Archive: 2011年8月

今午前8時前、今日は午前9時50分から年に1度の恒例の胃カメラ」検査だ。「胃カメラ」の正式名称は「上部消化管内視鏡検査」と言うそうだ。カメラ(内視鏡)を口から(最近は鼻から挿入する方式もある)食道→胃→十二指腸の中に入れて、先端についている超小型のカメラで中の様子をテレビ画面に映し出して観察するものである。技術の進歩により、内視鏡はとても細くなってきたが(細いものは外径約5mm)人間は異物が咽頭に触ると反射によりそれを吐き出そうとする。

その反射はいくら抑えようと思っても自分ではどうしようもなく、リラックスリラックスと自分に言い聞かせてもかえって堅くなってしまい辛くなってしまうのである。ところが、私が20年以上通っている池袋の『上田胃腸クリニック』の上田先生は、技術に優れ何の違和感もなく「胃カメラ」が飲めるのである。さて、そろそろ時間なので出掛けようと思うが、今日の検査結果は午後からご報告致します。 equ_12.JPG(午後から・・・) 「特に以上ないね、でも10年前と比べて11キロも太っているよ!」。上田先生の言葉に安心すると同時に、後半部分の警告がドスーンと来た。最近私も栄養を取り過ぎないように、朝はパンを止めて雑穀米のおかゆにしている。昼の弁当もご覧の通り、十六穀米の「輪っぱ飯110827_115336.JPGに変えた。おかずも魚と野菜中心である。でも、そろそろ「銀シャリ」がチョッピリ恋しくなったところである。

テレビを見ていて「彼の様な≪ムーンフェイス≫は、欧米人には受けないだろうな」という思いが先に立った。その人の名は、野田佳彦、我が船橋市の千葉県第4区選出の国会議員だ。菅直人首相(64)の後継を決める民主党代表選は昨日、都内のホテルで党所属国会議員による投開票が行われ、決選投票の結果、1回目で2位だった野田佳彦財務相(54)が215票を獲得、同1位の海江田万里経済産業相(62)を38票差で破り新代表に選出された。決選投票前、態度を決めかねていた「中間派」議員の心をわしづかみにしたのは、野田氏の"名演説"だった。

「『ドジョウが金魚のまねをしてもしょうがねえじゃん』というのがある。こういうルックスなので、総理になっても支持率は上がりません。だから解散はしません」。大好きな相田みつをの詩を引用しながら、自虐的なジョークも交えて、会場を沸かせた。又、「ドジョウのように泥臭く、国民のために汗をかきたい」と力を込めて締めくくった。"資料棒読み"の演説をした海江田氏とは対象的な、ユーモアを織り交ぜ感情を込めた話術で訴えた野田氏に、「中間派」票がなだれこんだようだ。斯くの如く見栄えの悪さは自他共に認めるところだが、彼の良さは通勤客に自分の政策を訴える為に1986年10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続けた『朝立ち』からでも判る通り真面目さと誠実さだ。

080317_01.jpeg長期政権を維持した近代の総理大臣は、45代の吉田茂(在任2616日)を除いて61代の佐藤榮作(同2798日)、71代の中曽根康弘(同1808日)、87代の小泉純一郎(同1980日)など、比較的見栄えがする人間が多いのは確かだ。しかし、案ずる事はない。同じ早稲田大学出身の総理経験者は、石橋湛山竹下登海部俊樹小渕恵三森喜郎福田康夫など余り『男前』が居ないのだ。但し、私が彼を見ていて気になる点が二つ有る。一つは見るからにシャープさに掛けていて、『決断力』が有るように見えない点。(この点は、これからハッキリするが?)

もう一つは、私が知る限り一日二箱も吸う"ヘビースモーカー"である事だ。一国の宰相たるもの、難局に向かって禁煙する位の決意をもって捨て身でぶつかって欲しいものである。(斯く言う私も起業を機に、禁煙しました)

先週末同様、孫の話で恐縮である。先週末5歳の孫娘と映画を観てきた。映画の題名は、パラマウント映画配給のCGアニメ映画『カンフーパンダ2』である。2008年6月に全世界で公開され興行収入300億円を突破した「カンフーパンダ」の続編で今回の作品は3D(スリーディー)映像である。3Dとは、「three dimensions」或いは「three-dimensional」の略語であり、「3次元」、あるいは「3次元の」を意味する。要するにコンピュターグラフィックスの技術により、立体的な映像を作り出す手法のことである。

ストーリーは、前作でカンフーをマスターして「龍の戦士」となったパンダのポーが、カンフーを抹殺して中国の支配を目論むシェン大老を相手にマスター・ファイブ(タイガー・モンキー・ヘビ・カマキリ・ツル)と共に戦うというもので、強敵を倒すのには、ポーの誕生の秘密が関係していた。この映画を観に行くのには、或る切っ掛けが有った。私の兄から先週、「小学生の孫二人を『カンフーパンダ2』を観に連れていったが、中々の迫力で見応えが有ったよ。お前の孫たちも時間が有ったら観に連れて行ったらどう?」というメールが入ってきたのだ。

20110820160228be7s.jpeg映画好きの私は、2人の孫が外で最初に観る映画は私が選んで映画館に観につれて行くと(勝手に?)決めて居た。下の4歳の男の子は未だ無理だと思ったので、11月で6歳となる孫娘本人に誘いの電話を入れたところ、その日はバイオリンのお稽古だけで珍しく?予定が空いていると言う。早速チケットを手配しようと思った矢先、『この映画が果たして最初に観る映画として適当か?』はたと考えてしまった。というのは、私の影響で映画好きな孫娘の父親である長男を九州当時初めて小学校1年生の時に、A.シュワルツネッガーの『コマンド-』という映画に連れて行った。

