Category: 小説
8月24日(月) ≪秋山ちえこの『かわいそうなぞう』≫
私は、先週の土曜日NHKラジオのアンコール放送で、秋山ちえこさんが『かわいそうなぞう』を朗読していたのを聞いて涙した。1951年に発表された土屋由岐雄作のこのノンフィクション童話は、絵本等の出版部数に於いて2005年迄に200万部を超えたらしく、ご存じの方も多い事であろう。あらすじは次の通りである。
『第二次世界大戦が激しくなり、東京・上野動物園では空襲で檻が破壊されて猛獣が街に逃げ出したら大変だということで、猛獣を殺すことを決定する。ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリーだけになる。
象に毒の入った餌を与えるが、象たちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないため殺すことができない。毒を注射しようにも針が折れて注射が出来ないため、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにする。象たちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。』
秋山さんは現在92歳、TBSラジオのパーソナリティとして1957年~2002年迄の45年間にわたり『秋山ちえ子の談話室』という番組を通じて、平和の大切さを語り続けてきた。そして、その証として彼女は毎年の8月15日の終戦記念日に、必ずこの『かわいそうなぞう』を朗読してきたそうだ。抑揚を抑えた朴訥な語り口には、涙を流す人も多いようで、戦争の悲惨さと憲法第九条の大切さを説くには充分な説得力だと感じた。
つい最近封切られた、リチャード・ギア主演の『HACHI(約束の犬)』という映画が好評を博しているようだ。所謂、忠犬ハチ公のアメリカ版だ。グローバル時代を迎え、先行きが不安な事だらけだけに、「癒し」を求めてこの手の映画が流行るのだろうが、人間同士は勿論のこと動物との共生こそ、人類の発展に繋がっていくものと考える。そういう意味で8月30日は、我々日本国民とって最も大切な日である。
<武部本一郎作の絵本『かわいそうなぞう』>
7月24日(金) ≪芥川龍之介・河童忌≫
今から82年前の今日、友人である菊池寛等に宛てた遺書に「将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉を残し、天才芥川龍之介は田端の自室で雨の降りしきる中、服毒自殺をはかった。享年35歳という若さであった。生後7か月で実母が発狂したため、伯母フキに育てられるが母が亡くなった翌年の12歳の時、叔父(母の兄)の芥川道章の養子となり芥川性を名乗る事になったそうだ。旧家の士族である芥川家は、代々徳川家の『茶の湯』を担当した数寄屋坊主で、家中が芸術・演芸を愛好する文人の家系だったそうである。
彼は夏目漱石に師事したが、彼の作品の多くは短編で「芋粥」、「藪の中」(『羅生門』というタイトルで黒沢明が映画化)、「地獄変」、「歯車」など、『今昔物語』他の古典を題材にして書いているようだ。その他にも私が好きな「蜘蛛の糸」、「杜氏春」などの童話も多く手がけているが、文章構成の仕方は彼が英文科を出ているため英文学的と評される事が多い。彼が亡くなった今日7月24日を≪河童忌≫としたのは、彼の晩年の作品である『河童』に由来するもので、人間社会を風刺し強烈に批判した内容は、彼の自殺に関係しているのではないかと言われている。
又、晩年はしばしばドッペンバルガー(Doppelgänger)を見たのではないかと言われている。ドッペンバルガーとは、「生きてる人間の霊的生き写し」を意味し、自分自身の肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚する現象をこう呼ぶらしい。この現象はSFやファンタジー小説などにも登場する事が多いが、「その人間の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、実際そのような例が数例あったと言われている。
昔から「天才と何とかは紙一重・・・」といわれる事があるが、彼のような類?の人間が体験する現象かもしれない。それにしても「天才」とは全く関係のない私としては、生んでくれた両親に感謝するのみである!!!(●^o^●)
6月19日(金) ≪桜桃忌と走れメロス≫
"メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。"これは、太宰治が、昭和15年に雑誌『新潮』で始めて発表した短編小説≪走れメロス≫の書き出しである。暴君ディオニス王のもとに親友のセリヌンティウスを人質として残し、妹の結婚式のために3日間の猶予を貰い、それまでに必死に処刑されるため王の元に戻る感動の物語である。小学校の高学年の頃に教科書で習ったと記憶しているが、息もつかせぬ展開と揺れ動く微妙な人間の心理描写は、今読んでみても驚きで、目頭が熱くなる思いだ。
今日6月19日は彼を偲ぶ≪桜桃忌≫だ。そして今年は、太宰治が生まれて丁度100年目に当たる年である。又この日は、彼が1948年(S23年)愛人と玉川上水で入水自殺して、遺体が発見された日でもあるのだ。≪桜桃忌≫は、太宰と同郷の小説家である今官一が太宰の作品『桜桃』に因んで名付けたらしく、死後1年目の法事には壇一雄や井伏鱒二、佐藤春夫、野原一夫らそうそうたるメンバーが集まり遺族を囲んで桜桃を食べたという。
≪走れメロス≫の話に戻るが、この小説に登場するセリヌンティウスはどうも彼の親友である壇一雄を思い浮べて書いた節がある。何故ならば、熱海のある旅館に小説を書くために長逗留をして支払いが溜まって困った太宰が、壇を旅館に残し東京の井伏鱒二に借金を申し込みに行った事があったそうだ。これは、壇が後で語ったことから判ったもだが、ならば暴君ディオニス王は誰だったのだろうか?
蛇足であるが、太宰の3歳年下である壇一雄は女優壇ふみさんの親父さんで『火宅の人』などでも判るように、かなりの自由人だったらしい。家族と離れて暮らす事が多く、私も何回か行った事が有る福岡県の小さくて美しい島、「能古島(のこのしま)」で暫く過ごした話は有名である。実は私の姪の京子は、中学・高校で壇ふみさんと同級で親友である。1976年(S51年)の1月2日に彼は64歳になる寸前に亡くなったが、その知らせは姪の京子たちとの正月の祝いの膳に、壇ふみさんから京子にもたらされたので、よく覚えている!
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