Category: お酒
12月8日(月) ≪宴席のマナー≫
忘年会シーズンの到来である。私も既に1回こなしたが、後5~6回は、有るだろう。ここで気になるのが酒の飲み方である。よく「泣き上戸」、「笑い上戸」或いは「説教魔」などと言われるように酒を飲んだ時に人間は突然変身したり、本性が出るケースがよくあるようだ。
タイミングよく先週の土曜日の日経新聞の夕刊に、『私もひと言』という読者の投稿の欄に≪宴席のマナー≫というのが載ったので、ここで要約して紹介してみたいと思う。
1. 酔うと辺り構わず寝てしまうので、酔わないように宴席中に水を飲むようにしている。(翻訳業・20代・女性)
2. 飲めない人にはお酒を強要しない。飲めない人もやんわり断ることが必要。(会社員・30代・女性)
3. お酒が入ると自己主張が強くなり、お互い白熱して言葉の暴力沙汰にもなりかねないので、宴席での熱い議論には加わらないにしている。(年金生活者・60代・男性)
4. 特定の人同士で盛り上がらないように満遍なく話し掛けるように心掛けているし、声が大きくならないように気をつけている(会社員・30代・女性)
5. ついつい本音を言い過ぎてしまうので、常にしらふで会う自分と相手を意識するようにしている。飲んだときも無礼講は有り得ない。(団体職員・50代・女性)
6. 以前、飲みすぎて前後不覚、意識もうろうとなって階段を踏み外し骨折した事があるので、「酒は飲んでも、飲まれない」ようにしている。(会社員・50代・男性)
いずれも誰もが成程と納得?しがちな意見だが、実は私も思い当たる節がある。それは、今から約35年近く前になるであろう商社時代の忘年会の2次会の出来事であった。六本木の行きつけのスナックに入った途端、先に入った私の2年先輩が1年後輩の大人しい社員を、何かの理由でなじっていたのである。もともと正義感が強い?私は、「〇〇先輩、いい加減にしなさいよ!」と咎めた事が発端となり、「生意気だ、表に出ろ!」言われ、挙句の果てにつかみ合いの喧嘩になってしまった。
その結果、私はなけなしのボーナスで買ったばかりの当時14万円もしたバーバリーのコートの襟を破かれ(勿体ないので「かけはぎ屋さん」で直してその後何シーズンかは、着続けたが・・・)、相手の先輩はケガをして1日会社を、休んでしまったのである。私のことは、よく面倒を見てくれていた先輩で気心も知れていたので、私も酒の勢いを借りて偉そうな事を言ってしまったのであるが、そのわだかまりは互いに35年経った今でも消え失せていないようだ。
残りの忘年会の≪宴席≫は、途中で水を飲み、大きな声を出さず、余計な自己主張をせず満遍なく声を掛け、「酒に飲まれない」ようにしなければ!!!
