Archive: 2010年7月
7月30日(金) ≪「プロレス記念日」と力道山≫
1953年(昭和28)7月30日、力道山が中心となり日本プロレスリング協会が結成された。そう今日は、それを称えた「プロレス記念日」である。力道山はその前の年、プロレス修行のためハワイへ出発し、その後、アメリカ太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国、同協会を設立したそうだ。第二次大戦後の復興期に、萎え切っていた日本人の心を高揚させたのはアメリカ人を「空手チョップ」でなぎ倒す力道山と当時世界記録を連発した水泳の「フジヤマのトビウオ」こと古橋廣之進であった。
特に力道山は、大相撲出身だが1947年に関脇で突然廃業、プロレスラーに転身して大成功を収めた。私も子供ながら、シャープ兄弟を始め、キングコング、ルーテーズ(彼には一度バックドロップで失神させられた)、フレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、パット・オコーナー、ジェス・オルテガ、カール・ゴッチなどとの名勝負に心踊ろされたものである。我が家でも力道山の勝負見たさにテレビを購入したが、我が国におけるテレビの普及に彼は大いに貢献した。1963年(昭和38年)のザ・デストロイヤーとのWWA世界選手権の視聴率は、未だに64%で歴代4位の記録が残っている。
又、当時日本の総理大臣の名前は知らないが、力道山の名前は知ってる外国人も多く、郵便物は「JAPAN 力道山」で届いたという。力道山の本名は、百田 光浩(ももた みつひろ)だそうだが、元々15歳で朝鮮から来日したらしく、朝鮮名は金 信洛(キム・シルラク)と言うらしい。身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg。朝鮮在住時代に既に結婚しており子供もいたことからみて、実際は公称生年月日よりも5年くらい早く生まれていると思われる。彼は朝鮮人だ知られる事を極端に嫌い、力道山主演映画「力道山物語」でも「長崎県の貧しい農家で生まれ育った」という設定になっていたと記憶している。
二人の実息も父親が朝鮮人だと言う事を力道山の死後知ったらしい。ジャイアント馬場や大木金太郎、アントニオイ猪木などのプロレス界のスターを育て日本プロレス界の礎を築いた彼も、1963年12月暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員であっ村田勝志と足を踏んだ、踏まないで口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。その傷がもとで一週間後に化膿性腹膜炎で39才?の若さで命を落とすが、力道山のバックについて莫大な富を築いていた暴力団東声会は、資金源を失い住吉との抗争事件に発展したのである。
当時、プロレスや相撲、歌手など芸能界の興業には、常に恐そうなお兄さんたちがうろついるというのが常識だったのである。
ある友人から、JR新橋駅の発車メロディが『ウイスキーがお好きでしょ』になって、話題になっているとのメールを貰った。その友人は、「朝からハイボールが飲みたくなるから危険!(笑)」とメールを締めくくっていた。調べてみると、ウイスキーでお馴染みのサントリーが、JR東日本に発車メロディーにCMソングを起用したいと提案して実現したそうだ。『 広告発車メロディー 』として7月19日から限定1ヶ月間の契約で、サントリーがサラリーマンの飲み屋街で有名な新橋駅の全ホームで流し始めたようだ。但し、好評であれば期間延長も有り得るらしい。
この歌は、元々「サントリークレスト12年」というウイスキーのCMソングとして企画制作され、石川さゆりが発表した楽曲である。2007年から小雪出演のサントリー角瓶のCMソングとしてリバイバル使用された。 曲調が演歌ではないため、CM画面上の表記は「Song by SAYURI」とされ、後にシングルとしてリリースする際も「SAYURI」名義でリリースされた。又、2009年2月から2010年3月にかけてはゴスぺラーズよるアカペラバージョンが、 2010年4月からは竹内まりやバージョンが使用されているようだ。
因みに私のお酒との出会いは、サントリーが寿屋と言っていた時代の甘味果実酒「赤玉ポートワイン」が最初だ。結構好きだったので中学の修学旅行に当時のガールフレンドが、『キャッシー』と名付けられた小瓶をワザワザを持ってきてくれた。次がこの亀甲模様の瓶に黄色いラベルを貼った「角瓶」だった。中学時代、この「角瓶」を盗み飲みして、おふくろにえらく叱られた憶えがある。1937年に、上級ウイスキーとして発売された「サントリーウイスキー12年」が、後に「サントリー角瓶」と改称されたのである。
スコットランド仕込みのウイスキー職人の竹鶴政孝が、草創期から長らく貯蔵・蓄積された原酒をブレンディングベースに、サントリーの創設者鳥井信治郎が社運をかけて発売したもので、サントリーが現在有るのはこのウイスキーのお陰だ。日本人好みの高級ウイスキーとして、その牙城は1950年の「オールド」発売まで続いたのである。近々、私も新橋駅でこの『ウイスキーがお好きでしょ』を聞いた後、久し振りに"角"のハイボールを楽しみたいと考えている。
<左:1922年(大正11年)の「赤玉ポートワイン」の宣伝ポスター/右:ギンギンに冷やした角瓶で作るハイボールを「とろ角ハイボール]と言うらしい?>
1910年8月22日、「韓国併合に関する条約」に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合したのが日韓併合(にっかんへいごう)又は、朝鮮合併(ちょうせんがっぺい)、日韓合邦(にっかんがっぽう)などと呼ばれる歴史な出来事だ。(韓国では韓日併合、中国では日韓併合と表記する)。韓国併合によって大韓帝国は消滅し、大日本帝国はその領土であった朝鮮半島を領有した。併合に時代は、日本が第二次世界大戦で敗れ、1945年9月2日に「ポツダム宣言」を受諾した段階で正式に大日本帝国による35年間の朝鮮支配は終了した。
"併合"から丁度100年経った節目の今年、韓国の市民団体は日本に対し天皇陛下の謝罪を求める訴訟を起こすとの憶測が流れている。折しも政府は27日、30日に予定していた2010年度版「日本の防衛」(防衛白書)の閣議了承と公表の延期を決めた。白書を巡っては毎年、竹島(韓国名・独島)を「わが国固有の領土」とする記述に、領有権を主張する韓国が抗議しており、今年が日韓併合100年となることを踏まえ、韓国側に配慮するため反対する防衛省を振り切り、官邸主導で公表時期をずらしたとみられる。
1945年(昭和20年)8月15日、戦後50周年の終戦記念日にあたって当時の村山富市・内閣総理大臣が、閣議決定に基づいて談話(村山談話)を発表した。内容は、今日の日本の平和と繁栄を築き上げた国民の努力に敬意を表し、諸国民の支援と協力に感謝する第一段、平和友好交流事業と戦後処理問題への対応の推進を期する第二段、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表す第三段、国際協調を促進し核兵器の究極の廃絶と核不拡散体制の強化を目指す第四段からなっている。
この談話は、以後の内閣にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解としてしばしばとり上げられる。ところが、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た事を「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」した第三段と、1993年に当時宮沢内閣の河野洋平官房長官が存在を認めた(河野談話)、所謂「従軍慰安婦問題」などへの対応を示した第二段については、「土下座外交」と論争の的ともなっている。
仙谷由人官房長官は16日午前の記者会見で、8月の日韓併合100年に合わせて菅直人首相の談話を出す可能性について、「何らかの見解を示すことが必要かどうか、多少イメージしている。どうするか確定的なことは考えていない」と述べた。韓国の朝鮮日報(電子版)が16日付で、日本政府が今夏に日韓併合に関する首相談話の発表を検討していると報じていた。果たして、「防衛白書」の公表延期に続く、"菅談話"発表による「土下座外交」?は、今後も続くのだろうか?
