Category: 教育

昨日のブログを書くため岩崎家の家系図を見ていたら、≪澤田美喜さん≫の名前を見出した。今日は美喜さんと彼女が創った≪エリザベス・サンダース・ホーム≫の事を書いてみよう。美喜さんは、三菱財閥3代目久弥の子として1901年(明治34年)に東京都の文京区で生まれた。従って三菱の創設者岩崎弥太郎の孫に当たるが、「美喜」という名前は曾祖母・美和と祖母・喜勢から一字づつもらってつけた名前だそうで、名付け親は叔父にあたる三菱財閥2代目岩崎弥之助だという。

美喜さんは、祖母・喜勢から寝物語に祖父や父の話を聞いて育ち、それが後の人生の道しるべともなり小さい頃より妹たちに比べ男まさり、豪気で行動の人"女弥太郎"はまさに祖父の隔世遺伝?と言えるかもしれない。1922年(大正11年)にクリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教に改宗し、アルゼンチンを皮切りに中国・イギリス・フランス・アメリカを巡るが、その間孤児院ドクター・バーナードス・ホームの院長やジョゼフィン・ベーカーマリー・ローランサンに出会い大きく人生観を変えるのである。

第二次大戦後、日本に進駐した米兵と日本人女性との間に多くの混血児が生まれた。それも祝福されずにこの世に生を受けてしまった子ら!ある日満員列車で美喜さんの目の前に網棚から紙包みが落ちてきたのは、黒い肌の嬰児の遺体だった。美喜さんの頭に血がのぼり、心臓が激しく鳴った。そして、イギリスの孤児院ドクター・バーナードス・ホームの記憶が突然よみがえったのである。美喜さんは天命を覚えて身震いし、「日本にはいま大勢の祝福されない混血孤児がいる。そうだ、私はこの子らの母になる...」と叫んだという。

夫の理解も得た美喜は憑かれたように行動を開始した。GHQに日参し「大磯の旧岩崎家別荘に混血孤児たちのホームを作らせて欲しい」と訴えた。その結果、1947年(昭和22年)、美喜さんはついに別荘を400万円で買い戻し、ドクター・バーナードス・ホームのように学校も礼拝堂もある≪エリザベス・サンダース・ホーム≫をスタートさせたのである。その時美喜さんは、46歳だった。その後美喜さんは1953年(昭和28年)小学校と中学校を併設した「学校法人聖ステパノ学園を創立し、約2000人近くの混血児を育て上げ世に送り出したが、1980年(昭和55年)5月12日スペインのマヨルカ島において心臓発作のため78歳で急死した。

確か去年だったと思うが、テレビで≪エリザベス・サンダース・ホーム≫から巣立った人達が澤田美喜さんを偲ぶドキュメンタリー番組を放映してしていたのでご覧になった方も多いだろう。私は、彼女のような人にこそ『ノーベル平和賞』が相応しいと思うが、如何だろうか? man_22.jpeg                 〈エリザベス・サンダーホーム定礎式の澤田美喜さん〉

今年も≪大学入試センター試験≫が去る1月16日と17日の二日間に亘り実施された。昨年の507,621人を上回る511,000人以上が受験したと思われるが、俳優のラサール石井氏が受験した事が話題になった。売名行為ではなく、間寛平氏の「アースマラソン」に取り組む姿勢に触発されたらしい。特別に準備をして受験した訳ではないそうで結果は芳しくなかったようだが、54歳の彼は来年もチャレンジし、5年以内の合格を目指すという。

正式名称を大学入学者選抜大学入試センター試験と言うこの試験は、1979年(S54)から1989年(S64・H1)の間、国公立大学の入学志望者を対象として実施されていた「大学共通一次試験」(共通一)を、1990年(H2)から国立大学の共同利用機関である大学入試センターの実施する「大学入試センター試験」に変更し、私立大学も試験成績を利用できるようにするなど、試験自体を流動性のあるものに改められたのである。今年受験者数が増えたのは、景気の低迷を反映したもので、授業料が安くて近い国公立を選ぶ傾向が顕著になったのであろう。

文系が6教科7科目・理系が5教科7科目何れも900点満点だが、受験者数が増えた今年は双方の平均点が数十点づつ下がっているそうだ。外国にもこの類の試験は有るそうで、多少システムは違うようだが、 韓国大学修学能力試験・ アメリカ大学進学適性試験 ・フランスバカロレア・ ドイツアビトゥアなどがこれに相当するらしい。私は、附属高校から大学に進学したので2教科の学内選考試験の経験しかないので、受験しないまでも来年は試験問題にチャレンジしてみようかと思っている。

800px-ICplayer2007_%28National_Center_Test_for_University_Admissions%29.jpeg     〈2006年から英語の「リスニング」用に導入されたICプレイヤー/クリックすると写真が出てきます〉