11月21日(金) ≪ボジョレー・ヌーヴォーの季節≫
≪ボジョレー・ヌーヴォー≫の季節がやってきた。ワイン好きの私としては、早速近くの酒屋で3本ほど買い求めてきた。≪ボジョレー・ヌーヴォー≫というのは、フランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯ボジョレーで生産される赤ワインのその年の11月に出荷される新酒・プリムールのことである。その年のブドウの出来栄えをチェックすることが主な目的であるため、特殊な技術で急速にブドウを発酵するため醸造期間は数ヵ月と短く、従ってごくわずかな炭酸ガスを含む清涼感溢れるワインである。
ワインの生産は、ローマ帝国以前より行われていたと言われているが、ワインの本場であるフランスでは、ブルゴーニュとボルドーが二大産地である。ブルゴーニュのワインは単一品種を使った男性的で力強い味で知られているのに対して、ボルドーのワインは、「ワインの女王」と讃えられ特にルビー色に輝く赤ワインは、「クラレット」と呼ばれ世界中の人々に愛されている。因みに、最高級赤ワインで知られている『ロマネ・コンティ』は、ブルゴーニュワインである。
私が赤ワインを飲み始めたきっかけは、今から14、5年前に九州熊本の阿蘇ゴルフクラブにゴルフツアーで行った際、それまでは白ワインの「シャブリ」しか飲まなかった私は、仲間たちとそのホテルに有った「シャブリ」を全て飲み干し、止む無く赤ワインを飲んでみたところ、その香りと渋みが何とも心地よく魅了されたからである。
それ以来、赤ワイン党に転じたわけであるが、折しも赤ワインに含まれている『ポリフェノール』が身体に良いということでブームになり始めたころであった。調べてみると, 『ポリフェノール』は酸化しやすい物質で、体内に入ってすぐ活性酸素と素早く結合するため、動脈硬化やガンの原因となる悪玉活性酸素を消滅させてしまうのだそうだ。
さて今晩も、いつものように動脈硬化とガンの予防につとめることにするか!(^◇^)
11月14日(金) ≪銀座慕情≫
東京都中央区の"銀座"は、我が国を代表する一大繁華街であり世界の有名ブランド店がしのぎを削る流行の発信地である。当地は、関東大震災と第二次大戦の爆撃で2度も瓦礫の山と化す苦難を乗り越え、1丁目から8丁目まで地元関係者の努力もあって見事に復興をなし遂げた。
♪昔懐かし銀座の柳、と歌に残る柳は枝が伸びると車の交通の支障をきたすと切り払われ、都電の敷石も歩道として再生し、その姿で当時を偲ぶのみとなった。私が先ず"銀座"を初めて意識したのは、1958年(昭和33年)に神戸一郎が歌ってヒットした「銀座9丁目は水の上」という歌である。当時九州福岡に居た小学生の私は、水の上で何が行われているのだろうか?と想像を逞しくした覚えがある。
次に、記憶があるのは親父の転勤で既に東京で暮らしていた高校生当時の1963年(昭和38年)頃、バンの石津謙介が流行をもたらしたアイビー(IVY・植物の蔦の意味)ルックの学生達がみゆき通りを中心に紙袋を抱えて屯した時代である。昭和40年に高校を卒業した私も同じような身なりをして、下手なフォークソングを歌ったものである。
社会人となり丸の内の商社に勤めた私は、先輩社員に連れられ"夜の銀座"をしばしば垣間見るようになった。挙句の果てに、生意気にも当時銀座6丁目付近にあったC&C会館4階の<クラレンスクラブ>の会員となり、"夜の銀座"を闊歩するようになった。C&C会館は成田観光という会社が経営する確か7階建のビルで、当時としては珍しく階ごとに日本料理屋は勿論のこと、バニーガールがいるクラブやバー、美人揃いの高級クラブやサウナなどもあり、どの階も会員であれば自由に利用できたのである。
友人や会社の同僚たちと徒党を組んで、C&C会館を中心に"銀座"を飲み歩いた私の末路はお決まりの〘資金ショート〙で、銀行からお金を借りて全額弁済し、銀行にも1982年(昭和57年)の九州転勤前迄に払い終えたのである。今でも、様変わりした"銀座"を歩いていると当時の甘い思い出とほろ苦い思い出が交錯し、何とも表現しがたい気分になる今日この頃で ある。
(紅葉が綺麗な季節となりました)
9月12日(金) ≪梅酒が、ブームに!≫
家庭でも、青梅とホワイトリカーと氷砂糖が有れば手軽に作ることが出来るし、健康志向の高まりと若い人の低アルコール化でブームになったようだ。梅酒のベース酒ひとつとっても、ホワイトリカー以外にブランデーや日本酒、みりんなどがある。
メーカーとしては"チョーヤ"が有名だが、元々、梅酒は日本酒や焼酎を製造する全国の蔵元でつくられている。しかし、近年インターネットによる情報発信も手伝って新しい蔵元が製造した、次のような新しいブランドが人気ランキングの上位をしめているようだようだ。