<日本が統治する前と統治中のソウル南大門通り>
7月27日(火) ≪コマツが2位に後退した訳?≫
日経新聞が纏めたところによると、2009年度の「主要商品(100品目)・サービスシェア調査」の内、12品目で首位が交代したらしい。景気の低迷で消費者心理が冷え込む中、価格対策や販売戦略を明確に打ち出し、購買意欲をかき立てた企業が勝利したようだ。ビール系飲料では、9年振りに「キリンビール」が微差で「アサヒビール」をかわし、カーナビでは「三洋電機」が「パイオニア」を追い越した。コピー機では、「リコー」が「キャノン」を押さえ、DVDソフトでは「エイベックス」が「ポニーキャ二オン」を、音楽ソフトでは逆に「ソニー・ミュージック」が「エイベックス」を、凌駕した模様である。
我々建設機械業界でも油圧ショベル部門(自重6t以上)で、中小型機を中心に販売攻勢をかけた「日立建機」が、「コマツ」(小松製作所)を抜いて29年ぶりに首位に立った。このニュースは我々にとって、1998年にアサヒビールが45年ぶりキリンビールを抜いて首位に返り咲いた時と同じくらいの衝撃的なニュースだ。コマツは、「キャタピラー社」に次ぐ建設機械では世界2位のシェアを誇るグローバル・カンパニーで2006年度、2007年度の優れた会社ランキングで、トヨタやキャノンでを抜き1位となった企業だ。
如何に不景気で2009年度の油圧ショベルの販売台数が、前年度比マイナス49.6%の10,274台に落ち込んだとは言え、コマツのシェア自体がマイナス5.7%と低迷した事は何らかの要因が有るだろう。今我が国の建機レンタル業界は、農機具同様にショベルメーカーが参入し、混戦模様だ。コマツは「コマツレンタル」、日立建機は「日立建機レック」という、それぞれ全国に9ブロック売り上げ約450億円、8支店売り上げ約350億円の直系レンタル子会社を運営している。
御承知の通り、我が国の油圧ショベルは世界でもトップクラスのメーカーが犇めいており、特にコマツは中国・東南アジア・ヨーロッパ・アフリカを中心に抜群の知名度を誇り、総生産台数の7~80%は海外に依存していると言われている。従って、景気が低迷しているお膝元の日本国内を軽視したのではないだろうか?一方、コマツは昨年の4月に独立系の「BIG RENNTAL」を統合し、国内では油圧ショベルを中心にあらゆる機械のレンタルを積極的に展開してきた。シェアが4.4%アップした日立も一昨年の4月に、全国のレンタル子会社8社を統合して現在に至るが、両社にどんな政策の違いがあったのだろうか?
一つ言える事は、日立が同業者との軋轢を避け調和を重視した?のに比べ、コマツは斟酌せずにドラスティックに展開した結果、我々レンタルユーザーにそっぽを向かれたのである。日本の油圧ショベルの歴史は、半世紀になんなんとするが、前にも述べた通りその技術は世界の超一流クラスである。これは偏に、我々ユーザー共に日進月歩で築き上げて来たものである。そのマザーカンパニーであるメーカーが、子供たちを苛めたのでは、我々も乳離れをせざるを得ないのだ。
<シェア首位が交代した12品目>7月26日(月) ≪賢者の散策とバカの棒振り≫
灼熱の太陽のもと、昨日1.5ラウンドのゴルフプレーをこなした。場所はホームコースの「やさと国際ゴルフクラブ」、メンバーはいつもの石井ちゃん(S16生まれ)、精(せい・S15生まれ」)ちゃん、そして公(きみ・S40生まれ)ちゃんの3人である。真に以て元気な連中だが、ゴルフをやらない人たちは、「何でこんな暑い日に?」と訝しむ事だろう。しかし、芝生から立ち昇る熱気の中、汗を拭き拭き白球を打つ醍醐味に、何故か飽きは来ない。私にとって今年29回目のゴルフのスコアは、暑さのため集中力を欠いたため?、ドライバーとパターが芳しくなく、46-46-44だった。これで今年の1ラウンドの平均スコアが、93.6なので贅沢も言えまい。
これは、ゴルフ会員権売買を生業とする大学時代の後輩の請け売りだが、ゴルファーは2種類のタイプに分けられると言う。「スコアだけが大事な人と、スコア以外にも何かを求めようと人」にだそうだ。言葉を換えると、「ゴルフが似合う人とそぐわない人」、「上品と下品」、「知性的な人と無知な人」、「一緒にプレーしたい人と絶対にゴメンという人」、「精神貴族と成り金の悪趣味」そして「賢者の散策とバカの棒振り」と言った具合に両者は、鮮明に線引き出来ると言うのだ。
確かに、「やさと」のメンバーの中にスコアに固執する余り、周りに迷惑をかける人を1人知っている。或る日、偶々一緒になる機会があったが、とあるコースで大叩きしキャディさんに当り散らしたのである。余りに口汚く罵ったため、同伴のメンバーが一言注意したところ、それが気に喰わなかったらしく途中でプレーを放棄し帰ってしまった。このような姿は、「ベニスの商人」に登場する強欲な金貸し「シャイロック」を連想させる。本人は気付かないのだろうが、スコアという名の悪魔に「分別」まで売り渡してしまい、周りから「軽蔑」を買う事になるのだ。
くだんの後輩曰く、スコアが気になる人は、思い切ってスコアカードなどを持たずプレーしてみろと教えてくれた。この快挙は間違いなく、 マナーの向上に繋がり普段よく見えなかった周りの景色や四季の移ろい等が、鮮明に見えて来ると言うのである。近々、是非一度実行してみたいと思っている。
7月23日(金) ≪「傷だらけの人生」・・・鶴田浩二≫
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます。どこに新しいものががざいましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左もまっ暗闇でござんせんか」"♪何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬ事ばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある♫" 任侠の世界を歌ったこの台詞(せりふ)入りの歌は、1971年(S46)に、47才の「鶴田浩二」が歌った大ヒッ曲である。昨日のブログで62才で没した彼に触れたが、彼を知っているのは今では恐らく40才以上の人達だろう。
私が、初めて鶴田浩二を知ったのは若き特攻隊員の苦悩を描いた『雲ながるる果てに』(家城巳代治監督、1953)を見た時からである。子供ながらに戦争の悲惨さ・残酷さと無情さに心痛めた事を思い出す。鶴田は、この映画に主演して以来、特攻隊の出身で「特攻崩れ」だとしていたが、実際には整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場だった。戦後、「特攻崩れ」を名乗るのが一つの流行でもあったが、鶴田はあまりにも有名人であるため同じ隊の戦友会にばれ猛抗議を受けるが、一切弁明はしなかったと聞く。黙々と働いては巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、「日本遺族会」にも莫大な寄付金をしたそうだ。
鶴田は、実の父親から認知されない所謂「私生児」で生まれ、義父に嫁いだ母親が遊郭で働いていたため、目が不自由な祖母から育てられそうだ。祖母が逝去し母会いたさに、遊郭へ一人で向かったが客商売の仕事中だった母は相手にしてくれなかった。その上、義父は博打好きであったため、性格が暗く、それが逆に大衆に受け石原裕次郎が出現する前までは大スターだった。1953年(S28)1月6日午後7時頃、彼は山口組に襲われた。所謂「鶴田浩二襲撃事件」である。
鶴田は美空ひばりの芸能界の兄貴的存在であり、美空の後ろ盾である山口組の三代目組長田岡一雄とは旧知の間柄であったにもかかわらず起きた事件だった。後に田岡は鶴田と会う機会があったが、田岡は脅しや暴力に屈しない鶴田の筋を通す生き方を認め和解、親交を深める事になっていく。「三代目の前で堂々としているのは鶴田ぐらいのもの」と周囲が驚くほどであった。当時トップスターを襲ったこの事件は大きく報道され、まだ一地方の組であった山口組が一気に全国的知名度を持つことになった。それと同時に山口組の機嫌を損ねるとひどい目に遭うという恐怖を日本の芸能界興行界に定着させることになったのである。
今「相撲界」が、この手合いの輩たちとの繋がりで世間を騒がせている。彼らに言いなりの印象が強く、鶴田のように腰の据わった相撲取りは、今は居ないのだろうか?
