Category: 映画
我が社の≪盆休み≫は12日から15日までで、ブログもその間休ませて貰った。我が家の祭司は、旧では行わないので、比較的のんびりと骨休みが出来た。とは言っても、最初の三日間は友人や家族とゴルフに興じた。ゴルフをやらない人は、「何も好き好んでこの炎天下に?」と思われるだろうが、暑いさ中汗を垂らしながら、クラブを思いっきり振り回す醍醐味はゴルフをやる人にしか判らない。流石に最終日の15日は、スタートを押さえて居たものの、少しバテ気味なのでキャンセルした。そこで困ったのが、≪お盆休み≫最終日の過ごし方である。
元々私は、家にじっとして居るのが嫌いな質で、此処数年ゆっくりと自宅で過ごした記憶がない。仕事をする気持ちも起きないし、考えた挙句一日中テレビで好きな映画を観賞することにした。先ずは朝5時に起きて、トム・クルーズ主演の『ミッションインポシブルⅢ』を観た。このシリーズは、一作目から観て居るので外せないと思ったが、撮影当時齢43歳(現在48歳)になった身長170cmそこそこのトーマス・クルーズ・メイポーザー4世(本名)、1作目の新鮮さが失せてきたかな?という印象である。彼のピークは、1986年の『トップガン』に始まって、賞を獲った『7月4日に生まれて』や『卒業白書』、『マグノリア』や2003年の『ラストサムライ』辺り迄か。今後の"チェンジ"に期待したい!
朝食を食べて、2時間ほどゴルフの練習を行った後の2作目は、ニコラス・ケイジのサイコスリラー『8mm』だ。彼の本名は、ニコラス・キム・コッポラといって父親がイタリア系で母親がドイツ系だ。この映画は、ニコラス扮する私立探偵のトムが、スナッフフィルム(娯楽用途に流通させる目的で行われた実際の殺人の様子を撮影した映像作品を指す俗語)の調査を或る富豪夫人から依頼されて、社会の闇に迫るというものだ。この作品は続編も出来ていて、1996年の『 リービング・ラスベガス』や『ロック』と並んで、彼の代表的な作品だと思う。ニコラスは、エリビス・プレスリーのコレクターとしても有名だが、2004年にエリビスの娘リサ・マリー・プレスリーをコレクトしようと思い結婚したが、3ヶ月別れている。因みに彼は、昔日本語学校に通っていて片言の日本語は話せるそうだ。
・・・・・・<今日は、話が長くなったのこの続きは明日にしま~す>・・・・・・・・・
1949年の今日、映画倫理規定管理委員会(映倫)が発足した。主に映画作品の内容を審査し、レイティング設定(番組規制基準)を行う日本にある自主規制組織である当初は業界内部のみで構成されていた機関だった。だが1956年に若者の享楽的な風俗を描いた映画『太陽の季節』(石原慎太郎原作)が公開された際、各地で未成年者の観覧が禁止される社会問題となり、批判をもとに、外部の有識者による第三者委員会を設置したことで現在の「映画倫理委員会」という組織に改組された。
≪映画のレイティングシステム≫とは、映画を鑑賞する際にその映画を見ることが出来る年齢制限の枠、及びその規定事である。欧米を始め、先進国を中心に多くの国で規定されており、日本では映画倫理規定(通称 映倫規定、えいりんきてい)が用いられる。しかし最近、2008年に出された最高裁の判決に依りわいせつ基準が緩和されるに伴い、映倫の基準も緩和された。そのため、一定の要件を満たせば、男性器や女性器であってもモザイクを施さなくてもよいとされる。警察も、最高裁判決に従わざるをえないため、同様の基準で取り締まりを行っているらしい。すでに、性器が無修正で描写されている多数の作品が実際に上映されているようだ。
