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2014年11月21日(金)  ≪高倉健と江利チエミ≫

数少ない“銀幕のスター”が亡くなった。残るスターは、小林旭吉永小百合くらいのものだろう。83年の生涯を華麗に生き抜いた高倉健 は、1931年(S6年)に福岡県中間市で旧海軍軍人で当時炭鉱夫のまとめ役をしていた父と教員であった母との比較的裕福な家庭に誕生した。小さい頃は身体が弱く学校を休みがちだったが、中学に入りボクシング部を立ち上げ励んだことに依り、後に「やくざ映画」で活躍する頑強な体力を養ったようだ。福岡県立東築高校時代にはアメリカ映画や文化に憧れ、これも自らESS部を創設し英語を学んだが、これが後にアメリカ映画でマイケル・ダグラスと共演した1989年公開映画の『ブラックレイン』での流暢な英語のセリフに繋がったと思われる。(残念ながらこの映画では、既に膀胱がんを患っていた松田優作の壮絶な演技の陰に隠れてしまったが・・・)takakura

彼は死ぬまで独り身だったが、1959年(S34年)に1度だけ結婚している。『恐怖の空中殺人』と言う映画で共演した縁で結婚した相手が、12年間連れ添った歌手の江利チエミである。当時、江利・美空ひばり雪村いづみ三人娘として人気絶頂だった彼女は歌も上手で、あっけらかんとした性格と豊かな表情が多くのファンを魅了した。私もファンの一人だったが、確か彼女が初代のサザエさん役だったと記憶している。「テネシーワルツ」や「恋人を我に帰れ」などの洋楽の焼き直し他、「酒場にて」などの大ヒット曲を世に送り出した彼女は、高倉健と離婚した11年後、45歳の若さで不慮の死をとげた。(因みに彼女は三人娘の中で、一番早くNHK紅白歌合戦に出場している)yjimage

オシドリ夫婦として有名だった彼らが別れた原因が、チエミ に近づいた異父姉の様々な陰謀や誹謗中傷、様々な金銭トラブルのせいだと言われている。チエミは、スター高倉健に傷がつくことを避けるため彼に離婚を申し出たそうだ。その後莫大な借金を背負ったチエミは自己破産をせず「責任は自分でとる」と決意、断腸の思いで義父姉を告訴し結局義父姉には懲役3年の実刑判決が下ることに。(ウキぺディア参照)チエミを愛し続けた高倉はその後も独身を押し通し、チエミンの死後も命日には毎年欠かさず早朝に一人でひっそりと墓参、花を手向け、本名を記した線香を贈リ続けたという。139755aa

高倉にはその誠実さから、生前の名言やエピソードが数多有るようだ。例えば、映画「黄色いハンカチ」の撮影で出所したての男を演じ食堂で美味しそうに食事するシーンをリアルに演技した。あまりにもリアルな演技に、山田洋次監督が尋ねると撮影のために2日間何も食べてないと答えたという。又、オフの時に極寒の福井にスタッフや出演者を応援に行った際、自分は迷惑になるからと焚き火にあたらなかったらしい。流石に、最後は余りにも寒かったためスタッフから懇願されたため焚火にあたったそうだが、その辺りからも彼の人間性が推し量れる。今頃、天国でチエミと高倉が大好きだったコーヒーを片寄せあって飲んでいるに違いない。