Archive: 2010年6月
6月23日(水) ≪プレトリアの激闘・・・日本惜敗!≫
午前2時過ぎにその戦いは終了した。サッカーW杯でベスト8をかけて戦った日本対パラグアイ戦は、延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれ込んだ。結果は日本の3番目のキッカーであるデフェンダー駒野友一選手(28才)が蹴ったボールがゴールポストの上のバーを叩き無情にも夜空に舞い上がり、4人目の本田が決めたものの惜しくも敗退した。駒野選手を責める事が出来ないが、日本国民にとっては、何とも無念な敗戦である。関東地区のテレビの平均視聴率が、夜中にも拘わらず57.3%、瞬間最高視聴率が何とTBSの歴代NO.1の64.9%を記録したというから驚きである。
サッカーの試合で決着がつかずPK戦になる時、蹴る選手や受けるGKはどんな心理状態になるのだろうか?と時々疑問に思う事が有る。特に今回、駒野選手が蹴る段になってテレビの解説者の金田氏が不安そうに「駒野君思いっきり蹴ってくれ!」と言うような事を口走ったのが、事態を予想してか不安に拍車をかけた。PK戦の失敗と言えば、思い出す偉大な選手が1人居る。それは「イタリアの至宝」とか「偉大なるポニーテール」と呼ばれたファンタジスタ、ロベルト・バッジオ選手(1967年~)である。
1994年のW杯アメリカ大会に於ける決勝進出までの彼の活躍は、今でも語り継がれている。決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦では、終盤に彼のゴールで追いついた後同じく彼のPKで辛勝した。続く準々決勝のスペイン戦でも決勝点を、準決勝のブルガリア戦でも2点を彼の足で叩きだし、決勝戦に駒を進めた。決勝は強豪ブラジルとの対戦となったが、互いに譲らずワールドカップ決勝史上初のPK戦となった。ブラジルがリードを保ったまま最終キッカーであるバッジョの番となるが、彼はゴール左上にはるか高く打ち上げてしまう。これによってイタリアは優勝を逃したのである。
当時ブラジルでは、バッジョのシュートは空高く吸い込まれていったことから、同じ年に悲劇の死を遂げた同国のアイドル、「アイルトン・セナの手」が掴み取ったと噂された。というもの。一方イタリア国内では、「筋肉疲労と極度の緊張、暑さ」から失敗した報道された。当のバッジョ本人は、かなりの日本通であることから、「仏陀からの究極の問いかけである」と言ったそうだ。ちなみに、バッジョは未だ答えを見つけることはできておらず、さらにはあの出来事をまだ夢で見ることも幾度となくあるという。このとき、腰に手をあててうなだれるバッジョの後姿が撮影された。この一枚は、これまでの数多あるスポーツに関する写真の中でも最も美しく、最も儚い写真であると評されている。
1998年のフランス大会では10番のエースナンバーは、デル・ピエロに譲ったが大活躍したのはやはり31才になったバッジオだった。PKもことごとく決め、4年前のトラウマを払拭したが、準々決勝のフランス戦でやはりPK戦となり、ルイジ・ディ・ビアジョが外し何と「因果は巡る」で3大会連続のPK戦負けとなったのである。駒野友一選手もアメリカ大会のバッジオとほぼ同じ年齢である。苦しいだろうが胸を張って帰国し、バッジオ同様4年後のブラジル大会で「捲土重来」を目指すべきである。
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6月29日(火) ≪世紀の「大誤審」!≫
神様のいたずらか?昨日のW杯決勝リーグのドイツ対イングランド戦という世界が注目する一戦で世紀の「大誤審」が飛び出した。1-2で迎えた前半38分、ゴール前の攻防からMFのランバートがふわりと浮かせるシュート、鮮やかな軌道を描いて相手ゴールキーパーの頭上を越えクロスバーを叩いてインゴールへ。明らかにテレビはその事実を映し出していたが、判定はノーゴール。その瞬間、ガッツポーズをしたイングランドのカぺロ監督は茫然自失。1966年イングランド大会で同様の得点で西ドイツから決勝点を奪ったイングランドだが、44年経って巡って来た因果に誰もが目を疑った。又、同じ日に行われたアルゼンチン−メキシコ戦では、オフサイドを巡る判定で誤審があった模様だ。
誤審と言えば、メジャーリーグでも6月2日に行われたタイガースーインディアンス戦で、タイガースのガラガーガ投手が完全試合にあと一人と迫った場面で、27人目の打者のゴロを一塁塁審のジム・ジョイスがセーフと判定し、後に誤審と認めて謝罪したという出来事があったばかりだ。「誰にでも誤りはある」と言ったガラガーガ投手も立派だが、或る米スポーツ専門局が大リーグの100選手を対象に行った「優秀な審判員」についてのアンケート結果で、ジム・ジョイス審判員が53%の支持を得て1位に選ばれたという話を聞いて、いかにもアメリカらしいと思った。
事ほど左様に、ボールゲームでは誤審を云々される事が多い。1959年6月の巨人対阪神戦の天覧試合で4-4の9回 裏巨人の長嶋茂雄選手が、小山正明投手をリリーフした新人の村山実投手から打ったサヨナラホームランの微妙な判定を巡り、村山は死ぬ直前まで「あれはファールだ」と言い続けていたのは有名な話だ。又「人が人を裁く 」格闘技、特にボクシングや相撲、柔道等でも誤審は避けられないようだ。その良い例が、2000年のシドニー・オリンピック柔道100Kg超級の決勝である。
試合開始より1分30秒過ぎ、デュイエが内股をかける、が篠原信一がそれを内股すかしで投げる。 見ているものは誰もが一本、と思ったその時に、 何故か主審は有効とし、しかもデュイエの有効となった。結局、試合時間が過ぎてドゥイエの優勢勝ちとなったのである。試合後、山下泰裕選手団監督が猛抗議したが、結局判定は覆らなかった。格闘技では今話題の大相撲が、ボールゲームではテニスやバレーボールで微妙なケースで写真やコンピューターグラフィック判定を導入している。
サッカーW杯は、国の威信をかけた、それも4年に1度のビッグ・ゲームである。将来に禍根を残さないためにも、何らかの手を打つべきであろう。しかし、人生にも誤審はある。例えば、有能なサラリーマンが必ずしも出世するとは限らない。運が大いに左右するし、上司の影響も大きい。「サラリーマンの最大の不幸は、上司に恵まれない事」だし上司に恵まれた人はハッピーである。私の経験からすると、概ね上司に"ゴマスリ"が上手な人ほど偉くなるようだが、皆さんの考えは如何でしょうか?