ところが昔の事とて2本立てで、もう1本が死人が街を彷徨い出す『バタリアン』という映画で、恐がった息子はその日泣いて寝付かなかった事が有ったのだ。そこで兄貴に映画の様子を聞くため電話を入れたところ、戦闘シーン満載で暗いところを怖がる5歳の女の子にはとても勧められないという返事。1回勧めたものの、責任を感じて観るのを止めさせようとしたようだ。しかし、観ようと誘った手前、約束違反は出来ないので観に行く事にした。但し、ワイフには内緒で2人で行こうと思ったのだが、本人がワイフに電話を入れて「おばあちゃまも一緒が良い!」と言ったらしく、幸か不幸か3人で行く事になってしまった。

結果、孫娘本人は勿論の事メガネを掛けて観た3D映像はアニメ映画を観た事が無い私達にも迫力満点で、90分間が短く感じた程だ。「案ずるより産むが易し」とはこの事。お陰で、迎えに来た息子夫婦達との予定外の晩餐でニ度楽しんだ一日であった。

孫.JPG孫の話題は川柳にならない」という人がいる。川柳というのは、日常生活の中で人生の機微やハッとするような光景、或いは矛盾などを五・七・五の言葉に乗せて面白おかしく表現するもので、「孫はかわいい」式の川柳では、川柳と言えないということなのだろう。しかし私はそうは思わない。「さもあらん」ということを、センス良く聞く人や見る人に訴えれば、そこに凡庸ではないものが出来上がる。まして、誰もが孫の時代を経験し、いずれ孫を持つ年になる。周りを見渡せば、親戚や友人にもそのような境遇の人も多い筈だ。

そこで私は、孫の事を表現した川柳を探してみた。ここで、しかりと思ったり面白いと思ったものを紹介してみよう。

 ・玄関に 耳そばだてる 里帰り

無題.JPG ・帰宅して 幼靴みて 疲れとぶ

 ・孫来る日 堅い決意の禁煙日

 ・孫たちに "じいじ"と呼ばれ 破顔する

 ・呼びなさい ばばにバーバラ ジジ・ジョージ

 ・添い寝して 先に寝つくは おばあちゃん

 ・この本は まだあるのかと 孫に買う

 ・「本読んで」 ちいさなおしりが 膝にのり

 ・老眼鏡 なくても読める 孫の本

 ・読み聞かす カラオケもどき 酔いしれて

 ・孫自慢 する人の気が 今わかり

 ・いきてやる 孫の船出 見るまでは

 ・効きめあり 孫の笑顔 薬より

私には、6歳と4歳も孫がいる。孫と過ごす時間は、過去に経験した事がない楽しい一時であると同時に、老いを感じる時間でもある。そう、孫の成長は、自分たちの悲しい〝老い"の歴史でもある。そこで、一句!

・孫の背が 伸びるごとに ちぢむ我       お粗末!

今から53年前(1958年・S33年)の今日8月25日、世界で初めての即席麺である≪日清のチキンラーメン≫が大阪梅田の阪急百貨店で売り出された。当時の大卒者初任給13,467円、国鉄初乗り10円、入浴料16円の時代に80グラム入り35円で発売されインスタント食品の元祖として世間に広まって行ったのである。台湾出身で日清食品創業者の安藤百福(ももふく)が終戦直後の大阪・梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、「もっと手軽にラーメンを」と自宅に建てた小屋で開発したのだ。当時としては、丼に入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられることがうけて、瞬く間に人気商品となった。

その後安藤は丼という食器が無いアメリカ合衆国にも進出したいとを考えていたが、1966年(S41年)の渡米時に或るスーパーマーケットの店員がチキンラーメンを二つ折りにして紙コップで作るのを見て、カップ麺の発想が生まれたという。こうして、1971年(S46年)に世界初のカップ麺である「カップヌードル」が誕生した。英語圏を意識したネーミングのお蔭もあって、カップヌードルはアメリカ合衆国を皮切りとして世界中に販路を拡張して行き、今ではカップ麺が存在しない国がないと言っていいほどまでに普及したのである。

300px-Nagasaki_Denkikidou1506.jpeg                  <チキンラーメン模様で走る長崎のチンチン電車>

ラーメンを初めて我が国で食べたのは、水戸光圀だと言われている。その後開国され明治維新の横浜に中国人の居留地(中華街)が出来て中華料理店が開店して以降、世間に広まったそうだ。当時は、「支那そば」とか「中華そば」とか呼ばれていた食べ物が、≪日清のチキンラーメン≫が出てからは、「ラーメン」と呼ばれるようになり過去の呼び名は略死語になりつつある。又、≪日清のチキンラーメン≫のように、開発当時そのままの姿と味で売り続けられている食品も珍しい。

私の太りすぎが原因で、ワイフから現在『ラーメン禁止令』が出ているが、日曜日のゴルフの練習の後などに腹が減って珠に「ラーメン」を外で盗み食い?をする事がある。しかし今日は、この日を記念して堂々と≪日清のチキンラーメン≫を久し振りに食べてみようかと考えている。

20110824-00000000-dal-000-12-view.jpeg7月8日に書いたブログで、今年『嫌いな芸人』のトップに島田紳介がトップに立ったと書いたが、その紳介が芸能界を引退するという会見が昨日開かれた。余りにも唐突で世間をアッと驚かせたが、その理由とは数年前の暴力団関係者との交遊関係だそうだ。昔から、芸能界やスポーツ界とヤクザとの関係は深く、特に地方で行われる歌謡ショーや芝居・映画、或いは大相撲やボクシングの試合では興行師と呼ばれるヤクザが取り仕切っていた。

元々、大相撲や芸人、歌手たちの地方巡業はその地方のヤクザが勧進元となって運営されており、彼らの力を借りなければ地方巡業は成り立たなかった。その一例として美空ひばりも山口組の当時の大親分田岡組長に可愛がられていたのは周知の事実である。又、松竹時代劇の大スター林長二郎が松竹ら東宝に移籍した際、松竹側のヤクザ(後の大映社長永田雅一)に左ほほを切られ、林長二郎こと長谷川和夫は生涯左の顔は映画に映らないようにしていたのは有名な話だ。

