Category: 小説

日本文学振興会は、15日第143回芥川賞赤染晶子氏の『乙女の密告』を、同じく直木賞中島京子氏の『小さいおうち』を選出した。ご存知の方も多いだろうが、芥川賞・直木賞とは正式には「芥川龍之介賞」「直木三十五(さんじゅうご)」と言い、二人と親しかった菊池寛が文学の振興を図ろうとして提唱し、1935年(S10)に始まったものである。戦時中は一旦j中止されたが、1949年(S24)に再開され、以来毎年2回の受賞が行われる我が国では最も権威のある文学賞である。

芥川賞は、新聞や雑誌に発表された純文学の短編作品中最も優秀なものが選ばれるため、主に無名若しくは新進作家が対象となる。過去に、石原慎太郎・大江健三郎・庄司薫・村上龍・池田満寿夫・高樹のぶ子・荻野アンナ・辻仁成などが受賞しており、比較的女性の受賞も多い。一方直木賞は、同人雑誌や既に単行本として発表された長編の大衆文芸作品の中で最も優れたものに贈られるため、多くは新進・中堅作家が対象になる。過去に、川口松太郎・海音寺潮五郎・井伏鱒二・山本周五郎・池波正太郎・山崎豊子・司馬遼太郎・城山三郎他そうそうたるメンバーが名を連ねている。

実は今回、シリン・ネザマフィという耳慣れない名前の女性作家が芥川賞の候補に挙がっていた。彼女はテヘラン出身の30才のイラン人女性で、2000年に来日し神戸の学校を卒業後パナソニックに入社、システムエンジニアリングをしながら小説を書いていたという。今回は「拍動」という作品でノミネートされたが、残念ながら落選した。彼女は、日本語で執筆しているらしく、只でさえ日本語は難しいのに漢字圏以外の国の人が日本語で小説を書くのは容易ではなかったろう。彼女は、テレビのバラエティー番組に表示される日本語字幕を活用し日本語と話し言葉独特の表現を勉強したという。

私の記憶が正しければ前回も候補に挙がっていた彼女だが、注目集めたのはご覧の通り大変な美人でもあるからだ。しかし、きっと近い将来彼女は芥川賞を実力で物にするだろう。私は、このブログを書き始めて改めて文章を書く難しさを痛感している。特に、「起・承・転・結」の結の部分に頭を悩ますのだ。今日の「」も、又々お粗末なものになってしまった! 2009_04_22_02-1.jpeg

                <シリン・ネザマフィさんは、テヘラン生まれの在日イラン人>

私は、先週の土曜日NHKラジオのアンコール放送で、秋山ちえこさんが『かわいそうなぞう』を朗読していたのを聞いて涙した。1951年に発表された土屋由岐雄作のこのノンフィクション童話は、絵本等の出版部数に於いて2005年迄に200万部を超えたらしく、ご存じの方も多い事であろう。あらすじは次の通りである。

『第二次世界大戦が激しくなり、東京・上野動物園では空襲で檻が破壊されて猛獣が街に逃げ出したら大変だということで、猛獣を殺すことを決定する。ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリーだけになる。

象に毒の入った餌を与えるが、象たちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないため殺すことができない。毒を注射しようにも針が折れて注射が出来ないため、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにする。象たちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。』

秋山さんは現在92歳、TBSラジオのパーソナリティとして1957年~2002年迄の45年間にわたり『秋山ちえ子の談話室』という番組を通じて、平和の大切さを語り続けてきた。そして、その証として彼女は毎年の8月15日の終戦記念日に、必ずこの『かわいそうなぞう』を朗読してきたそうだ。抑揚を抑えた朴訥な語り口には、涙を流す人も多いようで、戦争の悲惨さと憲法第九条の大切さを説くには充分な説得力だと感じた。

つい最近封切られた、リチャード・ギア主演の『HACHI(約束の犬)』という映画が好評を博しているようだ。所謂、忠犬ハチ公のアメリカ版だ。グローバル時代を迎え、先行きが不安な事だらけだけに、「癒し」を求めてこの手の映画が流行るのだろうが、人間同士は勿論のこと動物との共生こそ、人類の発展に繋がっていくものと考える。そういう意味で8月30日は、我々日本国民とって最も大切な日である。 かわいそうな.JPG                    <武部本一郎作の絵本『かわいそうなぞう』>