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7月22日(木) ≪1987年(昭和62年)の出来ごと≫
1987年11月29日に二人の男女が平壌の順安飛行場から、モスクワ、オーストリア、ベオグラード、を経てバグダッドに到着し、そこからKAL858号機に乗り込んだ。アブダビでパナソニックのAM/FMラジオRF-082型に偽装した時限爆弾と、酒瓶に詰めた液体爆弾を青のビニール製ショッピングバッグに詰め、座席 (7B、7C) の上の棚に置いたまま二人は飛行機を降り、バーレーンに、向かう。 その後、KAL858号機はミヤンマー上空で失踪。アブダビで大韓航空機から降りた搭乗者の名簿を韓国の国家安全企画部がチェックした結果、不審な日本人2名の名前が浮んだ。
「蜂谷 真由美(はちや まゆみ)」と名乗った日本人女性の旅券を日本の警察に照会した結果、偽造であることが発覚した。事件後に現地バーレーン警察に捕まる直前、「蜂谷 真一」という日本人になりすました金勝一(キム・スンイル)と一緒に煙草を吸うふりをして服毒自殺を図るが、北朝鮮工作員である「真由美」こと「金賢姫(キムヒョンヒ)」当時25歳だけは一命を取りとめた。これが「大韓航空爆破事件」の顛末である。私は、この「スパイ小説」まがいの事件のニュースを、その年約5年振りに九州から戻って来た東京で聞いた。
一昨日、その「金賢姫元死刑囚」が超法規で初めて日本の土を踏んだ。23年前の事とて、拉致家族に関する情報は2002年10月に帰国した蓮池薫氏を含む5名以上のものが出てくるとは信じ難い。民主党政権の政治的パフォーマンスと言われても仕方がないが、滞在先の軽井沢は詰めかけた報道陣で、街中のお昼の弁当が売り切れる程ごった返しているらしい。さて、この「大韓航空爆破事件」が起きた1987年(昭和62年・卯年)とは、どんな年だったんだろうか?ひも解いてみるのも面白かろう!
<政治面> 11月6日-戦後第3位の長期政権中曽根内閣の終焉と同時に竹下内閣発足。 竹下首相は新型間接税導入を翌年秋に実現することを決意。
<経済面> 10月19日-ニューヨーク株式市場が大暴落(ブラックマンデー)世界同時株安に陥る。 我が国でも一時2万5000円代を付けた東証ダウが、円高ドル安不安で2万1000円台に暴落。
<社会面> 3月17日-アサヒビールが日本初の辛口ビール「アサヒスーパードライ」を発売。 4月1日-国鉄が分割・民営化され、JRグループ7社が発足。 5月3日-朝日新聞社阪神支局襲撃事件(赤報隊事件)。 10月12日-利根川進マサチューセッツ工科大教授がノーベル生理学・医学賞を受賞。
<スポーツ面> 4月29日-競馬天皇賞でミホシンザン優勝。 6月13日-広島東洋カープの衣笠祥雄 選手が連続試合出場2131の世界新記録を樹立。 10月9日-巨人の4年振りセ・リーグ優勝決まる、王貞治監督は就任4年目で初の胴上げ。 11月12日-巨人の江川卓が現役引退。 大相撲九州場所十一月場所: 千代の富士貢が15戦全勝で22回目の優勝を飾る。 プロゴルフの賞金王に男子はデビット・イシイ、女子は大迫たつ子が輝く。 その他、我が国で初めてビーチ・バレーの大会が湘南の海で開催。
<芸能面> 6月16日-俳優・鶴田浩二が死去。(享年62)。 7月17日-俳優・石原裕次郎が死去。(享年52)。 9月10日マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート。 9月20日-おニャン子クラブが解散。
<この年に生まれた人々> 長澤まさみ/市原隼人(共に俳優) 織田信成(スケート) マリア・シャラポア(テニス) リオネル・メッシ(サッカー)
<歌う映画スターの走り鶴田浩二と若き日の石原裕次郎>
興味の有る方は、実物を確認したりネットで御調べになって答えはお判りと存じますが、お答え致します。
第1問の答え・・・一万円札が平等院の「鳳凰像 」で、五千円札が:尾形光琳の「燕子花図」 (カキツバタ)そして千円札が「富士山と桜」(詳細後述)のデザインです。
第2問の答え・・・宮沢喜一蔵相は2000年4月の閣議で、二千円札を7月19日に発行する、と報告した。元々、二千円札は小渕恵三前首相の発案で、政府がミレニアム事業の一つとして沖縄サミット前に発行することを決めていた。ところが始め宮沢が、沖縄が琉球王国当時それ自体中国の属国の象徴である「守礼門」の図柄採用に大反対した。困った小渕は、交換条件として宮沢が好んだ「源氏物語絵巻」を裏面に採用する事に依り、発行に漕ぎつけたそうだ。(これ、嘘の様なホントの話!)
