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昭和30年代の大相撲の黄金期を、当時の名横綱栃錦と共に築き上げた『土俵の鬼』こと、元横綱初代若乃花花田勝治氏が昨日腎細胞ガンの為82歳で死去した。彼は青森の裕福なリンゴ園の長男として生まれたが、6歳の時の「室戸台風」で作物が全滅し家が没落したため、一家全員で北海道の室蘭に移住し、少年時代に港湾荷役の重労働、所謂"沖仲仕"をしながら一家を支えたと言う。若乃花の得意技『呼び戻し』(仏壇返し)はつとに有名で、1953年5月場所から1962年1月場所までの約9年間で19回も記録していると聞く。

最近では、千代の富士朝青竜も数回決めているようだが、若乃花のそれは判っていても喰うらしく、19回中、2回以上呼び戻しを食った力士は、前さばきの名人といわれた若瀬川をはじめ、出羽湊潮錦といったベテラン力士が含まれていた。この決まり手は一度自分の方に相手力士を呼び込むため、リスクを伴い相当の力量差がないと決まらない業とされている。ウエイトトレーニングのやり方が定まっていなかった時代に、記憶に有る彼の肩の筋肉の盛り上がり方は、尋常な稽古の産物ではなかった筈だ。

マムシ』と呼ばれた栃錦と築いた「栃若時代」は、後の「柏鵬時代」、「北玉時代」、「輪湖時代」、「曙貴時代」より力が拮抗して面白かった時代と言われている。共に身長178cmと179cmと小兵で優勝回数の10回、対戦成績も栃錦の19勝(うち不戦勝1回)15敗とほぼ互角であった。今の大相撲界は大型力士のオンパレードであるが、当時も胸毛の3代目朝潮大内山大起(おおだち)などの大型力士は居たが、『マムシ』と『土俵の鬼』の「技」と「執念」の競い合いは半端なものではなかったように思う。

文字通り"鬼籍に入った"花田氏は、今の相撲協会を憂いつつ大勢の鬼たちを投げ飛ばしているに違いない!(--〆)

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<(左)初代若乃花の雲竜型の土俵入り/1960年3月場所で、初めて横綱同士が共に14連勝同士で千秋楽に対戦し若乃花が寄りきりで栃錦を下した取り組みは、昭和の名勝負として今も語り継がれている>

去る27日に柔道を国際スポーツへ導いたオランダのアントン・ヘーシンクが、76歳で亡くなった。彼は13歳で柔道を始め、21歳の時に生涯無敗だった伝説の柔道家道上伯(みちがみはく)に見初められ、徹底的な個人指導を受けた結果、選手としての才能が開花したという。試合開始の際のへーシンクの「さあ来い!」とばかりの手を広げた立ち姿は私も記憶にあるが、何といっても衝撃的だったのは1964年(S.39)の東京オリンピックで日本の神永昭夫を「けさ固め」で押さえこんで勝った時シーンである。

柔術を起源とする柔道は「柔よく剛を制す」の例え通り、小者が大きい者を倒す武術と長い間言われ続けてていた。従って、正式競技として初めて採用された地元開催の五輪の柔道の内、、最も重要視されていた無差別級で、外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、自他共に柔道を「お家芸」と認める日本にとって大変ショックな出来事だった。ところが、神永を下した直後、オランダ関係者が歓喜のあまり、試合場のアントンに駆け寄ろうとした時、彼はこれを手で制して試合場まで上らせなかった行動は、「礼に始まり礼に終わる」という柔道の精神を体現したものとして、切歯扼腕していた私たち日本国民の心を少し和ませたのだった。

一方、当時「神猪時代」と言われ猪熊功と共に両雄として並び称されていた敗者の神永昭夫は、重量級の猪熊功が金メダルを獲得したので、メディアからは『日本柔道の敗北』という批判が柔道界と神永に対して浴びせられた。しかし、神永がヘーシンクに敗れたその夜、新日鉄の上司や同僚たちが好きな酒を勧めに神永の家を訪ねた際、神永は居留守を使うことなく部屋へ招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かったです」と素直に認め、それ以上は語らず悔し涙を流すことも無かったという。そしてその翌日、神永は何事も無かったように定時に出社し、仕事を始めていたそうだ。