しかし最近では、平成3年5月に施行された暴力団対策法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)に依って、警察が暴力団と歌手たちの癒着を厳しく取り締まってから徐徐にこの悪弊が是正されてきたのだ。古くからヤクザは、博打ちと香具師(やし)がいた。香具師とは、現在のテキヤで神社・仏閣の固定した場所で大道商いをしているか、各地のお祭りや行事にその都度場所を借りてものを商うのだ。「男はつらいよ」の寅さんの職業がそれである。

香具師は地元の顔役(ヤクザの親分)の許可を得て商売をしていたため繋がりも深いが、利害関係がぶつかると、ヤクザ同士やヤクザと香具師の「出入り」と呼ばれる喧嘩が始まるのだ。暴力団対策法は、一定の要件を満たした悪性の強い暴力団を、都道府県公安委員会が、「指定暴力団」として指定する制度を設けているが、今日現在全国に22団体ある。内訳は、東京に稲川会、住吉会、極東会、松葉会など4団体、関西に山口組を始め4団体、中四国に広島の共政会を始め5団体、九州には福岡の工藤会、道仁会などの5団体を含め6団体、その他に沖縄の2団体と千葉の双愛会などである。

 昔のヤクザは現在の暴力団のように、薬の売買をして荒稼ぎをするようなことはなく、地元の正業者を痛めつけることはなかった。しかし、最近は警察に追い込まれて法律違反ギリギリの商いやネットを通じたシノギを仕掛けて来る。紳介とヤクザの付き合いは根の深いものだろうと想像される。このような事例は、氷山の一角に過ぎないのかもしれない?

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<(上)会見中涙を拭く紳介、(下)左から構成員17,300人の山口組の代紋、中は同5,900人の住吉会の代紋、右は同4,500人の稲川会の代紋)

「酒と女と自殺未遂」衝撃告白・・・ 「毎日死ぬことばかりを考えていた

自分がこんなふうになってしまうなんてまったく思いもしなかった。仕事も順風満帆だったし、まだバブルの弾ける前で、仕事が終わると、銀座、赤坂、六本木と毎晩のように朝方まで飲み歩いていた。でも結局、若い時からの自分の生活のツケが回ってきたんだね。何となく体のだるさを感じはじめたのは、93年頃だったかな。でも、それは切れ間なく飲んでいる酒のせいだと思っていた。ところが93年夏、テレビドラマで札幌ロケに行った時、大好きなゴルフをしていて猛烈なだるさに襲われ、ハーフでやめてホテルに帰った。今から思うと、それが、以後8年間にわたる躁うつ病との闘いの幕開けだった。

一時期、石坂浩二と人気を二分したテレビ俳優が昨日脳幹出血で67歳の人生に幕を下ろした。彼が表舞台から姿を消して久しい。何故なら、49差歳で自殺した彼の親父さんである昌作と同じ(躁)うつ病で苦しんでいたからだ。父昌作は、戦前戦後を通じてよく流されたパラマウントの映画ニュース解説で知られ、ナレーターの先駆者ともいえる人物だった。彼をよくテレビで見るようになったのは、昭和40年代の初めにTBSで放送されていた若者向けのトークと音楽中心の『ヤング720(セブンツーオー)』という番組で、関口宏松山英太郎土井まさる小川知子由美かおる大原麗子らと一緒に司会をしていた頃からだ。

彼がうつ病になった原因は、1991年に親友の松山英太郎が食道ガンで死去したショックからだという。その当時を振り返り彼はこう述懐している。『僕の精神的な疲れ方は、父とよく似ていた。父は当時「ノイローゼ」といわれたが、今思えば重症のうつ病だったのではないか。 父が死んだ時、僕は高1だった。ところが、次第にその年齢が近づいてくるにつれ、自分も49歳で死ぬのでは」という強迫観念に襲われて、49歳で父の命日を迎えるのが怖かった

彼とは昔、新宿か六本木か忘れたがスナックで一度行きあった事があった。確かその時彼は、文学座の江守徹と一緒だったと思う。2人とも豪快な飲みっぷりだったと記憶している。彼は俳優として、向田邦子森繁久弥に心酔していたようだ。 彼が、躁うつ病の治療に専念できるようになったのは、娘さんや森繁久弥、『大岡越前』で共演した加藤剛らの励ましが有ったからだという。彼の兄義果(よしみ)もアナウンサーだったが、彼自身も親父譲りの名声の持ち主だった。たいして芝居は上手くなかったが、私の好きな俳優の一人だった。

彼の名は『竹脇無我(むが』、これは本名である。ご冥福を祈る、合掌。。。 image.jpg

まだあげ初めし前髪の
image.jpeg林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

これは、島崎藤村の処女詩集「若菜集」に収録された51編の中で最も有名な「初恋」の一節である。我が国における代表的なロマン主義時人であり、後に自然主義小説家として名を成した藤村が1943年(昭和18年)の今日、71歳で亡くなっている。日本ペンクラブの初代会長でもある藤村の作品には『破戒』や『』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』など話題作が多い。

特に被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描いた『破戒』は、同和問題に鋭く切り込んだ秀作である。タブーに果敢に挑戦したこの作品を夏目漱石は、「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」と評価している。藤村の作品は、狂死した父親の「親譲りの憂鬱」を深刻に表現したものが多い。小説家や芸術家は「変人・奇人」が多いと言われるが、藤村もその類のようだ。一方、今も歌い継がれている『椰子の実』や『千曲川旅情の歌』(いずれも「落梅集」に収録)など心優しい作品も多い。

私も約10年近く前に長野県小諸市にある『藤村記念館』(写真の銅像)を訪れてから、藤村の作品を何冊か手に取った。彼の作品を読むたびに、不世出の詩人・小説家との思いが増してくるのだ。

今日8月19日は、≪「俳句の日」≫だそうだ。確かに語呂合わせでいくとそうなる。俳句とは、季語を入れた五・七・五音の短い詩である。

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」、これは 明治28年に正岡子規が詠んだ名句である。「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがついている、二句一章の句だ(「柿食えば / 鐘が鳴るなり法隆寺」)。「」(季語=秋)、「」、「法隆寺」という意外な組み合わせの妙が実に素晴らしい。このように季語を入れて、五・七・五音で作る原則を、「有季定型」と言うらしい。

俳句」のルーツは、室町時代末期から江戸時代にかけて行われていた「俳諧の連歌」である。俳諧は元来、"たわむれ、おどけ"の意を表す言葉で、俳諧の連歌とは、「従来の連歌のように格式張らず、世俗的な言葉も使って楽しむ連歌」である。松尾芭蕉も、与謝蕪村も、小林一茶も、俳諧の連歌を生業とする俳諧師で、正確に言うと彼らを優れた「俳句」を作った人と形容するのは、間違いである。では、この俳諧の連歌とは、どのような遊びだったのだろうか?