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6月28日(月) ≪2010年社員旅行≫
26、27日の土日は社員旅行だった。2年ぶりに実施したものだが、今回は手軽にデラックス・バスに依る箱根旅行と洒落込んだ。過去は全て費用は会社が負担していたが、昨年の8月から「ビート会」会費として、社員間の祝儀不祝儀費用や旅行の一部費用負担のため各自毎月2,000円ずつ集めていたので、15,000円を旅行費用に充当させて貰い残りの5,000円をお小遣いで返却することにした。今回の幹事はサービス部の多賀君で、スケジュールは、次の通りである。
6/26(土) 8:30東京駅銀の鈴集合⇒9:00鍛冶橋バス駐車場出発⇒厚木IC⇒11:20~12:20箱根湖畔荘 桜本陣にて昼食⇒12:35~13:35箱根海賊船⇒13:50~14:50大涌谷⇒15:10~15:25箱根ロープウエイ 大涌谷~早雲山⇒16:00箱根水明荘
6/27(日) 9:00水明荘出発⇒9:40~10:30箱根ガラスの森⇒10:40~11:20箱根湿生花園⇒12:10~13:50小田原鈴廣 かまぼこの里⇒厚木IC⇒14:25~14:45海老名SA⇒15:30東京
行きは「貸し切りバス」なので、東京駅で買い込んだ缶ビール32本と赤ワイン、そして我が家から持参した「大吟醸」の清酒4合瓶2本がアッと言う間に無くなってしまい飲まない二人以外は、ほぼ酩酊状態。更に昼食もビールをやつけて(*^_^*)、雨の海賊船に乗り込んだ。その後は、大涌谷で一つのロープウエイに15人全員が乗り込み、宿に到着したのが4時前だった。全員ゆっくり温泉につかり6時から、お待ちかねの飲み放題の大宴会である。
ひとしきり飲んだり食べたりした後、恒例の営業部の寺田君に依る"史上空前の難問クイズ"「あなたは見ていましたか?」の始まりである。その日にあった出来事や触れあった人の名前、停車した駐車場に止まっていた車の台数、施設の色などを3択で答えるもので、殆どの人が憶えていないのが普通である。要するに当てずっぽなのだ。私はその賞金に6,500円ほど奮発したが、優勝は兒玉君、二位奥本君、三位山本さん、四位が横山さんで、私は1円もゲットできなかった。(--〆)盛り上がったのは、その後の「カラオケ」で女性群三人を除くほぼ全員が舞台に上った。
私も調子に乗って3曲歌ったが、更にアンコールがあった谷村新司と小川知子のデュエットソング「忘れていいの」を歌の上手な寄木さんと熱唱したのである。フィナーレは何時もの如く寺田君の「Y・M・C・A」で大盛り上がり!その後、一旦中締めをして寝てしまった横山さん以外全員が一つの部屋に集まり更に痛飲、私のマッサージの予約時間10時にお開きとなったが、数人が更に外に飲みに出たと言うから何とも恐れ入る。
あくる日は、酒が飲めない多賀君が朝ごはんを六杯食べた以外は流石に飲み疲れか大人しく、スケジュール通りに進んでいった。残念だったのが、女性群4人と散策した「湿生花園」が雨のためゆっくりと楽しめなかった事である。今朝聞いた話だが、皆さん疲れていたらしく家に帰って早々に寝てしまったらしい。私は、家に帰ってすぐにゴルフの練習場に向かい、帰宅したのが8時頃だった。何れにせよ、先週の「ミニ展示会」以来社員全員が、一つになったように感じた1週間であった。来年は、2泊3日の「韓国旅行」でも企画しようと思う。
今日の話題は、日本のW杯サッカーE組グループリーグ突破のニュース以外にはないだろう。昨夜は、11時半に寝て午前3時半に起きてデンマーク戦を見たお陰で、目を擦りながらこのブログを書いている。今日の我が国の仕事効率は、極めて悪いのではないかと思う。15日にも書いた通り初戦を勝ち抜いたチームの86.1%が予選突破しているらしいが、目出度く解説者の北澤氏が予想したスコアーの3-1でデンマークを下し、ベスト16に進んだのだ。次の試合は、29日(火)のF組1位のパラグアイ戦であるが、相手はFIFAランキング30位の強豪とは言え、予選リーグ同様の戦い方をすれば充分に勝算はある。
ところで、今迄の戦いで日本選手の明暗がくっきり分かれている。例えば、GKの川島永嗣選手(27才)のファインセーブのお陰で、正GKと目されていた楢崎正剛(34才)の出番が今のところ全くない。FWでは、本来MFの本田圭佑選手(24才)の抜擢で、本業の玉田圭司選手(30才)の出番が殆どない。ここに来て最悪なのがMFの中村俊輔選手(32才)で、直前までは日本チームの主力選手とみられていたが、怪我のせいもあったが松井・遠藤・長谷部などの活躍で出場の機会がなくなっている。チーム状態が日増しに良くなっていることから、今後出場選手の怪我がない限り控えに甘んじなければならないだろう。
岡田監督が目標に掲げたベスト4に進出するためには、パラグアイに勝って更にH組1位(スペイン?)とG組2位(ポルトガル?)の勝者を破らなければならない。これは至難の業だが、好調をこのまま維持できれば、あながち果たせない"夢"ではなくなって来たように思える。あっ!そうそう、先程の「明暗」の下りで忘れてならない人を1人見落としていた。言わずと知れた岡田監督である。プレシーズンマッチ6戦で,得点2と貧攻だった当時はぼろくそに濃き落とされたが、今や将来の日本サッカー協会の会長候補とまで言われるようになった。人の心は現金なものである!
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6月24日(木) ≪カルロス・ゴーンという男≫
日産自動車は23日、横浜市内で株主総会を開き、カルロス・ゴーン社長兼CEO(最高経営責任者)の2010年3月期の報酬が約8億9000万円だったことを明らかにした。他の取締役5人も1億円以上だそうで、日産の大盤振る舞いが暫くの間、話題になりそうだ。これまでに判明した3月期の役員報酬額では、ソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長の約8億1650万円(ストックオプション含む)を超えて最高額となる。それもゴーン氏の報酬はCASHだけでその額だそうで、これが世界の常識かどうかは我々庶民は知る由もない。
もっとも、日産は09年3月期にゴーン社長を含む取締役10人に総額約25億8000万円を支払ったという。しかし、同期の最終赤字が2337億円だったため、10年3月期の取締役10人に対する報酬は約34%減の総額16億9000万円と大幅に減少し、ゴーン社長も相当減ったとみられる。又、2005年4月からはシュヴァイツァー会長の後をついで日産自動車の親会社のルノーの会長兼CEOも兼務しているそうだから、そちらからの収入も有る筈だ。こんな大金持ちの≪カルロス・ゴーンという男≫は、一体どんな人なのだろうか?
