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7月23日(金)  ≪「傷だらけの人生」・・・鶴田浩二≫

古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます。どこに新しいものががざいましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左もまっ暗闇でござんせんか」"♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ事ばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある♫" 任侠の世界を歌ったこの台詞(せりふ)入りの歌は、1971年(S46)に、47才の「鶴田浩二」が歌った大ヒッ曲である。昨日のブログで62才で没した彼に触れたが、彼を知っているのは今では恐らく40才以上の人達だろう。

私が、初めて鶴田浩二を知ったのは若き特攻隊員の苦悩を描いた『雲ながるる果てに』(家城巳代治監督、1953)を見た時からである。子供ながらに戦争の悲惨さ・残酷さと無情さに心痛めた事を思い出す。鶴田は、この映画に主演して以来、特攻隊の出身で「特攻崩れ」だとしていたが、実際には整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場だった。戦後、「特攻崩れ」を名乗るのが一つの流行でもあったが、鶴田はあまりにも有名人であるため同じ隊の戦友会にばれ猛抗議を受けるが、一切弁明はしなかったと聞く。黙々と働いては巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、「日本遺族会」にも莫大な寄付金をしたそうだ。

鶴田は、実の父親から認知されない所謂「私生児」で生まれ、義父に嫁いだ母親が遊郭で働いていたため、目が不自由な祖母から育てられそうだ。祖母が逝去し母会いたさに、遊郭へ一人で向かったが客商売の仕事中だった母は相手にしてくれなかった。その上、義父は博打好きであったため、性格が暗く、それが逆に大衆に受け石原裕次郎が出現する前までは大スターだった。1953年(S28)1月6日午後7時頃、彼は山口組に襲われた。所謂「鶴田浩二襲撃事件」である。

鶴田は美空ひばりの芸能界の兄貴的存在であり、美空の後ろ盾である山口組の三代目組長田岡一雄とは旧知の間柄であったにもかかわらず起きた事件だった。後に田岡は鶴田と会う機会があったが、田岡は脅しや暴力に屈しない鶴田の筋を通す生き方を認め和解、親交を深める事になっていく。「三代目の前で堂々としているのは鶴田ぐらいのもの」と周囲が驚くほどであった。当時トップスターを襲ったこの事件は大きく報道され、まだ一地方の組であった山口組が一気に全国的知名度を持つことになった。それと同時に山口組の機嫌を損ねるとひどい目に遭うという恐怖を日本の芸能界興行界に定着させることになったのである。

今「相撲界」が、この手合いの輩たちとの繋がりで世間を騒がせている。彼らに言いなりの印象が強く、鶴田のように腰の据わった相撲取りは、今は居ないのだろうか? fbrxhmfo.jpeg