まず、誰かが五・七・五音の句(長句)を詠む。この季語を入れることがルールである第一句目を、発句(ほっく)と言うらしい。次に、この発句を踏まえて、別のだれかが七・七音の句(短句)を付ける、この第二句目をと言うそうだ。更に、この脇に付く長句を、誰かが第三句目として詠むのだが、このように長句と短句を交互に詠んでいき、三十六句目まで続けて行く。これが俳諧の連歌と呼ばれたものだが、何とも楽しそうな遊びだ。因みに、最後の三十六句目は、挙句(あげく)と言うらしいが、「挙げ句の果て」という慣用句は、ここから来ているそうだ。

明治時代に入って、複数人で行う俳諧の連歌を否定したのが、正岡子規だった。彼は、季語を入れ五・七・五音で詠む従来の「俳諧の連歌の発句」を、新たに「俳句」として一人立ちさせ、個人で創作できる文芸へと変えることに成功したのだ。

ここで一句・・・・ 「古池や ボール打ちこむ 水の音」 ・・・・・ おそまつ!(季語がないためこれ川柳?)

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 <左が、俳句の形を完成させた正岡子規。右は、子規の遠縁に当たる「やじうまテレビ」の土曜日のお天気キャスター歌原奈緒。彼女は、東京学芸大学附属高校から慶応義塾大学環境情報学部を卒業した才媛。千葉銀行のイメージキャラクターでもある彼女、日本サッカー協会の4級審判員の資格を持つという。>

数日置いて内外の二つの水難事故の報が、飛び込んできた。一つは、アメリカとカナダの国境にある「ナイアガラの滝」で、アメリカに短期留学をしていた19歳の日本人女性が14日に滝つぼに転落した事故。もう一つは、「天竜川」で23人が乗った川下り船が転覆し、川に投げ出された女性2人が亡くなり2歳の男の子を含む3人が行方不明になった昨日起きた事故である。ナイアガラの滝では、くだんの女性が転落防止の「手すり」に跨り、友人と写真撮影をしていたという。そして、手すりから降りようとした際、誤って足を滑らせ後ろに転落したとみられてる。川下り船の場合は、「船は川の渦に舵を取られていたため、近くの岩場にぶつかり転覆した」と後ろに乗っていた船頭が、警察の調べに対して答えているそうだ。

001l.jpegいずれもちょっとしたミステイクに依って、楽しい筈の出来事から一気に奈落の底まで落ちて行ったのである。前者は自分の、後者は命を預けた信頼すべきプロのミスだが、不運の一言では片付けられない誰にでも起こり得る事故だ。私の高校と大学時代通じての友人に吉岡律(りつ)君という好漢が居た。彼は、卒業後すぐさま「朝日グラフ」の記者になった。そして初めての取材旅行の東北の旅行先で、運転する車もろとも崖から転落して亡くなった。彼の親父さんは教師だったが、余程悲しんだのだろう、「律よ、お前は!」という本を自費出版した。私はその本を大切に今でも本箱の片隅にしまっている。彼の取材先が、違う場所だったら彼は死なずに済んだのかもしれない。

top_r3_c6.jpegナイアガラの滝の女性も、友人と一緒だったと言うからひょっとして友人が跨った後に同じ「手すり」に上ったのかもしれない。「川下り船」も三艘で下って行ったというから、亡くなった人達や行方不明の人達は、違う船に乗り合わせて居ればこんな不幸には遭遇しなかった筈である。しかし、これも運命なのだ。運命は、誰が決めるのであろうか?神なのかそれとも不幸に遭遇した人を呪う誰かなのか?きっと不幸にして亡くなった人達の家族は、涙が枯れ尽くすまで「神と運命」を呪い続ける事だろう。

皆さんが映画を選ぶ際に、何を基準に選ばれるだろうか?出演する俳優ですか?それとも監督ですか?はたまたジャンルですか?読んだ本が映画化されるなどの事例を除いて、殆ど方が好きな俳優が出る作品をチェックされる事だろう。私は今回4本の映画を鑑賞したが、ジャンルで選んだ。1本がアクション、2本がミステリー、1本が恋愛ものである。≪盆休みの最終日≫の3本目は、男女4人の赤裸々な恋愛模様を描いたラヴ・ストーリーだ。出演は「オーシャンズ12」のジュリア・ロバーツ、「コールドマウンテン」「アビエイター」のジュード・ロウ、「コールドマウンテン」「スター・ウォーズ」シリーズのナタリー・ポートマン、「キング・アーサー」のクライヴ・オーウェンと豪華な顔ぶれだ。

N0028365_l.jpeg2004年にマイク・ニコルズ監督で作られたこの映画で、私が注目したのはそれまでの清純派イメージを脱ぎ捨てストリッパー役に果敢に挑戦し、共演のジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウらに負けない存在感と演技力を披露したナタリー・ポートマンだ。この演技でアカデミー賞の助演女優賞に初めてノミネートされた彼女は昨年、肉体的にも精神的にも追いつめられていくバレリーナを熱演した「ブラック・スワン」でついにオスカー主演女優賞に輝いたのである。名門ハーバード大学に進み心理学を専攻したナタリーは未だ30歳、これからが楽しみな女優さんである。