カルロス・ゴーン・ビシャラ(Carlos Ghosn Bichara)は、ブラジル北部の都市であるポルト・ヴェーリョで生まれた。父はレバノン系ブラジル人、母はフランス人である。6歳の時に父の母国のベイルートに引越し、そこでイエズス会系の学校でフランス語で中等教育を受けた。高等教育は、オーギュスト・コント(社会学者)などが学んフランスのエコール・ポリテクニークを卒業後、パリ国立高等鉱業学校に進んだ。1978年に、フランスの大手タイヤメーカーのミシュラン社に入社。その後、ブラジル・ミシュランの社長や北アメリカ・ミシュラン子会社の会長と社長、経営最高責任者(最高経営責任者CEO)を歴任の後、フランスの大手自動車製造会社であるルノーに転籍したのである。
1999年に、ルノーが当時経営危機に陥った日産自動車と資本提携し、同社を傘下に収めた後に、前会長の指示により、ルノーの子会社となった日産自動車に出向し、、家族共々日本へ移り住んだ。その後の大活躍は、ご承知の通りである。実は私、数年前に赤坂の或るホテルで彼と彼の家族を見かけた事がある。3人の女の子と1人の男の子、そしてご夫人の6人で食事に来ていたらしいが、何とも中睦まじく談笑していた。聞く処に依ると分刻みの超多忙のスケジュールの中で、彼は週末は家族との時間を最優先に過ごしているそうだ。やはり、有能な経営者は家族を大事にする事により暖かな家庭を築くと共に、外では存分に能力を発揮するのかもしれない!
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<カルロス・ゴーンの報酬約8億9000万円が高いか安いか?は、意見の分かれるところだろう>
6月23日(水) ≪「ボーリング大会」に昔を偲ぶ!≫
昨日、東京建設機械リース業協会千葉協議会の「ボーリング大会」が千葉市中央区の千葉リバーレーンで開催された。昨年に次いで2回目の開催であるが、今回は何と昨年より約40名増と大盛況で、レンタル業者である正会員とメーカーさんや商社さん等の取引業者、所謂賛助会員併せて26社128名(プレイヤーは124名)の参加となった。1フロアー31レーンを借り切って各々2ゲームを投げての競技とし、4人一組の団体戦と個人戦、そして女子(HDCP=1ゲーム20ピン)も25名参加してくれたので女子の個人戦も行った。
結果、団体戦は1ゲーム142点平均のトータル1136点のチームが優勝、個人戦は239ピンのハイスコアーを叩きだしたK氏がトータル394点で優勝、そして女子の部はI嬢が、トータル295点で優勝した。私は恥ずかしながら、トータル242点で個人戦71位、団体戦は同組の二人の方が頑張ってくれたお陰で堂々?の7位だった。我が社から参加した他の4人の連中も頑張ったようだが、残念ながら等外だったようだ。ボーリングといえば我々『団塊の世代』は、ボーリング世代と呼ばれる事がある。
思い起こせば、1970年前後には数百メートルごとにボウリング場があったほどボウリング・ブームと呼ばれる流行ぶりを示した。当時は、男子プロでは公認パーフェクトゲーム25回の記録を持つ矢島純一(1945~)や女子では、今は亡き須田開代子プロ(1938~1995)、現ボーリング協会の会長である中山律子プロ(1942~/1971年に3ゲームトータル824点の世界記録達成)たちが毎週テレビに出ずっぱりで、その腕前を競っていたものだ。私も学生時代その影響を受けて、凝った時期があり10ゲーム連続で投げたことも有る。確かハイゲームは205点だったと記憶している。
最近ボーリングの球を握る事がめっきり減って当時の面影はすっかり無くなってしまたが、若者たちとの一体感やピンを全て倒した時のそう快感は何とも筆舌に尽くし難いものがある。この大会に参加する事によって、毎年7月に開催している我が社の『B.try大ボーリング大会』と併せると2回に機会が増えたので、少し練習をして、せめて140点平均位のレベルまで行きたいと考えているところである。
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6月22日(火) ≪「アパルトヘイト」での人種分類≫
今南アフリカで開催されているサッカーW杯熱が沸騰している。24日木曜日のデンマーク戦の結果次第では、更に日本国内が熱く燃え上がるだろう。ところで南アフリカと聞くと私が思い出すのは、ゲーリー・プレイヤー、アーニー・エルス等のゴルフ選手と「アパルトヘイト」、そしてネルソン・マンデラ元大統領だ。特にアフリカーンス語の「アパルトヘイト」という白人と非白人との人種隔離政策に抵抗して黒人運動の先頭に立ち約27年間も幽閉され続けたマンデラ氏の事は、ニュースや映画で見た事が有り非常に印象深いものが有る。
世界的に人種差別の制度としては、インドやネパールのカースト制度が最も有名である。これは、ヒンドゥー教にまつわる身分制度で紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴いヒンドュー教徒をブラフミン(司祭)、クシャトリア(王族・武士)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)の4階級に分類したものである。聞くところに依ると、今でもその制度は厳然と残っているらしい。一方我が国でも、UNICEFが指摘している通り戦国時代に端を発する「士農工商穢多非人」(しのうこうしょうえたひにん)という身分制度の名残が未だ残っている。
その他にもオーストラリアの「白豪主義」等も有るが、人間が人間を人種や宗教で差別し続けるという事は、悲しい出来事である。ところで「アパルトヘイト」では、我々日本人は非白人なのだろうか?答えは、NOだ。この制度では一部有色人種を例外扱いしている。アフリカにとって大きな貿易相手でもある日本人は「名誉白人(Honorary Whites)」として制度上の差別待遇を免ぜられた。他にも、正式な国交があった中華民国(台湾)人は、名誉白人ではなく正式に白人として扱われた。又、アメリカ出身の黒人、所謂アフリカ系アメリカ人も、しばしば白人と同等の地位を認められていた。
有色人種でも経済力のある者に対しては白人扱いするために、よってアパルトヘイトは貧困層の有色人種への差別とも捉えられる。19世紀ゴールドラッシュでやってきた中国人の子孫は有色人種として扱われた。中華料理店は白人専用とされたが、その従業員および主な顧客層である中国人の子孫、中華民国人も排除されかねないため、中国人の子孫も中華料理店に限っては名誉白人として扱われた。未だ南アフリカは、貧富の差が激しく世界で最も治安が悪い国と言われている。しかし、今のところ期間中、懸念された程の事件は起きていないようだ。このサッカーW杯を機に、この国の近代化が更に推進されることを切に願うところである。
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6月21日(月) ≪感謝、感激、雨、霰(あられ)!≫
18日(金)の"ミニ展示会"が無事終了した。当日は、心配した通り午後から横殴りの雨が降り出し、一時は張ったテントの脇から雨が吹き込んでテーブルや椅子もビショビショ、ヤード内で待機していたスタッフ全員も濡れ鼠となってしまった。従って、来場予定者の一部が現場の都合や予定変更に依って来れなかったケースも有ったようだが、見込んだよりも大幅UPの40社以上の方々にご来場頂きました。売り上げも小物の売り上げが、予定の50%UPの300万円超と略満足行く結果となった。
機械レンタル業にとって機械の販売は「レンタル売り上げを駆逐する?」可能性があるが、どうしても最低限必要な機械を買うお客様や、将来他社に取られそうな遠隔地のお客様には敢えて販売という手段も有効だと考えている。10年ぶりに展示会という企画を実施してみたが、社員の力量を改めて確認出来たし、ユーザーや協力して頂いたメーカー各社の方々との信頼関係の構築という意味では大変貴重な経験となった。今後、このような"ミニ展示会"を恒例行事にするかは、社員一同と話し合って決めたいと思っている。
さて、今月は我が社の決算月、前年より売り上げのダウンは避けられそうにないが、利益は微増というところだろうか?あっそうそう、その前に今週末の土日が箱根への「社員研修旅行」が有ったっけ!そして月末の30日は、私にとって恐怖のボーナス支給日(●^o^●)、やっぱりうかうかしてられませ~ん!!!