第3問の答え・・・ネズミ(明治18年発行の「旧十円券」/昨日のブログの写真の「大黒様」の足元に居ます)・猪(明治23年の「甲十円券」)・馬(昭和19年発行の「い五銭円券」)・ニワトリ(昭和21年発行の「A一円券」)・鳩(昭和22年発行の「A十銭券」)・ライオン(昭和32年発行の「C五千円券」)・雉(昭和59年発行の「D一万円券」)・丹頂鶴(同年発行の「D千円券」)の8種類です。
第4問の答え・・・4番の「ねずみにかじられた大黒様」です。理由は みつまたの皮を漂白し、紙質を強くするため「こんにゃく」の粉を用紙にまぜたのが原因だそうです。
第5問の答え・・・縦は76ミリで4種類共同じです。横は一万円券が160ミリ・五千円券が156ミリ・二千円券が154ミリ・千円券が150ミリです。但し、湿度に依り若干伸び縮みする¿ようです。
第6問の答え・・・旧五千円札と新千円札には、御覧の通り「逆さ富士」が描かれています。ところが、よ~~く見比べると、あらら?微妙に違いがあるようです。この二つのお札の富士山、作者が違うのでしょうか?それにしてもアングルはどうも同じように思えます。実は、この旧五千円札は、写真家 岡田紅陽(1895年―1972年)の撮った本栖湖の逆さ富士の写真「湖畔の春」を基にデザインされたものだそうです。それが左下の写真です。岡田紅陽は、その生涯をかけて富士山の写真を撮り続けた富士山写真の先駆者だったようです。新千円札の富士山のデザインも、同じ「湖畔の春」をモチーフにして印刷されたものです。デザインですので微妙に違うのと、造幣局に確認したところ、旧五千円札と差別化を図るため、「新千円札は左下に「桜の花」をあしらってみました」との事でした。
皆さん、少し利口になりましたね!(^-^)
今から10年前のミレ二アル年の7月19日、沖縄サミット開催を記念して二千円札が発行された。沖縄以外で殆ど見なくなったこのお札の表には、左側に「弐千円」の文字等を配し、右側に沖縄首里城の「守礼門」を配してある。戦後初の「1」と「5」以外の単位の通貨(過去には2銭、20銭、2円、20円、200円の硬貨や紙幣が存在した)であること、表面のデザインが人物でないこと(建築物は戦後の国会議事堂以来)、更にかつてなかった最新の偽造防止技術が多数採用されていることなどにより、発行前から注目を浴びていた。
この他現在発行されている「日本銀行券」は、一万円札・五千円札・千円札の3種類であるが、ご承知の通り全て表側に人物の肖像が採用されている。二千円札は、裏にご覧の通り源氏物語絵巻第38帖「鈴虫」の絵図と詞書(ことばがき)及び作者の紫式部の肖像が採用されている。図柄の採用には色々理由や経緯があるようだが、その歴史をひも解いてみると、その時の時代背景や流行り等が透けて見えて楽しいものである。ではここで皆さんに、いくつかの「お札(日本銀行券)クイズ」に挑戦して貰おう!
第1問:現在皆さんのお財布の中にある一万円札・五千円札・千円札の裏面に印刷されているのは何でしょうか?今すぐ財布を開いて見てみてください! 第2問:二千円札の表のは「守礼門」が印刷されていると書きましたが、裏が何故アンマッチな「源氏物語」なのでしょうか? 第3問:過去お札には、古来瑞兆と尊ばれている想像上の鳥「鳳凰」(ほうおう)以外に8つの動物が採用されているが、それは何でしょうか?言い当ててみてください。(ヒント、十二支の内の4つが採用されいます)
第4問:1885年(明治18年)に発行されたお札第1号に描かれていた図柄はみな大黒様でした。さてこのお札第1号!、問題がおきてしまったため、わずか3年で姿を消してしまいました。さてどうしてでしょう?次の4つ中からお答えください。①お札同士が不良インクのためくっつきやすかった②大黒様が消えちゃった③外国人に大黒様をバカにされた④ねずみにかじられやすかた 第5問:アメリカの紙幣は、インクの色が緑であることから「GREEN BACK DOLLAR」とも呼ばれます。紙幣の大きさが金額に関係なくどれも同じで判り難いと言われますが、日本の紙幣は大きさを少し違えています。ではどれが一番大きくて、縦横どのくらい違うのでしょうか?これも実物を計ってみれば判りますよ! 第6問:今の千円札の裏側に写っている風景は、旧五千円札にも同じような図柄が印刷されています。果たしてそれは誰が、どこから撮った写真をデザインしたものでしょうか?又、それは同じものなのでしょうか?
(答えは明日のブログのお楽しみとしま~す!)
日本文学振興会は、15日第143回芥川賞に赤染晶子氏の『乙女の密告』を、同じく直木賞に中島京子氏の『小さいおうち』を選出した。ご存知の方も多いだろうが、芥川賞・直木賞とは正式には「芥川龍之介賞」「直木三十五(さんじゅうご)賞」と言い、二人と親しかった菊池寛が文学の振興を図ろうとして提唱し、1935年(S10)に始まったものである。戦時中は一旦j中止されたが、1949年(S24)に再開され、以来毎年2回の受賞が行われる我が国では最も権威のある文学賞である。
芥川賞は、新聞や雑誌に発表された純文学の短編作品中最も優秀なものが選ばれるため、主に無名若しくは新進作家が対象となる。過去に、石原慎太郎・大江健三郎・庄司薫・村上龍・池田満寿夫・高樹のぶ子・荻野アンナ・辻仁成などが受賞しており、比較的女性の受賞も多い。一方直木賞は、同人雑誌や既に単行本として発表された長編の大衆文芸作品の中で最も優れたものに贈られるため、多くは新進・中堅作家が対象になる。過去に、川口松太郎・海音寺潮五郎・井伏鱒二・山本周五郎・池波正太郎・山崎豊子・司馬遼太郎・城山三郎他そうそうたるメンバーが名を連ねている。
実は今回、シリン・ネザマフィという耳慣れない名前の女性作家が芥川賞の候補に挙がっていた。彼女はテヘラン出身の30才のイラン人女性で、2000年に来日し神戸の学校を卒業後パナソニックに入社、システムエンジニアリングをしながら小説を書いていたという。今回は「拍動」という作品でノミネートされたが、残念ながら落選した。彼女は、日本語で執筆しているらしく、只でさえ日本語は難しいのに漢字圏以外の国の人が日本語で小説を書くのは容易ではなかったろう。彼女は、テレビのバラエティー番組に表示される日本語字幕を活用し日本語と話し言葉独特の表現を勉強したという。
私の記憶が正しければ前回も候補に挙がっていた彼女だが、注目集めたのはご覧の通り大変な美人でもあるからだ。しかし、きっと近い将来彼女は芥川賞を実力で物にするだろう。私は、このブログを書き始めて改めて文章を書く難しさを痛感している。特に、「起・承・転・結」の結の部分に頭を悩ますのだ。今日の「結」も、又々お粗末なものになってしまった!