4本目の映画は、ジョン・トラボルタ主演の『閉ざされた森』という作品だ。ストーリーは、『パナマの米軍基地で軍事演習中に嵐の森に入った兵士7名が行方不明となった。やがてそのうち3名が発見されるが、そのとき彼らは突如味方同士で銃撃戦を開始し、1名が死亡する。』そこで捜査に当たるのが、女軍人のジュリー・オズボーン大尉とトラボルタ演じる軍隊上がりの麻薬捜査官である。物語は、終盤にどんでん返しを迎えるのだが、トラボルタと言えばニューヨーク・ブルックリンの若者トニー(トラボルタ)が、週末ごとに行くディスコ主な舞台の『サタデイ・ナイト・フィーバー』という1977年に作られた映画を思いだす。トニーをはじめとした仲間たちは、その「持って行き場のない青春のエネルギー」を、ダンスや喧嘩やセックスに明け暮れるという設定だが、この作品で彼は一躍スターダムにのし上がったのだ。その当時とは体型も違っているが、今回の映画もそれなりに面白い作品だった。

image.jpeg全ての映画を観終わったのが、夜の11時半過ぎ、充実した一日だった。『映画って、素晴らしいですね!サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ・・・』

John_Travolta_and_Princess_Diana.jpeg        <ホワイトハウスのパーティでダイアナ妃とダンスを踊る若き日のジョン・トラボルタ> 

 

我が社の≪盆休み≫は12日から15日までで、ブログもその間休ませて貰った。我が家の祭司は、旧では行わないので、比較的のんびりと骨休みが出来た。とは言っても、最初の三日間は友人や家族とゴルフに興じた。ゴルフをやらない人は、「何も好き好んでこの炎天下に?」と思われるだろうが、暑いさ中汗を垂らしながら、クラブを思いっきり振り回す醍醐味はゴルフをやる人にしか判らない。流石に最終日の15日は、スタートを押さえて居たものの、少しバテ気味なのでキャンセルした。そこで困ったのが、≪お盆休み≫最終日の過ごし方である。

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元々私は、家にじっとして居るのが嫌いな質で、此処数年ゆっくりと自宅で過ごした記憶がない。仕事をする気持ちも起きないし、考えた挙句一日中テレビで好きな映画を観賞することにした。先ずは朝5時に起きて、トム・クルーズ主演の『ミッションインポシブルⅢ』を観た。このシリーズは、一作目から観て居るので外せないと思ったが、撮影当時齢43歳(現在48歳)になった身長170cmそこそこのトーマス・クルーズ・メイポーザー4世(本名)、1作目の新鮮さが失せてきたかな?という印象である。彼のピークは、1986年の『トップガン』に始まって、賞を獲った『7月4日に生まれて』や『卒業白書』、『マグノリア』や2003年の『ラストサムライ』辺り迄か。今後の"チェンジ"に期待したい!

200PX-~1.JPG朝食を食べて、2時間ほどゴルフの練習を行った後の2作目は、ニコラス・ケイジのサイコスリラー『8mm』だ。彼の本名は、ニコラス・キム・コッポラといって父親がイタリア系で母親がドイツ系だ。この映画は、ニコラス扮する私立探偵のトムが、スナッフフィルム(娯楽用途に流通させる目的で行われた実際の殺人の様子を撮影した映像作品を指す俗語)の調査を或る富豪夫人から依頼されて、社会の闇に迫るというものだ。この作品は続編も出来ていて、1996年の『 リービング・ラスベガス』や『ロック』と並んで、彼の代表的な作品だと思う。ニコラスは、エリビス・プレスリーのコレクターとしても有名だが、2004年にエリビスの娘リサ・マリー・プレスリーをコレクトしようと思い結婚したが、3ヶ月別れている。因みに彼は、昔日本語学校に通っていて片言の日本語は話せるそうだ。

         ・・・・・・<今日は、話が長くなったのこの続きは明日にしま~す>・・・・・・・・・

i0356933-1309831829-thumb-500x347-3147.jpeg親善試合ながら、キリンカップ日韓戦に於いて「ザック・ジャパン」が圧巻のゴールラッシュで3-0と宿敵・韓国を下し、W杯アジア3次予選へ最高の弾みをつけた。MF香川真司(22・ドルトムント)の2ゴールに加え、MF本田圭佑(25・CSKAモスクワ)も決め、3―0の理想的な形で歴史的な勝利を収めた。永遠のライバル韓国に対し、3点差以上の大勝は37年ぶり2度目だという。アルベルト・ザッケローニ監督(58)の就任後、無敗記録は慈善試合を含め12(7勝、1PK勝ち、4分け)に伸びたというから、彼を選んだ協会関係者は鼻が高いだろう。

「なでしこジャパン」のW杯優勝に続く快挙?だし、ブラジルW杯やロンドン五輪の予選を控えてサッカー人気が更に燃え上がる事が予想される。ところで、「なでしこジャパン」と「ザックジャパン」など日本代表が来年から着用する新ユニホームに「絆」をテーマとしたデザインが採用されることが今月になって、分かった。ご覧の通り、ダークブルー基調でシャツ前面の中央に「絆」(きずな)をイメージした赤いラインが入る。男女の日本代表共通のデザインで、日本サッカー界を挙げて「東日本大震災」からの復興を支援する意志が込められていると言う。

「絆」を辞書で引きと動物をつなぎとめる綱という意味のほかに、「断つに忍びない恩愛、離れがたい情実」と書いてあった。正に、ユニフォーム前面の中央部に入る縦の赤いラインが"1本の絆"をイメージしてデザインされたのだ。日本代表は全カテゴリーのユニホームを約2年周期で変更しており、時代背景に合わせたデザインを採用してきた。98年は「炎」をテーマにして初出場したW杯フランス大会に懸ける熱い思いを表現。10年W杯南アフリカ大会では「革命の羽」モデルで16強に進出した。今回は東日本大震災からの復興、そして「絆」がテーマとなったのである。

G20110802001331880_view-thumb-500x375-3525.jpeg              <なでしこジャパンは縦線がピンクになるかも?>

昨日震災の復興には10年はかかるだろうと書いた。復興の下支えがサッカーで出来るとすれば、是非とも新ユニフォームがW杯と五輪のピッチを駆け回る姿を大いに期待したいものである!