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6月18日(金) ≪「ビー・トライ決算大処分"祭"」≫
この6月が我が社の12期目の決算月である。早いもので脱サラして会社を立ち上げて12年、アッと言う間の歳月だった。実は今日、建機メーカー9社のご協力のもと、「ビー・トライ決算大処分"祭"」と銘打って小物機械を中心とした展示即売会我が社のヤードで開催する。建機商社のワキタさんの提案に依るもので、当社としては10年ぶりの展示会となった。開催時間は12時~19時迄の7時間で、30社以上の来客を見込んでいるが、正直何社来て頂けるかやや不安である。
メーカーさん9社とは、コベルコ建機、デンヨー、三笠産業、鶴見製作所、やまびこ産業、東空販売、ハスクバーナー・ゼノア、リョービと日動工業(敬称略)で、大型建機メーカーであるコベルコさん以外、建機小物メーカーとしてはそれぞれ一流のメンバーである。今回のイベントの目的は大きく分けて三つある。一つは長年ご愛顧頂き、現在有る我が社を支えて来て頂いたお客様に感謝の念を込めて、特別安価な商品をご提供する事と新規顧客の開拓。一つは、閑散期に社員一同が一丸となって同じ目的の元に心を併せる事に依り、連帯感を深める事。そして最後にメーカーさん達とのリレーションを親密にする事である。要するに売り上げや利益は二の次なのだ。
全員早めの昼食を食べて、11時半からスタッフ全員の朝礼で始まる予定だ。その際、私の挨拶の前後に『ビー・トライ モットー』を全員で唱える積りだ。
「目標達成のこだわりとコスト意識の徹底!」
「自社機の売り上げアップと確実な回収!」
「笑顔で元気な挨拶クリーンな職場!」
これ一部どこかでパクって来たモットーだったかも?(●^o^●)
昨日、「東京建設機械リース業協会」の22年度第1回目の理事会が御茶ノ水の山の上ホテルで開催された。私は、遅れそうになったのでJR船橋駅から総武線の快速に乗り、錦糸町で各駅停車に乗り換えることにした。乗り換えの際、制服にネクタイ姿の二人の茶髪の「女子高校生」が一緒のドアーから乗り込み、1人が空いた端から3列目の席に座った。当然もう一人の女子高校生は、その前に立って二人で話し込んでいたが、私も隣の2列目の席の前に立ち、付けまつげで濃いめの化粧の彼女たちの様子を何気なく眺めていた。
次の両国駅で、私の前の2列目の席が空いたので座るかどうか躊躇していたら、立っている彼女がチャッカリ私を押しのけて座ってしまった。その上驚いた事に、裏面が茶色で板チョコの形をした四角い手鏡を取り出し、アイラインを引き始めたのだ。私は、脱色して老婆のような髪の色と、パンダのような化粧をした彼女たちの高校生活が、いかばかりかと想像すると同時に、マナーの悪さに興醒めしたのは言うまでもない。そして、見つかれば"痴漢"容疑で駅員に突き出されかねない事も考えず、携帯電話のカメラを彼女たちに向けて密かにシャッターを押したのが下の写真だ。そして二人は、何事もなかったように秋葉原で降りて行った。
今万博の話題でゆれている「上海」に一昨年行った際、地下鉄の中で1人の若者に席を譲られた。その時は、『俺は年寄りじゃないよ!』と少し鼻白んだが、今考えるとよっぽど個人主義だと言われている中国人の方が親切で、マナーが良いのではないと考え込んでしまった。私には今年の11月に5才になる孫娘がいる。彼女が高校生になるまで私が生きているかどうかは判らないが、絶対彼女たちのような高校生だけにはなって欲しくないものである。
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6月16日(水) ≪女子プロゴルファー今昔物語≫
ゴルフ会員権販売会社を経営する私の後輩から聞いた話だが、昭和60年代のバブル期に女性がアッと驚く広告が雑誌に掲載されたと言う。『ゴルフをマスターしながら美しく痩せましょう!』というものでイラストがまた魅力的だったそうな。マリリンモンロー似の白のピッタリしたドレスをまとい、出るところ出て、ひっこむところはひっこんだ足の美しい女性が、フィニッシュのポーズも艶やかに微笑んでいた。僅かなお金で痩せれるとあって、効果てきめん!下腹が突き出た主婦が集まりスクールは肉弾相打つ肥満体の修羅場と化したそうだ。
ところが痩身効果はさっぱりで、そのスクールはあっという間に閉鎖となったそうだ。しかし、考えてみると当時の女子プロゴルファー、樋口久子は別として例えば清元澄子、二瓶綾子、大迫たつ子、佐々木マサ子等太目がっちりタイプの女子プロゴルファーをを知っていたら、人は集まらなかったのではないだろうか?女子プロトーナメントは1961年(S36)の日本女子ゴルフ同好会競技会(全国ゴルフ場女子従業員競技会)に端を発している。
確かに、好みは別として有村 智恵、服部 真夕、原江里菜、金田久美子等最近の女子プロは可愛い女の子が増えてきた。女子プロゴルファーが、美しくなり始めた?(*^_^*)のは日陰温子、塩谷育代、森口祐子、吉川なよ子あたりからだろう。最近プレー費が安くなったせいか、ゴルフ場には若い女子ゴルファーが増えてきた。又、女子プロゴルフ大会も韓国の女子プロの著しい台頭は有るものの、白熱を帯びて以前よりずーっと面白くなってきた。やはりゴルフはプレーするだけで楽しいもの、昔はその上に一石二鳥を求めたずうずうしいオバサン連中が多すぎたのかもしれない!