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昨晩、正月以来長男・次男とその家族を含む藤本家一党8人がJR大塚駅前の或る店に打ち揃った。その店の名前は、「はま勢」、今週末で四半世紀に亘る歴史を閉じる。その店のオーナーは丸山守康氏で、私の二男篤嗣(あつし)の妻由紀乃の父親である。彼は、昭和15年生まれで今年「古希」を迎えるが、青山学院時代に当時としてはやる人も少ないスポーツだったアメリカンフットボールで明け暮れていたらしい。今でも毎日トレーニングを欠かさない偉丈夫であるが、小柄で淑(しと)やか、それでいてしっかり者の奥様千眞子さんとは或る意味好対照だ。お二人は、慰労の目的で行った我々家族のため逆に昨日は貸し切りでもてなしてくれた。
彼の性格は、例えれば長嶋茂雄タイプで細かなことに頓着せず、人と会話してる時は絶えず笑顔を絶やさない好漢である。つい最近も、総理大臣を辞したばかりの鳩山由紀夫氏がわざわざ別れを惜しんで、寄ってくれたらしい。弟の邦夫氏も或る日、ぶらりと寄ってくれたという。彼は元々画家志望?だったらしく二男夫婦の結婚式のパーティのウエルカム・ボードには、彼自身の手になる若い二男夫婦が互いに見つめ合う油絵が供されていた。従って、ガラス窓他に張られた絵や「お品書」は、全て彼の作品である。彼にとって、ラガーマンだった二男は、似たような格闘技兼ボールゲームをやる同士であり、大の仲良しだ。
写真を撮り損ねたがもう一方の壁には、大柄な彼と市ヶ谷自衛隊駐屯地で45歳で自ら命を絶った小柄な「憂国の士」、三島由紀夫が肩を並べた珍しい写真が飾ってある。何でもウエイトトレーニング仲間だったらしく、当時から三島は常々「死に方というのは、人間の生き方と同じで非常に重要だ。僕は文士として死にたくない。絶対に嫌なのだ」と言って憚らなかったらしい。この店は、来週から解体業者が入って解体し始める事になっているらしく、さぞかし断腸の気持ちと思いきや、ご本人は元々70歳までと決めていたらしくサバサバしたものだ。寧ろこれからは夫婦で旅行や趣味の領域の何にでもチャレンジ出来ると奥様の千眞子さんも満足げである。
斯く言う私も実は第一線での商売は70歳までと心に誓っているが、果てさてその通り実践できるかどうか不安の毎日である。昨日は物事を成し遂げたお二人の優しい笑顔が、やけにまぶしく見えたのだった。
年3回実施されているTL会(東京建設機械リース業協会)ゴルフコンペが,昨日千葉県の「中山カントリークラブ」で開催された。昭和40年代後半から始まったこのゴルフコンペも、40年近い歴史の中で今回で、回を重ねる事136回目となり9組35名の参加を得る盛大な大会となった。今回の会場となった「中山カントリークラブ」は、1961年に開場した歴史ある名門コースでそのコースレイアウトは関東でも10指に入ると言われている。クラブハウスは開場当時の古いままだが、「名物の吊橋」を渡るとそこにはパノラマのような広々としたフェアウェイが待ち受けていて、いやがおうでも挑戦者のはやる気持ちを掻き立てる。
昨日はコーライグリーンでのプレーだったが、コースレートも72.6と決して易しいほうではない。今年3月の「浜野GC」での大会で優勝した私は、ディフェンディングチャンピオン?として何とか恥ずかしくないスコアーで回りたいと思ってスタートした。メンバーは私が希望した通り幹事が気を遣ってくれたらしく、機電サービスの石井社長、アールアンドアールの橋本常務、カネタニの金谷社長と日頃から親しくさせて頂いている品格ある?文句が付けようもない方々である。ゴルフ会会員以外も参加したオープンコンペなので、新ペリアで集計したが結果は89ストークのHDCP15.6のネット73.4で、4位とまずまずであった。
4位の商品は無かったが、「小波賞(45-44)」と「ニアピン賞」それに「バーディ賞」を二つゲットした。バーディは珍しく二つのミドルホールで取ったものだが、一つはチップインバーディで旗竿に当ってホールに吸い込まれたものである。ドライバーは左右にぶれて芳しくなかったが、パターが冴えて28パットと過去に例を見ないもの予想外の好結果となった。ゴルフをやらない人達は、「何故こんな競技に熱中するのだろう?」と思われるだろうが、兎に角楽しい「紳士のスポーツ」なので是非一度やってみられる事をお勧めする。
私は、叶わない事だろうが90歳まで生きて是非エイジシュート(年齢以下のストロークでプレーすること)を達成したいと思っている。(●^o^●)
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<名物の吊り橋とスコア集計表(クリックしたら大きくなります)>
7月13日(火) ≪二人の「飲み屋」の親父さんたち≫
昨日の夕方、一人の友人を上野の「永寿総合病院」に大学時代の同級生吉原君と昆ちゃんと一緒に見舞った。その友人とは、三関雄三(みせきゆうぞう)君で上野駅前の「丸井」の裏で、「ふみ作」(03-3834-2339)という「飲み屋」を経営している。経営していると言えば聞こえがいいが、彼が料理して奥さんの薫さんが給仕をしたり、お客の注文でお酒を作ったりしていると言った方が正しいだろう。雄三とは、中大付属高から中央大学の同級生で、大学時代には「モンスターズ(怪物たち)」というフォークソングバンドを組んで、共に学生時代を大いに謳歌した得難い仲間である。
その彼が、食道ガンの手術を去る6月30日に受けたそうだ。今から約1カ月ちょっと前に、「ふみ作」をブラリと訪ねた際に、「藤本、俺明日胃カメラを飲むので一緒に飲めないんだよ」、「食べ物がつっかえて飲み込み辛いんで検査するんだが、初めてなんで不安なんだ」と言っていた事を思い出す。私は、10年以上前から胃カメラを毎年飲んでいるので、「雄三、全然平気だよ!なんなら俺の行きつけのクリニックの先生を紹介しようか?上田先生と言って胃カメラ検査じゃ日本では5本の指に入る名医なんだよ!」という「会話を交わした。
術後約2週間の彼は、私たちの心配をよそに大変元気だった。帰りに、薫さんと娘のユカが手伝って開けている「ふみ作」に寄った。薫さんは、昔近くの今は無き「アール」という喫茶店でウエイレスとして働いていたのを雄三が見染めたのである。先週雄三の様子うかがいに電話したした際、「雄三は元気だよ、店は私が手伝って、薫さんがやってるよ!」とまるで両親を友達扱いしている31歳になったユカとは、当然彼女が赤ちゃんの時からの付き合いだ。雄三は高校時代から吸っていた1日30本のタバコをやめたそうだが、早く我々と一緒に飲める日が来るのを祈って止まない。
山手線の大塚駅前にあるもう一つの「飲み屋」さん、「はま勢(せい)」は今週末で約30年培ってきた歴史を閉じるそうだ。この店もオーナーである丸山守康(まるやまもりやす)氏が奥さんと二人三脚で経営してきたお店だ。実は彼は、私の二男篤嗣(あつし)の嫁の父親で、昔青山大学のアメリカンフットボールで鳴らしたスポーツマンである。流石に、昭和16年生まれの寄る年に限界を感じると同時に、孫たちと触れあいを楽しむ老後を優先するために今回の決断を下したそうだ。私も何回かお邪魔して美味しい料理を頂いたそのお店に、明後日の14日に二男の家族は勿論のこと、長男の達也家族を伴って「ご苦労さま!」を言いに訪れる積りでだ。
