABI(1998)・座頭市(2003)・アキレスと亀(2008)と数々の作品を世に送り出し海外からも高い評価を得ているようである。彼の作品のビジュアル面での最大の特徴は、「キタノブルー」と評される青の色使い、多くの作品で登場人物「死」が描かれ、青みの深い画面のもたらすひんやりした映像感覚とあいまって、全編に静謐な不気味さを醸し出している。突然残酷なシーンが映し出される場面が多く、私のように余り評価をしない人達も多いようである。
黒澤明監督亡きあと、未だ世界に通用する"ビッグ"な映画監督が出てきておらず黒澤も認めた「北野武」にそれを求めるべきなのであろうか?新作のやくざ映画「アウトレイジ」に期待してみるとするか!