実はこれには後日談が有り、仙台在住の神永のお兄さんと仕事上お付き合う機会があったが、お兄さん曰く当時神永(179cm・102kg)は左膝のじん帯を断絶しており、試合当日は周囲にこの事実を隠し出場するも、決勝戦で体格ではるかに上回るヘーシンク(196cm・120kg)に敗れ去ったという。神永の後輩思いは幾つかのエピソードとして残っているが、彼はは常々、柔道だけではなく社会人としても全うに生きたい、という考えを有していたようだ。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言うが彼ら二人は、正しくその典型だろう。

その後神永は、日本代表総監督に就任してバルセロナオリンピックで吉田秀彦古賀稔彦を金メダルに導くも、翌年の1993年に直腸ガンで没している。ヘーシンクの死去で、永い間柔道界に貢献し、歴史を築いた≪心優しい柔道家≫が、二人ともこの世に居なくなってしまった。合掌!!! 

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 <試合場に上がろうとするオランダ人を制するヘーシンク(左)と神永と共に上がった表彰台>

313503-1.jpegホームコースでのラウンドで昨日、「ホールインワン」が出た。と言っても私ではなく同伴者の中村さんが、やさと国際ゴルフ倶楽部のアウトの4番172ヤードショートコースで見事に放り込んだのだ。実際はピンが手前に切ってあったので、165ヤード程度だったと思うが、6番ウッドで打ったボールが真っ直ぐピンに向かい、2~3回バウンドした後、転がってホールに吸い込まれた。昨日は、何時ものメンバーの石井さん、佐藤精四郎さんと、たまに加わる中村さんとのラウンドだった。彼が打った後、グリーンに一番に辿り着いた私が、ホールを覗くと案の定ボールが収まっていたのである。

中村さんは初めての「ホールインワン」だというが、佐藤の"精ちゃん"は、過去に一度達成しているらしい。残念ながら、約40年近くやっている私と石井さんは、未だ一度も経験ない。このショートは、他のメンバーとバックティで回る事も多いが、バックでは197ヤードとなりパーを取る事さえ難しいホールだ。中村氏は足立区内の有力な土建屋さんの社長さんなので、一説には数十万円~100万円近くかかるともいわれている豪華な祝賀式(*^_^*)が楽しみだ。因みに彼は、100万円のゴルファー保険に加入しているそうだが、手出しは確実だろう!勿論証明してくれたキャディさんにも、ご祝儀は手渡したようである。

このような仕来たりは、1888年スコットランドにおいてホールインワンしたプレイヤーが、キャディに3シリングをチップとして渡したという記録が始めらしい。外国では周りの人が祝ってくれる事はあっても、自分の費用で大々的にパーティをすることはなく、植樹や祝賀会までするのは日本だけだそうだ。又、プロのトーナメントにホールインワン賞があるのも日本だけのようで海外では聞いた事がない。記録によると、日本では1906年6月、神戸・六甲山ゴルフコースにてドルフィンガーと言う人が始めて「ホーウインワン」を記録したらしい。 ホールイン.JPG<出だし9,7と大叩きした中村さんのスコア欄に生まれて初めて(1)の数字を記入しました。でも決してクリックして私のスコアを見ないで下さい!(--〆)>

アメリカのカリフォルニアには、 59回という記録を保持している人がいるらしいが、是非一度その腕前を観てみたいものだ。最年少のホールインワン記録はマット・ドレイパーの5歳212日、 最高齢のホールインワン記録はエルシー・マクレーンの102歳(2007年4月5日に達成・100ヤード、パー3)だと言う。まだまだ私にもチャンスが有りそうなので、50万円のゴルファー保険を100万円にアップしようと考えているところである! (●^o^●)(●^o^●)(●^o^●)                         