この雄三と丸山氏に共通することは、素人ながら「水商売」の世界で店を興し、常連さんを相手に永い歴史を育んで来たことである。そして雄三は3人のお子さんたちを、同じく守山氏は2人のお子さんたちを立派に育て上げた。ただただ敬服するばかりである。
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昨日の参議院選挙で政権政党の民主党が大敗し、参議院での与党の過半数割れが確定した。共同通信が全国で実施した「出口調査」によると、民主党は3年前の前回の参院選で、特定の政党を支持しない無党派層からの支持が5割を超えていたが、今回は3割以下に急落した。このことが与党過半数割れの要因となったとみられる。直接的な敗因は、消費税の問題他いろいろ取り沙汰されているが、昨年の民主が掲げた「政権交代」ブームが過ぎ去った事に加え、菅さんの不人気が災いしたように思う。それが証拠に、管さんが応援演説に出向いた都道府県で勝利したのは、輿石参議院会長の所だけで、勝率は1勝14敗と散々だった。
7月1日のブログでも取り上げた通り、今回の参院選でも多くのタレント候補が立候補したが、結果知名度抜群の谷亮子は別として、池谷幸雄・原田大二郎・庄野真代・岡崎友紀・岡部まり・桂きん枝など民主から出馬したタレント候補の多くが討ち死している。特に大阪の人気タレント岡部が落選したのは意外だった。もっともタレント候補で当選したのは、片山さつきなどの元小泉チルドレンを除くと、石井浩郎(自民)・三原じゅん子(自民)など少数である。その他にも落選組には、元「巨人軍」の堀内(自民)や中畑(立ちあが日本)など居るが、野球同様最近の「巨人軍」(石井はもともと近鉄)の凋落傾向?を表わしているのかもしれない。
とjころで、当選した谷や石井、三原は本日只今から「先生」と呼ばれるのだろうか?「先生」とは中国で生まれた言葉で、読んで字のごとく「先に生まれた人」、要するに先輩だけを指すものだった。我が国でも「鎌倉時代」頃までは「せんじょう」と言い、そうだったようだが何時の日からか「教育者や教育家」即ち教育に関して十分な技術や経験を持った人を指すようになった。学校の先生が正しくそうだが、それが転じて、教育者に準ずる者(家庭教師・塾講師・保育士)、芸術家( 音楽家・画家・建築家・漫画家)、文筆家(作家・評論家)、宗教家(僧侶・牧師)、専門職(医師・弁護士)そして政治家(国会議員・地方議員・政党役員)などをそう呼ぶようになったのだ。
昔は、政治家には政治家から教えを請う書生や、秘書が大勢いた。そして彼らは政治家を先生と呼んだのだ。今は、政治家が彼らから「政治のいろは」を教わる?時代になってしまった。今回当選したタレント議員が「先生!」と呼ばれた時、「先生って誰?」と答えて周囲を戸惑わせる事だろう。
昨日、「全国建設機械器具リース業協会」の荒井前会長、末田前副会長兼流通委員長そして大屋前専務理事お三方の慰労会を総勢11名で「THE XIV HAKONERIKYU」(エクシブ箱根離宮)で催した。ここは、今テレビのコマーシャルでもお馴染みの会員制リゾート倶楽部エクシブシリーズの20番目の施設として今年3月にオープンしたばかりの豪華な宿泊施設である。場所は、箱根宮の下の「富士屋ホテル」のはす向かいに有り、江戸中期からの老舗旅館「奈良屋旅館」の跡地に建っている。
エントランスに入るとご覧のオブジェが客を迎えてくれ、黒服の男女従業員がすっ飛んで来てくれた。部屋はゆったりとした禁煙の2ベッドルームで、料金は1部屋25,000円らしく3人で泊まったのでパーヘッド8,000円強とリーズナブルな値段である。勿論食事代は別だが、我々が宴会を行った会席料理の「花暦」(はなごよみ)の一品一品は、洒落た器に品よく盛られ味も大層美味しかった。
その他にも、中国料理、イタリア料理、炭焼き、鉄板焼きレストランカフィラウンジ、バー、スパ、露天風呂、ショップ他多数の施設が有るらしいが、特に露天風呂「三日月の湯」は至極の時を満喫出来るものだった。ここを経営するのは、リゾートトラスト株式会社と言う会員制リゾートホテル「エクシブ 」はじめ、シティホテル「ホテルトラスティ」などを運営する1973年に設立された東証1部のリゾート会員権を売る企業である。
我が国におけるリゾート会員権のシェアはトップであり、日経流通新聞が毎年行っているサービス業総合調査によると、会員制リゾートクラブ部門15年連続売上高No.1である平成不況下の「失われた10年」を中心にリゾート地で大型施設を建設したり、初島クラブのようなバブル期の過剰投資によって破綻した企業から物件を買収するなどして規模を拡大している。始めてここを利用したが居心地も良く、是非次回も他の施設を含め紹介して貰って、家族連れ?で行きたいものである。
ただし、この企業は急成長の裏で「奈良屋旅館」や「天野屋旅館」等の登録有形文化財を解体していると聞いて、少しガッカリしたところだ。(--〆)
<写真をクリックすれば大きくなります>
7月8日(木) ≪「浴衣(ゆかた)」の魅力≫
昨日は「七夕様」だった。七夕とくれば私は、笹の葉や短冊の他に「浴衣(ゆかた)」を思い浮かべるが、皆さんは如何だろうか?最近若い人を中心に「浴衣」が見直されているようだが、逆に私が「浴衣」から連想するものには、次のようなものが有る。"花火(大会)"、"夏祭り"、"盆踊り"、"縁日""金魚すくい"、"風鈴"、"団扇"、"縁台"、"下駄"、"朝顔(市)"、"スイカ"、"打ち水"、"温泉宿"などなど概ね暑い日に涼を呼ぶものが殆どだ。際どいところで、女性の"うなじ"、"後れ毛"、"ふくらはぎ"等を連想する私は、少し異常?だろうか(*^_^*)
そんな輩を期待してか、女性が居る「飲み屋さん」では最近ちょくちょく「七夕祭り」や「ゆかた祭り」と称してイベントを行っているようだ。東南アジアや中国を中心とする海外でも、日本人相手の「飲み屋さん」でも同様の試みが行われているという。元々「浴衣」は、平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる。この時代では、。この時代、沐浴するための衣とされていて、複数の人と入浴する機会が多かった汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたらしい。
これが安土桃山時代の頃から、貴族を中心に湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的でひろく用いられるようになり、更に江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となった。「ゆかた」の名は「ゆかたびら」の略だそうだ。勿論今では男性や子供も好んで着るが、何でも日本橋では8月15日までの期間中、三越本店など55店が「浴衣着」で訪れると、割引などの特典が受けられるそうだ。又、「ゆかたステーション」では浴衣の着付けや着崩れも直してくれるそうだ。しかし、最近街中で「浴衣」のよく似合う"小股の切れ上がった"薄化粧の美人に遭遇しなくなったと思っているのは、私だけだろうか?
