2011年8月19日(金) ≪「俳句の日」≫
今日8月19日は、≪「俳句の日」≫だそうだ。確かに語呂合わせでいくとそうなる。俳句とは、季語を入れた五・七・五音の短い詩である。
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」、これは 明治28年に正岡子規が詠んだ名句である。「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがついている、二句一章の句だ(「柿食えば / 鐘が鳴るなり法隆寺」)。「柿」(季語=秋)、「鐘」、「法隆寺」という意外な組み合わせの妙が実に素晴らしい。このように季語を入れて、五・七・五音で作る原則を、「有季定型」と言うらしい。
俳句」のルーツは、室町時代末期から江戸時代にかけて行われていた「俳諧の連歌」である。俳諧は元来、"たわむれ、おどけ"の意を表す言葉で、俳諧の連歌とは、「従来の連歌のように格式張らず、世俗的な言葉も使って楽しむ連歌」である。松尾芭蕉も、与謝蕪村も、小林一茶も、俳諧の連歌を生業とする俳諧師で、正確に言うと彼らを優れた「俳句」を作った人と形容するのは、間違いである。では、この俳諧の連歌とは、どのような遊びだったのだろうか?
まず、誰かが五・七・五音の句(長句)を詠む。この季語を入れることがルールである第一句目を、発句(ほっく)と言うらしい。次に、この発句を踏まえて、別のだれかが七・七音の句(短句)を付ける、この第二句目を脇と言うそうだ。更に、この脇に付く長句を、誰かが第三句目として詠むのだが、このように長句と短句を交互に詠んでいき、三十六句目まで続けて行く。これが俳諧の連歌と呼ばれたものだが、何とも楽しそうな遊びだ。因みに、最後の三十六句目は、挙句(あげく)と言うらしいが、「挙げ句の果て」という慣用句は、ここから来ているそうだ。
明治時代に入って、複数人で行う俳諧の連歌を否定したのが、正岡子規だった。彼は、季語を入れ五・七・五音で詠む従来の「俳諧の連歌の発句」を、新たに「俳句」として一人立ちさせ、個人で創作できる文芸へと変えることに成功したのだ。
ここで一句・・・・ 「古池や ボール打ちこむ 水の音」 ・・・・・ おそまつ!(季語がないためこれ川柳?)
<左が、俳句の形を完成させた正岡子規。右は、子規の遠縁に当たる「やじうまテレビ」の土曜日のお天気キャスター歌原奈緒。彼女は、東京学芸大学附属高校から慶応義塾大学環境情報学部を卒業した才媛。千葉銀行のイメージキャラクターでもある彼女、日本サッカー協会の4級審判員の資格を持つという。>