その要件とは、
- 外国文化尊重の観点から、洋画に限る
- 海外で芸術的評価を受けている描写、又は医学的な描写、性教育目的の学術的正当な描写等
- 露骨な描写ではないこと(アップにしないなど)
- 静止画像ではないこと
- セックスシーンではないこと
- 未成年者に配慮し、R指定とすること
このように従来の判断要素は、性的シーンの有無が審査基準の殆どだった。しかし、1990年代以降、神戸連続児童殺傷事件などの猟奇的な犯罪の発生から、暴力や殺人など、反社会的なシーンの描写についての重要性が高まっている。また、将来、映像コンテンツ倫理連絡会議が設置されることが決まっているから、審査区分が変わる可能性がある。このように時代の流れと共に、世界の≪レイティングシステム≫は変わるのだが、今後注目すべきは中国と近代化を叫ぶ中東のイスラム諸国である。
2011年5月31日(火) ≪「黄色いカラス」≫
最近多くなった児童虐待のニュースに接するたびに、心が痛む。どうやら最近になって、親の幼児体験に基ずく事が原因だと解明されてきたらしい。要するに、いじめられて育った親は自分の子供に対しても、同じように虐待を繰り返すというのだ。若しそれが事実とすれば、不幸の連鎖である。私は、この様な報道に接するたびに昔みた或る映画を思い出す。1957年(昭和32年)に制作された五所平之助 ゴショヘイノスケ監督作品の「黄色いカラス」という松竹映画だ。あらすじは、こうだ。
【鎌倉彫りで細々と生計を立てて居た妻マチ子(淡島千景)と9歳の息子清(設楽幸嗣 シタラコウジ )のもと、夫吉田一郎(伊藤雄之助」が中国から引き揚げて来た。今迄お母さん子で育った甘えん坊の清は、なかなか馴染めず「尾お父さんと」と呼べない。清は、写生会で黒い大仏を描いたためそれを見た女教師靖子(久我美子)は 、清の異変に気づき心を痛める。 博古堂の女経営者松本雪子(田中絹代タナカキヌヨ)は隣家のよしみ以上に何かと好意を示していたが、雪子の養女春子と清は大の仲良し。一郎は以前の職場に戻るが、かつて後輩だった課長秋月(多々良純)の下で、戦前とまるで変った仕事内容を覚えようと必死。清は甘えたくも取りつくしまがない。
一年は過ぎ、吉田家には赤ん坊が生れ光子と名付けられたが、清は母親の愛情が移ったのに不満を感じ雪子になつくようになる。小動物小昆虫の飼育で僅かにウップンを晴らすが、一郎にそれ迄叱られる。それでも、迷い込んで来たカラスを春子と一緒に育てていたが、清はカラスを黄色く描いたため女教師は、思い悩んだ末清の家を訪ねる。誤って妹を傷つけた清を一郎は怒鳴ってしまうが、怒られた清は靖子先生に貰ったオルゴールを抱いて家出してしまう。
何かを求めるような清の疲れた足どり。マチ子、雪子らの捜索の末、清は松本家の物置小屋に居るのが判ったが雪子の家の子にしてと訴える清にマチ子は飜然と自らの誤ちを悟る。彼女は夫に戦争の傷痕から来た家庭の危機を涙と共に訴えた。雪子に送られて清が戻って来た時、一郎も始めて清を力強く抱きしめる。明ければ元旦。退職する靖子先生に送る、と清の描く画も今は明るい色調。凧上げに急ぐ一郎と清の足どりも、軽くはずんでいた。初空に清のトンビ凧も高く上って行った。】
この時代の一般家庭は今よりはるかに貧しかった。いじめや虐待も無かったとは言わない。しかし、今はその時代よりも、やり方が遥かに陰湿になっているのは何故だろうか?