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昨日、「全国建設機械器具リース業協会」の活動の一環として、或る懇談会を開催した。油圧ショベルメーカー5社と広域レンタル業者5社のトップと全建の正副会長が一堂に会し、厳しい経済状況下を如何に協力して凌ぎ切るかという話し合いである。しかし、今日のブログはその事ではなく、会合の後の懇親会の席である「日本橋ゆかり」(中央区日本橋3-2-14/03-3271-3436)の話題である。このお店は、東京駅八重洲口徒歩5分程度のオフィス街の一角にたたずむ料亭で、2000年に全面改装した建物はその年に「東京建築賞」を受賞したそうだ。
打ちっぱなしの階段を下りた地下1階には、少人数から35名までの宴会の対応できる大広間や掘りごたつ席、茶室などが広がる。ここを紹介してくれたのは、去年「東京建設機械リース業協会」の勉強会で講演してくれた「クラブ由美」の由美ママである。全国から人が集まるので、東京駅近辺に小洒落た料理屋さんが無いか尋ねた処、この店を紹介してくれた。料理が美味しいのは勿論だが、私が気に入ったのは、この店の料理人野永喜三夫氏の料理に対する半端じゃない"こだわり"に感心したからである。
彼は、宮内庁への出入りを許された名門日本料理の老舗を受け継ぐ三代目店主である。服部栄養専門学校を卒業後、村田吉弘氏の京都「露庵 菊乃井」で修業を積み、腕に磨きをかけた。「日本橋ゆかり」の跡継ぎとして実家に戻ってから内観、外観など自ら総合デザインして店を全面改装。2002年にはTV番組「料理の鉄人Japan-Cup '02」で総合優勝、2003年にはニューヨークタイムズ紙で「日本の若手料理人5人」に選ばれた逸材である。聞くところに依ると彼の"こだわり"の原点は、全国各地の食べ歩き行脚に有るようだ。
従って、全国各地から仕入れる食材の数々や、「春の園遊会」でしか飲めないお酒やサッカーW杯公認の日本酒など各地の銘酒への"こだわり"は聞いていて呆れる?程だ。又、「魯山人」宜しく、器も名人陶芸家の「登り窯」を借りて自分で焼くそうだ。因みに「魯山人」が焼いた器には"ロ"の銘が刻んであったと記憶しているが、彼は"喜"とか"き"と刻み込まれている。料金的には、お昼の"松花堂弁当"や"江戸前穴子の煮穴子重"などは2~3,000円程度で食べられる。夜の会席も7品~9品の料理が付いて1万円前後から有るようだ。
「お誕生日」や「結婚記念日」、「父の日」や「母の日」などのアニバーサリーに是非ご家族連れで行かれたらどうだろうか?但し、日曜日はやっていないと思うので念のため!
<上:喜三夫氏が焼いた器、下:左から昨日食べた礼文島の雲丹、天然の若鮎と穴子、京都の賀茂茄子>
日本相撲協会の貴乃花理事が4日の理事会で、村山弘義理事長代行に協会への退職を申し出たというニュースを聞いて、私同様"えっ、ナゼ?"と思った人も多いだろう。理由は3日の理事会での席上、野球賭博の琴光喜に関し、「協会に残してチャンスを与えるべきだ。幕内最下位から取らせればいい」という彼の提案が,外部理事から"甘い!"と一蹴された事に起因しているらしい。又、今年2月の理事選で協会改革を訴えて立候補した際、今回懲戒処分を受けた大嶽、阿武松両親方らの支持があって当選した事に、責任を感じたのではないかという憶測も流れている。
私は咄嗟に貴乃花までが、野球賭博に関与していたのではないかと考えたが、どうもそうではないらしい。週刊誌の暴露記事に端を発した"角界の激震"もこのような「おまけ付き」で終息に向かうのであろうか?昔から大相撲が好きだった私が最も角界に接近したのは、今から約15年まえの事だった。当時の相撲界は"若貴"の出現で、"柏鵬"以来の大ブームに沸き立っていた。そこにライバルとして名乗りを上げたのが、曙と武蔵丸のハワイ勢で「正義とヒール?」の構図がうけて、場所は連日「大入り満員」が続いていた。
或る日のこと私は、上得意のお客さんからゴルフに誘われた。言われるままにゴルフ場に着くと、そこには武蔵川親方(現理事長)と当時の大関武蔵丸、それと関脇に昇進したばかりの武双山が待っていた。そう、私のお得意さんが彼らの「タニマチ」だったのだ。武双山は、その年の初場所の貴闘力(現大嶽親方)との取り組みで、左肩を脱臼していたのでプレーせずに床山と大人しく待っていた。二組でプレー後、武蔵川の美人の奥さんが経営する江東区にある「チャンコ三重ノ海」で全員で"ちゃんこ鍋"を食べに行った。
その後更に、一部の弟子たちが加わって銀座に流れたのだが、料金は全て私のお客さんが払ったようだ。加えて彼は札束を並べて次の東京場所の「桟敷席」をプレミア付きで買い上げていた。そのせいか?武双山を含む全ての"相撲取り"が私にお酒を注ぐ時も、返杯を受ける時も必ず盃に両手をそえ深々と頭を下げるのである。私は、昔から「男芸者」と呼ばれる彼ら2"相撲取り"を前にして、お大尽気分に一時浸ったが、何かがオカシイと思うと同時に自分が長く居る世界ではないと感じて、早々に退散したのである。
このように古くて腐りきった「角界」を変えようとして、貴乃花は敢えて抵抗を押し切って理事に立候補したのだろう。そして今回の暴露記事は、彼を疎ましく思っている輩が「野球賭博」の事実をリークしたのかもしれない?しかし、流石にこんな大騒動になるとは思ってもいなかったろう。今回の不祥事で武蔵川理事長の退任は避けられないところだろう。彼は大した器量がなくて横綱になったため「おしん横綱」と呼ばれた。在日韓国人の彼は、小さい頃は貧しくてベルトも買えず、ズボンに紐を巻いていたらしい。そういう苦労人でも、富と名声を得れば事実が見えなくなのかも知れない。
そして彼らの「タニマチ」で、大金持ちだった私のお得意先は数年前に倒産した事を、ここに付け加えておく。
<江東区門前仲町にあるチャンコ屋さん「三重ノ海」には横綱 当時の彼の勇姿が飾られている>
7月5日(月) ≪来た来た・・・やっぱり「痛風」か?≫
2,3日前から左指の付け根が腫れてかなり痛い。昨日はゴルフの約束が有ったので無理して出掛け、止せばいいのに1.5ラウンドもプレーしてしまった。私は、過去にも腰痛や背筋痛があっても針を打ったり、痛み止めの薬を飲んだりして必ず参加した。昔ゴルフを教わった先輩から、ゴルフの約束は絶対破ってはいけないと教え込まれたからである。しかし昨日はカートだからまだ良かったものの流石に辛かった。長物のクラブが打てず、ドライバーがまともに当たったのは僅かに1発だけでギリギリ全て40台に纏めたものの、散々な1日だった。