今から82年前の今日、友人である菊池寛等に宛てた遺書に「将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉を残し、天才芥川龍之介は田端の自室で雨の降りしきる中、服毒自殺をはかった。享年35歳という若さであった。生後7か月で実母が発狂したため、伯母フキに育てられるが母が亡くなった翌年の12歳の時、叔父(母の兄)の芥川道章の養子となり芥川性を名乗る事になったそうだ。旧家の士族である芥川家は、代々徳川家の『茶の湯』を担当した数寄屋坊主で、家中が芸術・演芸を愛好する文人の家系だったそうである。

彼は夏目漱石に師事したが、彼の作品の多くは短編で「芋粥」、「藪の中」(『羅生門』というタイトルで黒沢明が映画化)、「地獄変」、「歯車」など、『今昔物語』他の古典を題材にして書いているようだ。その他にも私が好きな「蜘蛛の糸」、「杜氏春」などの童話も多く手がけているが、文章構成の仕方は彼が英文科を出ているため英文学的と評される事が多い。彼が亡くなった今日7月24日を≪河童忌≫としたのは、彼の晩年の作品である『河童』に由来するもので、人間社会を風刺し強烈に批判した内容は、彼の自殺に関係しているのではないかと言われている。

又、晩年はしばしばドッペンバルガー(Doppelgänger)を見たのではないかと言われている。ドッペンバルガーとは、「生きてる人間の霊的生き写し」を意味し、自分自身の肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚する現象をこう呼ぶらしい。この現象はSFやファンタジー小説などにも登場する事が多いが、「その人間の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、実際そのような例が数例あったと言われている。

昔から「天才と何とかは紙一重・・・」といわれる事があるが、彼のような類?の人間が体験する現象かもしれない。それにしても「天才」とは全く関係のない私としては、生んでくれた両親に感謝するのみである!!!(●^o^●)

芥川.JPG                        <左から菊池寛と芥川龍之介>

"メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。"これは、太宰治が、昭和15年に雑誌『新潮』で始めて発表した短編小説≪走れメロス≫の書き出しである。暴君ディオニス王のもとに親友のセリヌンティウスを人質として残し、妹の結婚式のために3日間の猶予を貰い、それまでに必死に処刑されるため王の元に戻る感動の物語である。小学校の高学年の頃に教科書で習ったと記憶しているが、息もつかせぬ展開と揺れ動く微妙な人間の心理描写は、今読んでみても驚きで、目頭が熱くなる思いだ。

今日6月19日は彼を偲ぶ≪桜桃忌≫だ。そして今年は、太宰治が生まれて丁度100年目に当たる年である。又この日は、彼が1948年(S23年)愛人と玉川上水で入水自殺して、遺体が発見された日でもあるのだ。≪桜桃忌≫は、太宰と同郷の小説家である今官一が太宰の作品『桜桃』に因んで名付けたらしく、死後1年目の法事には壇一雄や井伏鱒二、佐藤春夫、野原一夫らそうそうたるメンバーが集まり遺族を囲んで桜桃を食べたという。

≪走れメロス≫の話に戻るが、この小説に登場するセリヌンティウスはどうも彼の親友である壇一雄を思い浮べて書いた節がある。何故ならば、熱海のある旅館に小説を書くために長逗留をして支払いが溜まって困った太宰が、壇を旅館に残し東京の井伏鱒二に借金を申し込みに行った事があったそうだ。これは、壇が後で語ったことから判ったもだが、ならば暴君ディオニス王は誰だったのだろうか?

蛇足であるが、太宰の3歳年下である壇一雄は女優壇ふみさんの親父さんで『火宅の人』などでも判るように、かなりの自由人だったらしい。家族と離れて暮らす事が多く、私も何回か行った事が有る福岡県の小さくて美しい島、「能古島(のこのしま)」で暫く過ごした話は有名である。実は私の姪の京子は、中学・高校で壇ふみさんと同級で親友である。1976年(S51年)の1月2日に彼は64歳になる寸前に亡くなったが、その知らせは姪の京子たちとの正月の祝いの膳に、壇ふみさんから京子にもたらされたので、よく覚えている! dazai.jpeg

                       (≪走れメロス≫を書いた太宰治)