昨日、さいたま新都心の合同庁舎2号館で震災復興に寄与した団体や個人に国土交通省関東地方整備局下保修(しもやすおさむ)局長から表彰状が手渡された。『全国建設機械器具リース業協会』は、震災直後に軽油やガソリン、ポリタンク等を被災地に運んだことが表彰の対象になったのである。私が、汗をダラダラ流しながら15分前に503号会議室に到着した時には、全建の角口会長と江口専務理事は既に他の表彰者約30名とお役人さん約10名と共に並んで椅子に座って待っていた。

CIMG0351.JPG表彰式は、グループ分けされた各グループの代表が表彰状を受け取ったため、約1時間弱で終了したが、その席で国交省OBの江口専務理事から貰った資料が、国交省の予算調整官資料である『東日本大震災からの復興の基本方針』というやつだ。それに依ると、国交省も巷間噂されている通り、復興期間を10年間と見越していて予算規模も23兆円と言う膨大な額を見込んでいるようだ。その内訳は、平成27年度までの5年間の「集中復興期間」に災害救助、生活再建等に4兆円程度、ガレキ処理、インフラ復旧等に6兆円、全国的な緊急防災・減災事業や「地域づくり」等のインフラ投資・ソフト事業に9兆円程度と併せて19兆円を予算組みするらしい。

財源としては、1次補正見合の歳出削減等で約4兆円、2次補正見合の剰余金約1.8兆円、そしてそれに加え更なる歳出削減、国有財産の売却収入の他、特別会計公務員人件費の見直しや税外収入の確保及び時限的な税制措置により13兆円程度を捻出するという。今日、菅さんの今月中の退陣が固まったとテレビや新聞各紙が報じた。そういう意味では、最近までの猫の目総理ではなく、5年間は腰を落ち着けて頑張ってくれる総理大臣が出て来て欲しいものである。この5年間を立派になし遂げた総理大臣は、間違いなく後世に名を残す事であろう!

CIMG0348.JPG <中央が、下保関東地方整備局長(将来次官が約束されている?)。左が角口会長で、右が私>

音量の増幅を目的とした胴(ボディー)と、音の高さをコントロールするための突起(フレット)を持つ棹(ネック)からなる。6本の弦を持ち、弦のボディー側の端には駒(ブリッジ)があり、ネック側にはナットが備えられている。ナットより先には弦を固定し音程調整をするための糸巻き(ペグ)があり、それらを固定する台座としてヘッドがある。これが言わずと知れた、クラシック音楽フラメンコの他、ジャズロックフォルクローレポピュラー音楽など幅広いジャンルで用いられるギターという楽器だ。

8月12日は、二男の息子、即ち私の孫の4歳の誕生日だ。彼は、生まれてこのかた車で走行中、CDやDVDでフォークディオ『ゆず』の歌を聞かされて育った。従って、彼は『ゆず』の大ファンである。持ち歌の「栄光の掛け橋」(私はそれぐらいしかしらない(*^_^*))を始め、殆ど曲を歌えるらしい。童謡などは、殆ど幼稚園に入って知ったのではないだろうか?当然たまに会う私たちにも、オモチャのギターやエアーギターで『ゆず』の歌を聞かせてくれるのだ。

先日誕生日プレゼントのリクエストを聞いた処、「本物のギターが欲しい!」とのたまうので、早速昨日会社を夕方6時に出て、柏の「ららぽーと」まで買いに行った。店員さんは未だ4歳位なら軽くて小さい「ウクレレ」が良いと勧めてくれたが、彼との約束が有るので頑と譲らなかった。少し小ぶりのオレンジ色した軽めの子供用のギターを見つけ早速、教本に併せチューニングの機器や肩掛けベルト、ピック、布製カバー、拭き布などを揃えて送ってあげた。ところで、私が学生時代にフォークソングのボーカルでならした?事を、皆さんご存じだろうか?(以前ブログで書いた事がある)

110809_054824.JPGギターは見よう見まねで触った事が有る程度だったが、その当時の記憶がむくむくとも持ち上がってきた。とっくの昔に、持っていたギターはゴミとして処分したが、いつかは又一から習いたいとの思いを漠然と持っていた。「オヤジバンド」とはいかないまでも、老後の趣味の一つとして取り組みたいと考えていたのだ。財布の中には、偶々持ち合わせが・・・思わず勇気を出して「このギターを見せて下さい!」    

私がやっている当時は、チューニングの機器などなく、音叉(おんさ)で音を合わせて居た。昨日の夜は、やり方がよく判らず遅くまで試したのである。ソファーに鎮座ましますこのギターが新たな私の友達である。その内、皆さんの前で腕前を披露する機会が有ると思うのだが?・・・・・

110806_171947.JPG 110806_120802.JPG猫の額』程であるが、我が家の庭は向かって左が日本風、左がデッキをしつらえた洋風(以前は芝生だった)の趣である。ご覧の通り、筧(かけい)から手水鉢?に水が落ちるように私が設計したが、そこに最近よくムクドリのつがいやスズメが水浴びに来る。特にムクドリのつがいは、略毎日と言っていいほどやって来るらしい(私は殆ど家に居ないのでわからない)。「ギャーギャー」「ギュルギュル」などと泣くため騒音だと感じる人が多いそうだ。おまけに、都市部などでも群れを成して生活するにも拘わらず見栄えが良くないため、街に出てきた田舎者を指す例えにも使われているようだ。鳥に詳しいO氏に聞いたところ、「焼き鳥」にしても美味しくない最悪の鳥だと言われてしまった。