今日はお客様のコンペで≪ザ・ロイヤルオーシャン≫というゴルフ場に来ている。茨城県鉾田市にあるゴルフ場で、近くには「太洋村」があるところで遠いため、昨日から来て併設されたロッジに泊まっている。ロッジと言うより、ホテルと言ったほうがピッタリで、ツインの部屋はシティ・ホテル並みである。バブル期に建っただけあって、このコースのキャッチフレーズが、 「広い空 本格コース、充実の施設」 と南国の気分を醸し出す立派コースのようだ。又、フルバックからは7860ヤードありコースレートも78.2と全米プロ並みのコースである。

今日は、ワイフ同伴でプレーするためスコアメイクに苦労すると思うが90切りを目指して頑張る積りだ。尚、今日から15日までは盆休みで私のブログも休みまーす。

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             〈今朝5時に撮影したクラブハウスとネプチューンの18番グリーン〉

昨日、巨人の熱狂的なファンである二男篤嗣(あつし)と巨人vs.阪神戦15回戦を見に行った。5月の西武との交流戦に続く、今年2回目の巨人戦の観戦である。結果は、阪神が安打数は巨人より1本少ないものの、8対4で勝利して首位を奪還した。篤嗣が球場に見に来ると必ず巨人が負けるらしく、それをアンチ巨人の私のせいにして昨日は力なく帰宅した。今日彼は、決して新聞のスポーツ欄を開かない事だろう?それにしても何と、ほぼ満員の東京ドームの三塁側外野席を中心に陣取ったタイガースファンの声援の凄まじい事か!

全体の四分の一程度の観客数ながら、その応援は巨人ファンのそれに比べて遜色ない、いや寧ろ凌駕するほどの大声援である。選手たちも「選手冥利」に尽きるだろうし、監督も優勝でもすれば関西では英雄になれることも理解できよう。但し、成績不振に陥ると逆に大変だろうと思う。阪神球団の応援歌としては、「六甲おろし」が有名だが選手応援歌も、歌う応援団の調和がとれていて見事である。ここで何人かの応援歌の歌詞を紹介してみよう。

鳥谷 敬(遊撃手/5-2打点2の大活躍)・・・<夢乗せて はばたけよ 鋭いスイング魅せてくれ さあ君がヒーローだ 鳥谷敬>                                                  

平野恵一(二塁手・真弓の再来?/4-3打点4の大活躍)・・・<白球捕らえて 突撃だ平野 期待応える ガッツで挑め>

新井貴浩(三塁手/4-1)・・・<一振りにかける 男新井 熱きその想い スタンドへ>

C・ブラゼル(一塁手・バースの再来?/5-1)・・・<閃光見せろ 狙え場外 グレイトパワーブラッズ フルスイング>

金本知憲(外野手・衰え著しく今年で終わり?)・・・<鍛えたその身体 あふれる気迫 さぁここまでぶち込め ライトスタンドへ>

城島健司(捕手・今年は城島効果か?)・・・<燃える闘志を バットに込めて 打てよ城島 炎のアーチ>等々である。中身はどうしても似通ってくるものの、誰が考えるのか知らないが見事なものである。

タイガースは現在、勝率は5割8分9厘(53勝37敗)とそう高くはないものの首位を走っており、3番マートン・4番新井・5番ブラゼルのクリーナップは、巨人に比べても見劣りしない。特に本塁打数が92試合時点で108本と、2003年(141本)及び2005年(140本)の優勝年を抜くのは確実であり、今年は5年ぶりにひよっとするひよっとするかもしれない。特に、2008年にオリックスから移籍してきた平野内野手の活躍が見逃せなくなってきているため、鍵は彼の活躍と応援団の声援に掛かっているように思うのだが? 100804_192503.JPG

                         <三塁側応援席が熱い!>