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今朝は寝不足だが、頭はすっきりしている。W杯南アフリカ大会のE組初戦で、日本が格上のカメルーンを1-0の僅差で破ったからだ。試合は、日本時間の夜11時頃に始まり前半39分に本田が相手ゴールに押し込み、午前1時頃にカメルーンの猛攻を凌いだ場面で終了したのだ。W杯が32チームに依る現行の方式になった1998年以降の過去3回大会で、白星発進のチームの86.1%がベスト16、所謂決勝トーナメントに進出していると言うから大いに楽しみである。一方、黒星発進のチームの91.7%が1次リーグで敗退しているらしい。
残り2試合は、19日に同4位のオランダ戦と24日の同35位のデンマーク戦である。恐らく優勝候補の一角であるオランダには先ず勝つ事は難しいと思う。最終的に得失点差がポイントになりそうなので、1点か2点差の敗戦であれば御の字である。ではオランダに敗れた場合の決勝トーナメント進出の可能性は、どのくらい有るのだろうか?要するに1勝1敗の後デンマークと対戦するケースであるが、私の試算では27通りの有りそうだ。勝てば、9通りのケースの内カメルーンがオランダとデンマークに勝てば、3チームが勝ち点6で並び得失点差の勝負となる。それ以外の8つのケース全てで進出を果たす。
引き分けの9ケースの内、3つのケースで決勝トナメント進出を果たし、4つのケースで得失点差となる筈だ。負けた場合、詰まり1勝2敗となった時の可能性は、オランダが全勝で日本・カメルーン・デンマークか三つ巴の勝ち点3で並ぶケースだけとなり、決勝トーナメント進出は極めて厳しくなるが?
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小惑星「イトカワ」の岩石採取に挑んだ探査機「はやぶさ」は13日午後10時50分ごろ(日本時間)、大気圏に突入し地球に帰還した。月より遠い天体に着陸し、地球に戻ってくるのは史上初だそうだ。宇宙航空研究開発機構(JAXA)によると、オーストラリアのウーメラ砂漠に帰還したのはカプセルのみで、「はやぶさ」本体は燃え尽きたらしい。2003年5月9日、鹿児島県内之浦からサンプルリターンという往復型の惑星探査を目的に開発されたこの「はやぶさ」は、予定より大幅に遅れて7年間の歳月をかけて6億kmの道のりを旅してきたのである。
「はやぶさ」が目的通り「イトカワ」の地表サンプルを採取出来れば、太陽系の謎を解くための重要な手がかりが得られると期待されている。サンプル採取以外にも、●イオンエンジンという新しい技術を使って惑星間を飛行(イオンエンジンを3台同時に運用し、4万時間もの長時間にわたり稼働させた)●自律誘導航法(レーザ高度計や近距離センサなどを用いて、自らが自分の位置を判断し、自分で目標に近づく航法) ● 地球スイングバイ (天体<今回は地球>の引力を用いて宇宙船や探査機の速度や軌道などを変える事)●再突入カプセル (カプセルは、「はやぶさ」が大気圏に突入する直前に分離され、地球上に投下される)という四つのミッションを持つと言われている。
つい最近2003年生まれの7歳の少年から或る新聞に『「はやぶさ」を死なせないで!』という投稿が有ったそうだ。そう、軌道修正を加えられながら7年の長きに亘りヨレヨレになりながら旅してきた「はやぶさ」に人格が生まれたのだ。一方、「イトカワ」で思い出すのは、ペンシルロケットの生みの親で・ロケット開発の父と呼ばれる糸川 英夫(いとかわ ひでお・1999年に86才で没)博士である。かつて、フジテレビの『たけし・逸見の平成教育委員会』に生徒として出演した際に、先生役の北野武が糸川に対してを君付けで呼んだため、糸川の関係者から「糸川先生を君付けで呼ぶとは何事だ!!」という抗議を受けた。しかし番組側は「特別扱いはできない」と他の生徒同様に「糸川君」と呼び続けたのだが、糸川本人は特にそういった事には気に留めず、寧ろ授業を楽しむかのように出席していたというエピソードを思い出した。
そして、もう一つ意味があるのは、NEC日本電気とJAXAが共同開発したイオンエンジンである。住友グループ最大の従業員を擁するNECが2000年代の前半に家電分野から撤退し、総合電機メーカーとしての暖簾を下ろしてから久しい。現在では、オフィスコンピュータ、サーバの分野では国内トップクラスのシェアを誇り、コンビニやホテルのバックオフィス用コンピュータは独占状態に近い。しかしその一方、一般庶民にはなじみが薄くなりつつあったが、通信分野に於いては通信衛星から光通信など優れた技術を醸造していた事をここに証明したのである。
6月11日(金) ≪「梅干し」作りの季節≫
昨日帰宅し玄関を開けた途端、プ~ンと甘酸っぱい梅の香りがした。「梅干し」作りのシーズンが到来した事を、そこで初めて意識したのだ。我が家では、味噌作り(息子たちが独立してから止めているが・・・)、ぬか漬け、白菜づけと並んで「梅干し」作りは、一つの季節行事である。作る人によって、微妙に味が違うといわれる「梅干し」、どこの家庭でも、一粒一粒「健康のために・・・」と家族への愛情を込めて作ったそれぞれの"我が家の「梅干」"は絶品?の筈だ。小さい頃から私の弁当に無くてはならないものが二つ有る。一つが「玉子焼き」で、もう一つは言わずと知れた「梅干し」である。
「梅干し」には、唾液の分泌を促進される効能があり、貧しい時代には「日の丸弁当」でも充分空腹を満たす事が出来た。梅は中国が原産である。本来梅干は、梅酢を作った後の副産物であり、利用法としてはこれを黒焼きにして腹痛の治癒・虫下し・解熱・腸内の消毒の効用を目的に食用よりも寧ろ漢方薬として用いた。紀元前200年頃の墓からも、「梅干し」の壷が出土しており、これが日本に伝来したのである。又、戦国時代になると「梅干し」は保存(陣中)食としてだけではなく、傷の消毒や戦場での食中毒・伝染病を予防になくてはならないものとなった。合戦中の休息に「梅干し」を見ることで唾液分泌を促進させ息切れを防ぐ目的にも使われた。「梅干し」は戦略物資の一つとなり、武将達は梅の植林を奨励した。これが現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っているのだ。
因みに我が家(ワイフ)の作り方をご披露しよう。
材料:和歌山県産 南高梅10kg(1部我が家の梅も混ぜます) 14~15%程度の粗塩 35度の焼酎 赤じそ
(1)梅のヘタを傷付けないない様に取る (2)よく水洗いをする (3)水切り後35度の焼酎で梅と漬ける容器を消毒する(カビを防ぐため) (4)粗塩と梅を混ぜ合わせ、順次容器に入れていく (5)更に梅の上から残りの塩をかけて重石をする (6)1週間程で、白酢(梅の液)が上がってきたらよく洗って塩もみした赤じそを入れる (7)そのままおいて土用になったら取り出し、大きなザルに奇麗に並べ三日三晩天日干しをして、出来上がり
未だ作った経験がない方は、ご家族のためにお試しあれ!