250px-Mukudori_05z4384cs.jpeg縁側に干してあるのは、かの有名な「南高梅」(なんこううめ又は、なんこうばい)である。我が家では昔から、梅干しらっきょぬか漬け白菜漬け味噌等は我が家で作り続けてきた。子供たちが巣立ってからは、流石に味噌は買うようになったが、他は昔通りである。私の弁当には、「梅干し」と「玉子焼き」は必需品で、万一どちらかが入ってないとなれば、一日中不機嫌になるらしい。従って、梅干しは嫁にもあげるらしく消費量が多いため、今年2度目の作付けである。梅干しと言えば、何といっても紀州和歌山県産の「南高梅」だ。

豊産性で樹勢は中庸(ちゅうよう)だが、表面が赤みがかった大きな果実は、梅干にすると皮が薄く果肉が厚いため最上級品といわれる所以だ。「南高梅」の名付け親は、和歌山県立南部高等学校の園芸部の教諭だった竹中勝太郎(1910年生まれ)で、南部高校の「南」と原木の発見者であり「高田梅」の基礎を作った高田貞楠(さだくす・1885年生まれ)の「高」をとり命名したと言う。幸いにし雑食性で、植物の種子や果物、虫の幼虫などを好んで食べるムクドリも、「「梅干し」だけは、見向きもしないので、助かるのである。 110806_171901.JPG<ムクドリが水浴びに来た時、写した写真。網戸越しにワイフがそっと撮ったらしい/左奥に見える灯篭は今はなき私の実家から移築したもの>

最近電車の中で女性を観察するに、50%の女性がレギンスと称する「足を覆う、ぴちぴちした黒い伸縮性のある布」を穿いて、携帯電話を触っていると断言してもいいのではないだろうか?レギンス(leggings)とは、ボトムスの1種である。レギングや、レギングスともいうらしい。現在は女性のファッションとしてその言葉が広く使われているが、本来は乳幼児が用いる裾口にゴムひもを付けて足裏にかけるニット製のズボン風の衣類の名前なのだ。このレギンスが、ヒョウ柄やゼブラ柄の洋服、スカジャン、ダボッとしたジーンズ、デカサングラス、つけまつげなどと並んで男性が嫌いな女性のファッションに入っているのを、世の女性はご存じだろうか?

私もこの暑い夏に何も蒸れそうなファッションをしなくても思っているが、女性はそうではないらしい。或る雑誌の取材で27歳の女性は、「レギンス&トレンカ依存症です!!生足なんて恥ずかしくて見せられないし、落ち着かない!」と答えていて一度穿いたら止められないらしい。正に、中高年?から中高生まで街で穿いているこの「足を覆う、ぴちぴちした黒い伸縮性のある布」について少し解説してみよう。下の絵の1番左が、「ニーソックス」と言い膝上までかかる靴下である。「絶対領域」と一部のネットの中では崇められているそうだ。(絶対領域=スカートとオーバーニーソックスの狭間に存在する空間。 一部の人間に絶対的な効力を及ぼすことからそう呼ばれる)

2番目は、「トレンカ」というやつで今年、流行っているらしい。レギンスやスパッツとの違いは、かかとにひっかけるような仕様になっていて足や足首を美しくみせるというので、レギンスよりもオシャレ度は高いそうだ。靴は当然ハイヒールである。左から3番目が、太ったおばさんもその魅力(悪魔?)にとりつかれて穿いている「レギンス」である。スパッツをオシャレに言い換えたのが「レギンス」だそうで、足首まで覆う10分丈から膝上の5分丈など、いろいろな長さが存在するらしい。低いパンプスやサンダル姿でも気軽に穿けるのが、受けて居る要因のようだ。

スカートのしたにレギンスやトレンカを履くと、足が細く見えるとか、パンツが見えないとか、ミニワンピを着るのに抵抗があってもスパッツを履けば着れるとか、いろいろと女性が支持するメリットがあると聞いた。この他にも、脚先から腰までのタイツやストッキングが有るが、ここでは割愛しよう。しかし、何といっても世の男性が好むのは、1番右の「生足」で、見る事ができなくなって久しい。「世の若い女性諸君!東日本大震災を機に原点に立ち戻ろうではありませんか!」余り関係ないか、ガクッ(~_~;)

6a0120a5901af8970c0120a5b91253970b-800wi.jpg 6a0120a5901af8970c0120a60fdf99970c-800wi.jpg 6a0120a5901af8970c0120a5b917d3970b-800wi.jpg 6a0120a5901af8970c0120a5b91157970b-800wi.jpg

昼間のリース業協会の会議で、私が10日ほど前に書いた日立建機製の油圧ショベルのに関するブログが話題になった。そういえば最近「日立」の"上下左右のツノが出て、真ん中に●が有るマーク"を見なくなったなあとツラツラ考えて居たら、或る人から日経新聞が「日立製作所・三菱重工統合へ」とすっぱ抜いたよと教えられた。≪え~まさか、嘘だろうー!≫と大声を発し、急いで帰宅して夕刊を見てみると≪まさか≫が本当だった。。明治、大正の時代から我が国の物づくりを支えて来た代表的な二大メーカーの企業統合は、文字通り≪まさか、まさか≫であるが、20世紀的なコングロマリット(多角化企業)にこだわる経営者なら、有り得ない話では無いのかも。

110805_163501.JPGところがその後、日立の広報は「そのような事実はありません」とコメントし、三菱の広報は「当社が決定した事実もありませんし、合意する予定もありません」とコメントしたため雲行きが怪しくなってた。どうやら両社の合意していない話を日立の中西宏明社長が日経にリークし、それを日経が(統合に消極的な?)三菱から裏を取らないで書いたらしい。三菱重工業株式会社Mitsubishi Heavy Industries, Ltd.)は、三菱東京UFJ銀行三菱商事と並んで「三菱グループ御三家」と呼ばれる三菱グループの中核企業である。三菱財閥の二代目である岩崎弥之助が1884年(明治17年)に工部省長崎造船局の払い下げを受け、これを長崎造船所としたのが始まりだと聞いた。

