Category: 旅行
11月19日(木) ≪新幹線今昔物語≫
私は今≪新幹線≫で広島に向かっていて、このブログは、その車中で書いている。新幹線に乗るのは、兄弟旅行以来丁度一ヶ月振りである。広島に行く目的は、全国建設機械リース業協会の「正副会長会議」が、今日広島で開催されるので参加するためだが、当初の一泊どまりの予定が、明日の仕事の関係から日帰りとなり、美味しい『広島牡蠣』が食べられないのではないかと心配しているところである。
ご承知の通り≪新幹線≫は旧国鉄が1964年(昭和39年)10月1日に、東京オリンピックの開催に合わせて営業運転を始めた東海道新幹線が初めてだが、ここに来て『地球温暖化』の問題で、飛行機より環境に優しいと世界的に見直され、輸出商談も中国を始め結構増えてきたようだ。又、安全面でも約45年間に亘り搭乗者の死亡事故が起きておらず信頼性も高い。加えて、在来線を改良して≪新幹線≫と直通運転できるようにしたミニ新幹線は、日本全国津津浦浦路線が張り巡らされれば、尚一層利便性が高まるだろう。
ところで皆さんは、今現在日本全国で何本の≪新幹線≫が走っているかご存じだろうか?
山陽新幹線・・・のぞみ、ひかり、こだま
九州新幹線・・・つばめ
東北新幹線・・・はやて・やまびこ・なすの
秋田新幹線・・・こまち
山形新幹線・・・つばさ
上越新幹線・・・とき・たにがわ
長野新幹線・・・あさま
又、かつては「あおば」 (東北新幹線)や「あさひ」(上越新幹線)などもあった。 何だか取り留めのない文章になってしまたが、ノートで疲れたのでこの位でお開きとさせて頂きます。ところで最後にもう一つ質問!≪新幹線≫を英語で何と言うのでしょうか?お答えは明日・・・ (^-^)
<新幹線の車窓から京都の山々を望む>
10月20日(火) ≪琵琶湖周航の歌≫
- われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば - 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
これは、≪琵琶湖周航の歌≫の一番と二番の歌詞である。この歌は、周囲241km・面積670㎢の日本一の湖、琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われいて、確か六番まで有ったと記憶している。第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口某が、大正の初めに琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。その後、歴史地理学者吉田東伍の息子である吉田千秋が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌、学生歌として広まっていったそうだ。
この歌は、加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになった。我々の学生時代も旧制第一高校の『嗚呼玉杯に花うけて』や同第三高等学校の『紅燃ゆる』などの寮歌を酒を飲んでは、盛んに歌ったものである。そして昨日久しぶりに、≪琵琶湖周航の歌≫を琵琶湖を周遊する船の上で大声で歌ったのであった。
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
<琵琶湖周遊中の私>
10月19日(月) ≪兄弟の旅行で彦根城に!≫
昨日の朝8時過ぎの新幹線で、東京を発ち名古屋でバスに乗り換え、滋賀県の琵琶湖にやって来た。年に一度の私の兄弟旅行である。長兄、次兄の二人は既に亡くなっているので、その連れ合いの義理の姉二人と直ぐ上の兄貴夫婦の5人連である。ワイフは、未だ風邪が抜けきれず留守番だ。昨日は、国宝の≪彦根城≫と「近江八幡」、そして夕闇で見えなかったが「瀬田の唐橋」を周遊した。わが国には、≪彦根城≫を含む四つの国宝のお城が有るのを皆さんご存じだろうか?残る三つとは、姫路城、犬山城と松本城である。
徳川四天王の一人・井伊直正は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城したが、その立地条件と三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に≪彦根城≫の築城を開始したのである。
私も見ているNHKの大河ドラマ「天・地・人」では今、「関ヶ原の合戦」が終わり西軍三成方に味方した上杉が家康に減石されて、米沢に所代えされるという終盤の佳境に入ったところである。今日、≪彦根城≫の天守閣に上り遥か琵琶湖を眺めた時には、悠久の昔に立ち戻った心持がした。今日は、最澄が興した天台宗の総本山である比叡山延暦寺を訪れる予定だが、多くの高僧を輩出した仏教の聖地では、はて何を感じ取ることが出来るのだろうか?
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<左・彦根城の天守閣から琵琶湖を望む/右・近江八幡の八幡掘り>
8月10日(月) ≪蓼科高原≫
先週の土曜日から長野県の蓼科高原に来ている。長男の嫁の実家の山荘に長逗留している長男夫婦と合流したのである。長男夫婦、3歳の孫娘と私達夫婦での旅行は今年の1月のハワイ旅行以来だ。初日は女神湖でボートに乗り、その後車山の頂上までリフトで登った。時折雲間から太陽が顔を出す生憎の天気だったが、孫娘同様?我々夫婦も頗る楽しい。
二日目の昨日も、天気はすぐれないものの「蕎麦打ち」を体験し、長門牧場でヤギや馬などと触れ合い、2時から「テニス」、夜は嫁の両親が準備してくれた食材で「バーベキュー」と日頃の憂さを忘れて一日を過ごした。「バーベキュー」の後は、孫娘のバイオリン演奏や歌と即興ダンスに二組の老夫婦は大いに拍手を送ったが人が見たら、この『爺婆』連をどう思うのだろうか?
さて、今日は休日最後の長男と我々夫婦との「蓼科高原カントリークラブ」でのゴルフであるが、久し振りの長男との「ニギリ」が楽しみである。但し、今週末の二男家族との旅行には、二歳の『ちびっ子ギャング』が活躍しそうなので、少し体力を温存しておかなければ!(*^_^*)
3月23日(月) ≪霊峰富士山≫
"♪富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし 解けて流れりゃー皆同じ♪"こんな歌が昔流行ったが、20日の「春分の日」」に富士山の麓の山中湖近辺のゴルフ場に知り合いと行ってきた。当日は、前の日に降った雨が嘘のように晴れ上がり、雲ひとつ無い素晴らしい光景が広がっていたので、帰りがけに車を停めてこの写真を撮った。
私と同年代の皆さんは、この≪霊峰富士山≫を学生時代に「休火山」と習ったのでは、ないだろうか?ところが今は、「休火山」という定義や呼び名はなくなり≪霊峰富士山≫は、活火山に分類されるそうだ。実際、定期的な地質調査によると、火山性の地震や噴気が観測されており、「活火山B」にランクされているそうだ。しかし、最後の噴火は約300年前の『宝永の大噴火』(1707年)だそうで、今の美しいシンメトリーの形が出来上がったようである。多くの外国人も先ずは、この≪霊峰富士山≫を見たがるようで、何とか永遠に起きだして欲しくないものである。
幼い頃に母に聞いた話によると、私の祖父は音楽家(チェロ弾き)で登山家だったそうで、五合目まで車で登れなかった時代に、現在「世界遺産」に申請中?のこの美しい山に何度か登ったそうだ。それにしても、『隔世遺伝』という言葉があるのに、音楽の才能も登山の才能も引き継いでいないのはなぜだろうか?尤も私の父親は、私同様?生真面目で無趣味な人だったが!
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≪霊峰富士山≫