<今年漬ける10kgの梅と去年漬けたふくよかな我が家の「梅干し」>
6月10日(木) ≪「エクストラコールドBAR」って?≫
昨日会合の後、銀座中央通り「銀座1丁目」交差点付近を歩いていたら、メルサの対面の辺りに行列が出来ていたので何かと思って覗いてみた。そこは、アサヒスーパードライを氷点下-2℃~0℃で味わう新しい飲み方<[期間限定]2010年5月21日(金)~8月31日(火)>をさせる「EXTRA COLD BAR」 というスタンドバーだった。中身は普通のスーパードライだが、特別仕立のサーバーにより、マイナス温度での提供が可能だそうで全国に未だ数十店舗しか出来てないらしい。ここは、広告塔的な位置づけの期間限定店舗だそうだ。
人間の心理として、[期間限定]と聞くと行きたくなるもので、概ね30分程度の待ち時間で入れるらしいが、ネットで調べてみた限りでは確かに通常の飲み方をするより美味しいらしい。特徴としては、温度が低いため苦みを感じず喉越しで飲むと言う感じらしい。注ぎ方を教えてくれて自分でもグラスに注げるらしいが、一杯550円が安いか高いかは議論が分かれるところだろう。但し、おつまみは「柿の種チョコレート250円」「手羽先の特性ピリ辛揚げ350円」「絶品ベーコンせいろ蒸し・麻婆豆腐三国志各450円」「やきそばピッツア500円」と手頃な値段である。
最近「銀座」が変貌しつつあると言われて久しい。ユニクロや大型電気店の進出により中国人を中心とする外国人を多く見かけるようになった。クラブ街も不景気で、外国人の店も増えているらしい。又、我々庶民にとって、林立する有名ブランド店にはとんと御縁がない。今回時間が無くてこのバーには寄れなかったが、並んでいる連中を見ると大方がサラリーマンやOLが多いようで、こんな趣向でも銀座に庶民が集まってくれば、銀座に新たな文化が誕生する切っ掛けにもなるかも知れない。
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6月9日(水) ≪作ったバーバリーのワイシャツがない!≫
今年の初めに「船橋東武デパート」で作ったワイシャツ3着の内、最近紺のストライプのワイシャツが無い事に気づいた。全て襟と袖を白にし、地はブルー・えんじの縦じま・紺とブルーの縦じまで誂え、左の袖口にそれぞれ色とデザインを違えて私のイニシャルを縫い込んだものだ。私ほどの身長(186cm)になると、昔はスーツやワイシャツのレディメードが合わずに、誂えたものだが最近は新宿伊勢丹など多くの百貨店に大きいサイズのコーナーがスペースで割いている為調達可能で、従ってワイシャツのオーダーもめっきり減っていた。
よくよく考えてみると、どうも二人の息子たちに来る度に私のネクタイやシャツ等が減っているので、二男の篤嗣(あつし)に聞いたところやはりそのワイシャツを持って行ったそうな。「イニシャルがTでAと違うけどいいのか?」と聞いたところ、「一向に構わない」と言う。某損保会社に勤める彼は、たまたまそれを見た顧客から「何故?」と聞かれた際も、堂々と「親父の奴を失敬してきた!」とのたまう由。そうすると必ず相手から「親父さんも大きいんですね!」と驚かれるという。それもその筈、32才の彼は今年の春まで会社のラグビー部のキャプテンを張っており、最近リターヤーしたものの身長が184~5cm体重約90kgの堂々たる体躯をしているのだ。
長男のもやはり学生時代にはラグビーをやっていたため、身長180~181cmとひと回り小さいものの普通の人から見ると大きい方である。彼は、小さ目の私のものを持っていくようだ。但し、二人とも少し派手目の私のゴルフシャツは、趣味が合わないようで絶対手をつけようとはしない。そうそう、オーダーワイシャツと言えば昔こういう事があった。私が35才の1982年(S57)に、九州福岡に転勤したのだが、家を見つけに先乗りし際、オーダースーツとオーダーワイシャツを着て行った。
スーツは当時何時も誂えて貰っていた文京区白山の「工藤洋服店」で作ったガラス繊維を織り込んだ明るくて光沢の有るブルーの背広だった。ワイシャツは池袋西武で作った赤のタータンチェック模様の見るからに派手目のもの。ベルトも当時流行っていたセリーヌの大きなバックルのものだった。ところが行く先々の不動産会社でまるで相手にしてくれないのだ。会社が予約を入れていた不動産会社まで、事情を話して始めて物件を紹介してくれる有り様だった。よく事情を確認した処、11月と言う事もあって年の暮れに関東から派手な格好をしたヤクザものが流れて来たと思ったらしい。
それから年を重ねた今、又少し派手目のものを着ようと思っているが、"過去の轍を踏まないよう"今度は上品な?ものにしようと考えている今日この頃である。(*^_^*)
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6月8日(火) ≪刺青(いれずみ)≫
昨日ブログで触れた事に依り、ふと≪刺青≫の事を調べみた。元々我が国に於いては、縄文時代に作成された土偶の表面に見られる文様 は、世界的に見ても古い時代の刺青を表現したものと考えられる。縄文人と文化的関係が深いとされる蝦夷やアイヌ民族の間に刺青文化が存在したため、これも傍証とされるそうだ。私が≪刺青≫を最初に意識したのは、学生時代に読んだ高木淋光(あきみつ)の「刺青殺人事件」である。1948年初刊のその本の主人公野村絹枝の背中に彫られた≪大蛇丸≫に関する記述が誠に艶めかして、グイグイとストーリーの中に引き込まれた事を憶えている。
その他にも≪刺青≫を題材にした小説には、谷崎潤一郎の短編小説『刺青』や藤沢周の同名小説、或いは最近では若干二十歳で芥川賞を受賞した金原ひとみの『蛇にピアス』等外国を含めると結構沢山あるようだ。ところで、≪刺青≫は何のために痛い思いをして彫られるようになったのだろうか?一つは個体識別のためである。危険な職業である軍人や漁師が万一大怪我や死に至った時の識別に≪刺青≫が有効なのである。囚人たちの識別にも古くから用いられており、ナチのアインシュビッツ収容所のそれは有名である。
一つは刑罰である。 罪を犯した者に対して顔や腕などに刺青を施す行為は、古代中国に存在した五刑 のひとつである墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだったらしい。もう一つはサブカルチャーや性的装飾である。ヒッピーや若者たちが自分を表現するために施した「タトゥー」が前者で、主に性的サービス業に従事する女性が、男性の性的興奮を高める性的装飾として女性器の周辺に施す文化が各国に存在しており、それが後者である。
我が国では古くからくとび職を中心に≪刺青≫を入れる習慣があったが、当時は入れ墨(江戸時代の刑罰に由来し否定的なニュアンス)とか彫り物 (芸術性を認識した肯定的なニュアンス)と呼ばれていた。日本で暴力団員の多くが、施している事が知られているが、これは痛さに耐える勇気の証と今後は普通の生活には戻れないんだという意味を込めたものである。昔は、同じ針を用いたためC型肝炎にかかるケースが多く短命であったが、医学の進歩によってヤクザも最近は長生きになったのである。
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昨日暇が出来たので、急に思い立ってワイフとホームコースの「やさと国際ゴルフ倶楽部」に行って来た。朝スルーで午後1時には帰宅し、「日本プロゴルフ選手権」の宮本選手の優勝も見る事ができた。スコアーは、89回で私にしてはマズマズだったが、最終ロングホールのスコアー10は何とも頂けない。フロントナインが6オーバーの42、後半も3パー・4ボギー・1ダブルボギーで494ヤードの易しい最終ホールに差し掛かり、ドライバーで打ったボールが左のラフに!
