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2014年10月3日(金)   ≪「運動会」の苦い思い出≫

週末に小・中学校の側を通ると勇ましい応援団の笛や太鼓が聞こえる本格的な「運動会」シーズンの到来である。中学校や高校では「体育祭」と呼ばれることが多い「運動会」の歴史は古く、始まりは明治時代であるである。当初、「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていた「運動会」の起源は、はヨーロッパにあるらしい。欧米では体育及びスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている。そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の「運動会」は『近代日本独特の体育的行事』といわれる。(ウキぺディア参照)

最近では、海外に進出した日本企業が現地の社員をまじえたイベントとして行うケースも増えて『ウンドウカイ』は『カラオケ』同様、国際公用語になりつつあると聞く。皆さんも「運動会」に関しては色んな経験や思い出がお有りになると思うが、私には余り良い思い出がない。昔は、小・中学校の高学年の「騎馬戦」や「棒倒し」或いは「組体操」などの終盤で行う勇ましい競技がメインイベントで、ヤンヤの喝采を受けたものである。私は当時から身体が大きかったため、「騎馬戦」では前馬、「棒倒し」では相手チームが飛び乗ってくる棒の踏ん張り役で、番たび結構痛い思いをした。又、昔の「組体操」のピラミッドは最後に先生が吹く笛で必ず一斉に山を壊したもので、一番下で踏ん張っている私の体の上に容赦なく上の連中の体重がかかってくるのである。pic-21-5-28-5

undoukai私は中学2年生の時、親父の転勤で九州から杉並区の神明中学校に転校してきた。この中学校は、公立ながら有名な進学校で第3学区の都立「西校」に進学するため沢山の優秀な寄留生徒(他の学区から来た生徒)が居た。私はそんな都会の連中は、体育が苦手だと高を括っていたが「ところがどっこい」、九州の中学校ではクラスに「蹴上がり」出来る生徒は一人か二人しか居なかったにも拘わらず、神明中学ではクラスの略3分の1位の生徒が簡単にその技をやってのけるのだ。転校して直ぐ体育祭が実施された。そして足が速いだろうと思われたのか、身体の大きい私がクラス対抗のリレー選手に選らばれた。

自慢にならないが、私は足がそんなに速くないが遅くもないので大いに張り切った。当日、その時が来て緊張のうちにトップでバトンを引き継いだが、敢え無く終盤で同走の他のクラスの余り大きくない生徒に追い抜かれてしまった。かなりの差が有ったにも拘わらず追いつかれそして躱されたのであった。クラスメイトの落胆ぶりが、もろに私の身に重くのしかかった秋の一日だった。