現在資本金2656億円強、単独売上2兆3277億円というビッグカンパニーである。「重工業」というネーミングは4代目の小弥太が英文の「Heavy Industries」から考え出したらしい。戦後の財閥解体で、3社に分割されたが、1950年(昭和25年)に再統合された。一方、日立製作所は前身は、現在の茨城県日立市にあった銅と硫化鉄鉱を産出する久原鉱業所日立鉱山といい、1920年(大正9年)に日立製作所として発足した。これも関連会社約900社を有する資本金2820億円強、単独売上1兆7953億円、連結:9兆3158億円という日本最大の総合電機メーカーである。

この統合話は、福島原発事故が引き金を引いたようだ。内外の原発建設を大きな柱としてきた両社は、方向転換を迫られたと考えるのが正しいだろう。世界のインフラ戦争に勝ち残る為の選択肢として模索してきた統合話も、キリンサントリー同様、企業文化の違いが大きな隘路となっているようである。

 brand_img_01.gif            <上:日立・三菱の統合を報じた日経新聞、下:日立グループの企業理念>

皆さんは、≪僑胞(きょっぽ)≫という言葉をご存じだろうか?ご存じなのせいぜい、10人い1人程度だろう。原義は"自国外に住む同胞"の事で、中国語と韓国語で使われる。特に韓国の方が使うことが多く、キョッポ(교포)は 朝鮮半島外に在住する北朝鮮人・韓国人。即ち在外コリアン(朝鮮人、韓国人)を指すのだ。現在我が国に、在日コリアンは566千人弱居ると言われているが、その居住地としては東京・大阪・神奈川・愛知・兵庫・京都などの大都市に集中しており、比較的に西の地方に多い。

豊臣秀吉が、陶工たちを九州に連れてきた話は有名だが、『韓国併合』以来急激に流入したのである。その要因としては、朝鮮半島南部は人口密度が高い上に李氏朝鮮時代から生活水準が低かったため、生活水準の高い日本内地を目指した事が挙げられる。≪僑胞(きょっぽ)≫には、日本国籍を取得した人とそうでない人といるが、在日で現在最も有名な人物は孫正義だろう。1990年33歳で日本に帰化した孫氏は、幼少時代大分県の貧しい朝鮮人部落で育った。今回の震災で百億円をポンと寄付した彼を、中国人と信じている人も多いだろう。

image.jpg昔は、スクラップ屋さんやパチンコ業界に多いと言われた≪僑胞(きょっぽ)≫も、今ではありとあらゆる業界に進出しているようだ。格闘技の世界では古くは、力道山、大木金太郎、長州力、最近では徳山昌守、秋山勲、プロ野球界では張本勲、桧山進次郎、芸能界では松坂慶子、都はるみ、錦野旦、ソニン、ジョニー大倉、芸術や文壇では映画監督の崔洋一(さい よういち)や金秀吉(キム・スギル)、劇作家のつかこうへい 、小説家の伊集院静など数え上げたらきりがない。

私は、10年前くらいに韓国の中等部を中心に3分の一程度自分で運転して旅をしたことが有る。驚いたことに、至るところに日本統治の時代の名残や日本を彷彿させる雰囲気を感じた記憶が有る。いわば、≪僑胞(きょっぽ)≫も日本人にとって、我が"同胞"かもしれない?

今や英語、中国語と並んで韓国ハングル文字の説明書きがない日本の観光地は皆無に等しい。確かに韓国は、島国日本にとって一番近い国だし、大陸文化の中継基地として歴史的にも重要な役割を果たした国でもある。しかし、太閤秀吉のニ度に亘る朝鮮出兵(朝鮮征伐)や明治初期の政府首脳西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤正象二郎、副島種臣らによってなされた、武力で朝鮮を開国しようと主張する「征韓論」の時代を経て、1910年8月の「日韓併合」に依って大韓帝国が消滅した時代を含め不幸な時代を共有?してきた事になる。

800px-Seikanron2.jpegところが1996年10月、福岡の民放テレビ局であるTXN九州が、開局5周年を記念し、韓国文化放送の「ミニシリーズ」と呼ばれるドラマを3作品放送した頃から韓国ドラマが注目を集め始めた。その後、民主化政治家の金大中大統領が誕生した1998年には韓国の開放政策、2002年の「日韓ワールドカップ共同開催」を経て、日韓両国は恩讐を超えて急速に接近し始めたのである。その間、ハン・ソッキュ主演の映画『シュリ』が日本で注目を浴び、2004年4月からNHKが放送した「冬のソナタ」の大ヒットによって、韓国ブームが巻き起こり放送作品数・放送を行う局が一気に増えたのは、周知の通りである。

更に昨年あたりから、「少女時代」や「カラ」等の女性ボーカル・グループがスタイルとお色気を武器?に新たに注目を浴び始めたが、その矢先、韓国(韓流)ブームに水を差した男が現れた。それは俳優の高岡蒼甫(29)で、何でも妻は「篤姫」やCMでもお馴染みの女優の宮崎あおい(25)らしい。彼は、「正直、お世話になったことも多々あるけど8(チャンネル)は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。うちら日本人は日本の伝統番組を求めていますけど。取り合えず韓国ネタ出てきたら消してます。ぐっばい」とツイッターで発言したのだ。

20090416235401_00_400.jpegこの発言は、我が国のオバサン連中?のバッシングはもとより韓国国内でも大反響を呼び、その結果所属するプロダクションを辞めざるを得なくなった様である。来日する韓国スターの言動に一喜一憂するオバサン連中や、「カラ」を真似てお尻を振る男女を苦々しく眺めて居た私としたら彼の発言に大喝さいを送りたい。「東日本大震災」という大きな試練を与えられた我々は、「なでしこジャパン」の優勝を知って舞台から降りた韓国の芸能人なんか相手にせず、日本と日本人芸能人を見直すべきである。尤も、大阪弁が飛び交う安作りのテレビ番組は見る気もしないが!そして、昨日新たに我が国の番組作りを批判する慶応大学出身の若手芸能人が現れたようである。やはり、日本人は捨てたものではないと思う。

      <上の絵:「征韓論」を唱える西郷隆盛(中央)、下の写真は高岡蒼甫(たかおかそうすけ)>