残り約240ガードを本来であれば、3番ユーティリティー(ウッドとアイアンの中間クラブ)で打って、残りの30~40ヤードを寄せてパーでおさめる処、石川遼君の"直ドラ"(フェアウエイでドライバーを使うショット)の印象が頭に残っていたため、スプーンを持ってバーディを狙って行った。結果は大きくフックしてOBゾーンへ、打ち直しがチョロで100ヤードしか飛ばず、残りアゲインストの140ヤードを8番アイアンで打ったが、左バンカーに捕まってしまった。更に目玉のバンカーから打ったボールがトップして池にはまり、ようやく乗せて8オンツーパットの10となった次第である。
「終わりよければ全てよし」(シェークスピアの戯曲の題名:ALL'S Well The Ends Well)と言うが、終わりが最悪だった。この言葉に似た中国の格言に「画竜点睛」(がりょうてんせい)が有る。竜の絵を描いた時に、最後に目を入れる事の例えとして、「物事を完成させるために最後に加える大事な仕事或いは仕上げ」の事を言う。「画竜点睛」で思いだす事がある。今から30年以上前に市川市に辺見さんと言う土建屋さんが居た。とっくに潰れてしまたが、怒りっぽいが大変優しい人だった。その彼がある年の暮れに、ワザワザ電話をくれて「お前に餅代を用意しているから来い!」と仰る。
丁重にお断りしたのだが、言い出したら聞かない人で結局有り難く頂く事にしたのだが、開けてみてビックリなんと当時としては破格の5万円が入っていた。時効だから明かすが(ワイフには内緒にしてた?)、お陰で心豊かな?正月を迎える事が出来た記憶がある。何故「画竜点睛」か、と言うと辺見さんの背中には"竜の彫り物"が有ったのだ。彼は若い頃、「丸金」の屋号で有名な、高橋組(明治時代に結成された東京浅草に本拠を置く暴力団。指定暴力団・住吉会の2次団体)に所属し、国際劇場辺りを根城にしていたそうだ。
当時彼の幼いお子さんたちが、「パパのワッペン」と呼んでいた"竜の彫り物"には、"目"が入っていなかった。刺青も彫り続けると高熱が出るそうで、"目"は暫く経ってから彫り込むのだそうだ。彼は目を入れる前に奥さんと知り合い、「足を洗った」という。そんな遠い昔を思い出しながら私は、「日本プロゴルフ選手権」を見終わった後、"目"を入れるべく中村コーチに教えを乞うためゴルフ練習場に向かった。
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鳩山首相退陣に伴い、民主党の後継代表選挙に菅直人と余り耳慣れない名前の「樽床伸二」が立候補した。ボケ老人?で民主党の長老である渡辺恒三(78才・当選14回)曰く、彼は「民主党七奉行」の1人らしい。七奉行とは岡田克也(東大卒・57才・同7回)、前原誠司(京大卒・48才・同6回)、仙谷由人(東大卒・64才・同6回)、野田佳彦(早大卒・53才・同5回)、枝野幸男(東北大卒・46才・同6回)、玄葉光一郎(上智大卒・46才・同6回)と彼を指す。彼は、1959年8月6日に仕立て服職人である父の長男として島根県で生まれた。従って現在50歳だが、野田や玄葉、原口一厚総務大臣同様「松下政経塾」出身の当選回数5回の衆議院議員である。
彼は、スポーツ万能で中学時代はサッカー、高校時代は甲子園を目指す野球少年だったらしいが、家は決して裕福でなく、幼い妹が自身の眼前で交通事故死するなど幼少期に非常に辛い体験をしたようだ。又、祖父は全盲の障害者だったが、「たとえ障害者であっても自分の足で立って生きていくべきだ」というしっかりとした考えを持つ人だったようだ。その祖父の教えが、その後「機会の平等」の実現を訴える政治家としての道を決定づけることとなる。しかし、「なんとか委員長」という肩書程度しか知られていない彼が、何故不利が予想される今回の「党の代表=首相」指名選挙に立候補したのだろうか?
七奉行の内、彼以外の殆どが「反小沢」を鮮明にしている。「小沢グループ」は党内約150人の議員を擁する最大派閥であり、その存在を明確にするために、小沢がグループの彼を選んだいう説が一つである。もう一つのうがった見方として、昨日の立候補の記者会見で菅が、「小沢が面会を申し込んでも会ってくれない」と述べていたが、そこら辺りにヒントが有りそうだというものだ。要するに、菅首相が誕生しても、小沢が厳然として闇将軍として影響力を持ち続けるために今は、敢えて距離を置いているというポーズが必要だという説である。何れにせよ、「樽床」はダミーで選ばれたことになる。
後者が事実であれば、これ程の「茶番劇」はないが、私が思うに「樽床」はこの機会を大いに利用すればいいのだ。かつて小泉元首相は何度も総裁選に出馬し落選を重ねた結果、歴史に名を残す一国の宰相に上り詰めた。「樽床」は、衆議院議員の80議席の定数削減を打ち出しているが、大いに共感を呼ぶところである。彼は、前掲の如く党内の実力者と比べても経歴的にそんなにそん色ない。そう、近い将来ひょっとすると「瓢箪から駒」が出るかもしれない?
