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2014年10月22日(水)   ≪世界に誇る日本の航空技術MRJとは?≫

e5fa1403久方振りのブログの更新だ。協会行事や会社の雑事が繁多で中々ブログのページが開けなかった。最近、明るいニュースが少ない中で唯一と言っていいほどの明るいニュースであるMRJについて今日は、取り上げてみたい。MRJとは、≪Mitsubishi Regional Jet≫の略で、三菱重工業が作る国産2号機目の中型輸送機である。我々が子供の頃に描く絵は、飛行機や船或いは列車と相場が決っていた。飛行機は戦闘機だし、船は大砲が何本も船体から突き出た戦艦で列車は煙を吹きながら走る機関車だった。私は流線型をしたカッコいい飛行機を描くのが好きだった。しかし、航空機もジェット機時代全盛を迎え、時代とともに更にスタイルがスマートになってきたようだ。

戦前までの日本の航空機生産数は、アメリカ、ソビエト、イギリス、ドイツに続く規模であり、ジェット機を飛行させたのも、世界で5番目と、かつてわが国の航空機生産規模や開発能力は世界でも有数のものだった。敗戦により航空に関する一切の活動を7年間禁止された日本が、そのハンディキャップを乗り越えようと国を挙げて開発を行った記念すべき国産機がYS-11である。1965年3月に運用開始されたYS-11は1962年から1974年までの13年間で試作機を含め182機が作られた。YS-11は、日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機だったが、MRJは完全なジェット旅客機である。世界の大型旅客機市場はボーイング社とエアバス社が二分している。しかし、中型ジェット旅客機市場は、様相が一変する。

先行しているのが、ブラジルエンブラエルカナダボンバルディアだ。両社とも受注残を加えると実績はゆうに1000機を超えているようだ。最近は、ロシアや中国も急追してきているらしい。かつて日本にはいくつかの飛行機メーカーがあり、それぞれのメーカーは戦闘機の生産も行っており、第二次世界大戦当時に使用されていた戦闘機は殆ど国産だった。連合国から「ゼロ・ファイター」と呼ばれて恐れられていた日本の戦闘機ゼロ戦は、文字通り戦争に用いられたものではあるが、今でも航空機史上に残る名機として伝説となっている。戦後、連合国側が我が国の技術力に驚異を感じたため、飛行機の生産を禁じたが、現在に至っても日本は戦闘機の国産をするには、一定の制約があるようだ。

以前から部品レベルでは世界中の飛行機に日本製の部品が使われていると聞く。70人から100人前後が乗れる中型ジェット旅客機のメリットは、燃費の低減、航続距離の延長或いは滑走路が短くて済む等、数多い。運用開始が2017年の春に予定されているMRJの受注残は今のところ400機超らしい。三菱重工業は、10年で1000機の生産を目標として居り、最終的には3500機の生産を見込んでいると聞く。『フレー!、フレー!MRJ』である。