ゴルフに行く前からこの痛みは「痛風」ではないかと疑っていた。そして、痛み止めを飲んでも薄らぐことがない痛みに、それを確信したのである。もともと健康診断で、尿酸値が7点台と高めの値を示していたのもその理由だ。「痛風」は場合に依っては骨折よりも痛いと聞いたことがある。 「痛風」は突然やってくる病気らしいが、実は痛風発作が起きる数年前(5~10年前)から、すでに高尿酸血症はあったと思われる患者が殆どらしい。発作の無い時期であっても、様々な合併症は徐々に進行しているケースが多く注意が必要だと聞く。
食べ物にも充分注意をする必要があるそうだ。 特に私が大好きなビールは、プリン体を多く含むため、最も「痛風」のリスクを高めそうだ。さもしい根性だが、昨日帰宅してビールを飲んだ後に、この事実をワイフに伝えた。調べたところに依ると、もう一つの好きな飲み物であるワインは、そのリスクは高めないそうだから、一先ず安心した。未だ、「痛風」と決まった訳ではないが、これから病院に言って診断を仰ごうと思っている。皆さんに対し正式にご報告するのは、それからである。
しかし、今週は色んな行事が目白押しで、週末のゴルフはキャンセルするとしても、歩くのが容易でないから、頭が痛いところである。
「楽天」の三木谷浩史社長が30日、社内の公用語を12年中に英語に完全に切り替えると発表した事が話題になっている。三木谷氏は「世界企業に脱皮するには英語が必要と判断した」と理由を説明、同時に発表した今後の国際事業戦略についても、英語で説明を行った。同氏は「世界で事業を成功させるには、スタッフレベルの英語のコミュニケーションが重要になってくると述べているが、我々英語が苦手な世代?にとっては、耳が痛い。又、同社の社員の中でも英語が不得手な人が居るのではないか?と考えると辛いものが有る。
もっとも、楽天は1997年(H9年)にネットショッピングをはじめとしたインターネット総合サービスを提供する会社として設立された会社あり、三木谷社長は当初からそこらを見越して英語の堪能な社員を採用してきたのだろう。テレビのニュースでは、何と社員食堂の英語のメニューを映しだしていたが、何もそこまでしなくてもと思ったのは私だけではないだろう。既に同様の取り組みを始めた日産自動車やユニクロもそこまでは、徹底していないと思われる。
皆さんは、「a bowl of rice with a pork cutlet, and egg on top」って何の事だか解りますか?そう我が国で最もポプラーな食材「カツドン」のことです。カレーライスは、「curry and(with) rice」でこれは解りやすい方だろう。塩バターラーメンは、「salt butter chinese noodle」で、うどんは単純に「noodle」だが、ソーメンは辞書に載っておらず恐らく「somen」で表すと思う。三木谷社長は思い込みが激しいらしく、母校一橋大、ハーバード大のスクールカラーである真紅(クリムゾンレッド)を深く愛好している。従って楽天グループのコーポレートカラーや野球、サッカーのチームカラーをクリムゾンとしている。
特にサッカーのヴィッセル神戸では元のチームカラーだった白と黒の縦縞だったものをサポーターの反対を押し切って現在のものに変更させている。ヴィッセル神戸を保有する会社の名称もクリムゾングループである。今日現在最下位に低迷している「東北楽天イーグルス」の田中マー君や岩隈投手、山崎選手等も再来年迄には、英語で会見する姿が見られるかもしれない。今年からブラウン監督を起用したのは、その布石か?(●^o^●)
ところで、楽天(株)は英語「Rkuten,Inc.」と表すが、中国語では「楽天」と言えばロッテのイメージが強い。両方とも「楽天」と書くから面白いものである!
今日から7月である。2010年も半分過ぎた訳だが、サッカーW杯の話題の次はやはり「参議院選挙」だろう。それも、注目を集めているのが比例区を中心に数多(あまた)立候補したタレント候補だ。タレントという呼び名については、明確な定義があるわけではない。タレント業も居れば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント候補と呼ばれる場合もある。高い知名度があった場合には学者や作家、スポーツ選手出身者、或いは本来タレントには含まれない筈のアナウンサー出身者などについてもそのように表現されることもある。
元々、参議院選挙の比例区は候補者1名を記入する「全国区」として1947年から1980年まで12回実施された。遊説地域が全国と広いため「残酷区」や「銭酷区」と揶揄されていたが、当時石原慎太郎、青島幸男、横山ノック等後に地方首長に転身した国会議員が誕生した。1983年から導入された現在の「拘束名簿比例代表制」は、政党名を書くようになったので名簿順が上位であれば当選出来るため、「全国区」当時より大分楽になったようだ。比例区になってからは、主なところでは舛添要一、大仁田厚、蓮舫 、丸山和也、丸川珠代等が議員バッジを付けている。さて、7月11日投票予定の参議院選挙には、どんなタレント候補が立候補しているのだろか?
ダントツに知名度が高いのは、柔道の谷亮子(民主・比例)と俳優の三原じゅん子(自民・比例)だろう。特に谷は小沢一郎の秘蔵っ子と呼ばれているが、現役を続行すると言っているそうだから驚きだ。彼らの知名度は歴代でも図抜けており、選挙カーに乗っているだけでニュースになるのだから他の候補者は戦いにくいだろう。その他に比例では、野球界から巨人軍の不世出の名投手堀内恒夫(自民)、「絶好調男」の中畑清(たちあがれ日本)、「いぶし銀」とファンから愛された石井浩郎(自民)などが出馬している。
その他にもスポーツ界からは、プロレスの西村修(国民新党)や体操のオリンピックのメダリスト池谷幸雄(民主)、再選を目指す神取忍等が名乗りを上げている。又、往年の「人気アイドル」である岡崎友紀(民主)、紅白出場歌手の庄野真代(民主)、「ハッピー&ブルー」のリーダー敏いとう、或いは関西落語の桂きん枝(民主)等が立候補しているようだ。地方選挙区では、山口選挙区から俳優の原田大二郎(民主)、大阪選挙区からは「探偵ナイトスクープ」のパーソナリティで崇教真光(まひかり)の信者である岡部まりが名乗りを上げている。
当選の見通しとしては、谷や三原は大丈夫だろう。又、「大阪にはお笑い表が100万票」と言われて他の選挙区とは一線を画すエリアの岡部は当選するだろう。果たして、他の候補たちの結果や如何に?大いに楽しみである。(*^_^*)
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