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今日5月23日は、『キスの日』だ。その 由来 は、なんと日本初の キスシーン が登場した映画『はたちの青春』が公開された日に因んでいる。65年前の1946年に早撮りの名人と言われた佐々木康(やすし)監督が撮影したこの作品が封切られたが、主演の大坂志郎と幾野道子の二人は、このキスシーン の為に前々からマスクやガーゼで唇を完全ガードし、決死の覚悟でキスシーンに臨んだというエピソードが、伝えられている。公開当時、そのシーン見たさに映画館の前に行列が出来たという。
外国映画ではそれより50年も前の1896年のアメリカ映画で監督ウィリアム・ヘイズ、出演メイ・アーウィン、ジョン・C・ライスの『接吻』が初めてで、キスシーンが始まると、ざわめきが起こり、観客の中には口笛を吹く者も居たという。ハリウッド映画が、盛んに作られ始めた当時(1940年代)のプロダクション・コードには「キス・シーンは3秒まで」という規定が有り、それ以上の口づけを映画で見せることは禁じられていた。だがアルフレッド・ヒッチコック監督はそれを逆手に取り、1946年に公開された『汚名』のイングリット・バーグマンとケイリー・グラントがバルコニーで愛し合うシーンでは、二人に3秒以内の短いキスを何回も続けさせた。その結果、このキス・シーンは2分半にも及ぶ官能的なものとなったが、無事検閲をパスしたそうだ。
私は、基本的に外国映画しか見ないので、日本映画は判らないが、その他にもハリウッド映画で印象的なキスシーンを、憶えている限り列挙してみよう。一番はやはり、1953年に公開されたフレッド・ジンネマン監督の『地上(ここ)より永遠(とわ)に』だろう。バート・ランカスターとデボラ・カーとの有名な「波打ち際のキス」シーンは、今でも網膜に焼き付いている。2番目に挙げたいのが、古くて申し訳ないが、1957年ビリー・ワイルダー監督作品の『昼下がりの情事』だろう。音楽学校でチェロ学ぶオードリー・ヘップバーン演じる純情なパリ娘と大富豪のフラナガンことゲーリー・クーパーのぎこちなくとも清々しい?キスシーンだ。
最近の映画では、豪華客船の船首で交わす『タイタニック』のケイト・ウィンスレットとレイナルド・ディカプリオのキスシーンが印象的だったのは誰もが認めるところだ。だが、それ以上に心に残ったのが、2008年のウォン・カーワァイ監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で、寝ているヒロインのノラ・ジョーンの口についたケーキのクリームを拭うようにするジュード・ロウのキスシーンだ。この写真が、その逆さキスの名シーンである。その他にも、挙げれば枚挙に暇がないが、長くなるので次の機会にしよう。ところで最近、皆さんは情熱的なキスをしましたか? 私ですか?それは内緒です!(*^_^*)
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2011年3月25日 ≪リズの死≫
去る23日アメリカ・ロサンゼルスで、かってのハリウッドの大スターが身罷(みまか)った。その人の名は、エリザベス(愛称リズ)・テイラー、79年間の華やかな生涯を静かに閉じた。英国在住だったアメリカ人の両親(父は美術商・母は舞台俳優)のもとに生まれたリズは、戦禍を逃れる為7歳の時にアメリカに移住。1942年に端役で出演した映画をきっかけに、目の虹彩の色が非常にまれなバイオレットである事から注目され、シャーリー・テンプルの次代を担う子役スターとしてスタートした。私がリズに初めて会ったのはは、1940~50年代に「スイングの少女」、「若草物語」、「花嫁の父」、「陽のあたる場所」、「黒騎士」など立て続けに出演した後だった。
それは、1956年ジェームス・ディーンと共演した『ジャイアンツ』だ。雄大なテキサスを舞台に美しいリズ(当時23歳)と新進気鋭のジェームス(撮影直後24歳で交通事故死)と威風堂々としたロック・ハドソン(当時28歳)が絡み合うスクリーンに、子供ながらに釘づけになったものだ。それからは必ずリズの作品を見るようになったが、彼女が開花したのは、ポール・ニューマンとの共演した「熱いトタン屋根の猫」あたりからで、1960年に撮った「バターフィールド8」(ローレンス・ハーベイ、エディ・フィッシャーと共演)でアカデミー賞主演女優賞を獲った。その6年後の1966年、夫のリチャード・バートンと共演した『バージニア・ウルフなんかこわくない』でも2度目の主演賞を獲得したのである。
私の好きなもう一人の女優であるマリリン・モンローは彼女より6つ年上であるが、残念ながらアカデミー賞は受賞していない。過去リズのように2度以上受賞しているのは、キャサリン・ヘップバーン他彼女を含め、僅か12人である。彼女は、プロデューサーや歌手そして俳優や政治家、現場作業員などと8度の結婚と7回の離婚を経験し、私生活でも話題に事欠かなかった。特にリチャード・バートンとは2度結婚している。今週末は、今頃天国で前夫たちと語らっているだろうリズを偲んで,「クレヲパトラ」のDVDでも借りて鑑賞しようと思っている。
<若い頃のリズと晩年のリズ、右はリズが住んだロンドンの家に飾られる予定と同じJ・レノンのブルー・プラーク>