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6月3日(木) ≪怒り心頭!"ふざけるな!"≫
"泣くな『小鳩』よ。心の・・・"、昨日鳩山首相の「サムアップ」に関してブログでアップした途端、辞任したのでビックリした。組織のトップで「当事者能力」に欠けるタイプに二つのタイプが有る。一つが自らリスクや責任を取らない「批評家」タイプと、もう一つはあれがいい、これがいいと言って理想を描くが、元々能力がなくて頓挫する「夢想家」タイプである。彼は明らかに後者のタイプだろう。退陣に伴い政治家も辞めるそうだが、これだけは賢明な選択だと評価したい。実は今日は、この話題ではないのだ。
去る2月、定期整備のために我が社のレンタル機である大型油圧ショベルを製造メーカーの市川工場に入庫していた。そこにはそのメーカーの教習センターが併設されているが、教習センターの改築工事に当該機械を貸してくれないか?との問い合わせがメーカーの担当者から有った。施工業者は東証1部上場のM道路で、支払いは間違いないので直接取引して欲しいと言うのだ。当社は相手がどこであろうと、基本取引契約書として社名・住所・代表者名・担当者名・連絡方法・主な事業内容・主な販売先、仕入先・取引銀行・締め支払い・支払い条件等を当社の取引条件を記載した「取引マスター」に書いて貰うようにしている。
当然M道路からもそのマスターを貰った上取引したが、2月で締めた請求金額約122千円を支払い予定日の4月末になっても支払ってこない。その旨先方の支払い窓口に確認するも一向に要領を得ず、担当者に連絡を入れたところ、処理が遅れていたとのたまう。やかましく抗議をした結果、5月末迄には支払うと言う事で止む無く納得した。ところが5月末になても入金がないため、再度担当者に確認したところ、今度は指定請求書ではないのでとか、6月末になるとか言ってまるでお話にならない。元々或る取引先に確認してみると、このM道路は業界でも支払いが悪いと頗る評判が宜しくないようだ。
1992年にピークだった(名目)建設投資は、今や「コンクリートから人へ?」と言うような訳も解らないキャッチコピーのもと50%以下に削減されている。その分建設業者も疲弊し、工事に使用する機材もリース・レンタルの活用でアウトソーシングする傾向にある。ところが、大手建設会社の下請けいじめや弱い者に対する圧力が収益確保というお題目の基に、以前ににも益して散見されるようになった。今回は、私の猛抗議で明日(4日)には必ず支払うとの言質を得たが、≪怒り心頭!≫でこのまま許す積りもない。レンタル業界の地位向上のため、今日の午後公正取引委員会に赴き、このようなケースが「下請法」に抵触するのか、或いは「優越的地位の乱用」に当るのか確認し、若し違反しているとなればその上場会社に何らかの警告を発する積りである。
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6月2日(水) ≪「サムアップ」"窮鼠猫を噛む"か?≫
昨日『小鳩』が、民主党小沢幹事長と同輿石参議院議員会長との三者会談の後、記者の「続投ですか?」という質問に対して、「「サムアップ」してみせた。「「サムアップ」とは文字通り「thumb(親指) up」で、グーから親指を立てるポーズである。よくロックグループなどが、コンサートで見せるが明確な意味が無く、強いて言えば「よくやったぜ!」と言うくらいの意味だろう。もしそういう意味合いで考えるならば、鳩山下ろしを画策し輿石とそれを同調せざるを得なくなった小沢に抵抗し、「押し返したんだよ!」と言う事になる。
小学校の2,3年の頃だろうか?こんな事が有った。1人のガキ大将の「腕白坊主」が、ひ弱で落ちこぼれ気味の同級生を事あるごとにイジメていた。ところが、或る日の事、何時ものようにイジメが始まった途端、落ちこぼれの彼が泣きながら「腕白坊主」に向かって行ったのだ。所謂」"窮鼠猫を噛む"ってやつで、「腕白坊主」は思わぬ反撃を受けてたじろぎ、それ以来彼に対するイジメを止めてしまった。弱い者でも逃げ場を失う程追いつめられると居直って天敵と言えるような相手さえ立ち向かって行き異常な力を発揮するものである。
少し例が違うかもしれないが、今の鳩山首相がそれに似ている。普天間基地の移転では、もたついたものの、社民党の政権離脱は彼だけの責任ではなく、党の責任でもある。内閣の支持率下落も小沢の"政治と金"の問題も影響しており、若し彼が首相を辞任するとしたら小沢と刺し違える覚悟と見受けられる。正に≪窮鼠猫を噛む"か?≫である。彼は以前にも「サムアップ」のポーズをとった事が有る。それは、2009年8月に政権交代が現実味を帯びてきた時で、民主党本部で同じように親指を立てた。彼は勝算がある時は、少し品格に欠けるが必ず親指を立てるようだ。
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世の中アップルの「ipad」の国内発売の話題で持ち切りだが、私は漸く以前から欲しかった「アイポッド ナノ(ipodnano)」を手に入れた。「アイポッド」は、アップルのフラッシュメモリを内蔵したデジタルオーディオプレーヤーである。自分ではよく解らないので、我が社の女性スタッフにお願いしてビッグカメラで買って来て貰った。腕に巻くウオーキング用のホルダーやイヤホーンを含め、約2万5千円程の買い物である。いつも電車の中で若い人たちが聞いている姿を横目にしていたが、恥ずかしながら?小生もウォーキングの際に好きな音楽を聞きたくて買ったのである。
嬉しい事に、クラシックや「懐かしのオールディーズ」或いは日本の今風の音楽を含め彼女が630曲をインストールして持ってきてくれたのだ。感激したのは、1950年代後半から60年代にかけての懐かしい曲が満載で、特にプレスリー、ニール・セダカ、ナット・キングコール、フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、リッキー・ネルソン、コモドアーズ、プラターズからハンク・ウイリアムスまで、今は中々聞く機会が少ない曲が沢山あるので、これから楽しみだ。久し振りのウオーキングで今朝はたまたま、コニー・フランシスの歌を聞いた。
1938年生まれの彼女の事を知る人は、少なくなったろうが彼女はイタリア系のアメリカ人で、本名は「コンチェッタ・マリア・ローサ=フランコネロ」と言うらしい。代表的な作品に、当時日本では弘田三枝子が歌ってヒットしたヴァケイション( Vacation )やボーイ・ハント (Where The Boys Are )、中尾ミエが甘え声で歌ってヒットした可愛いベイビー (Pretty Little Baby )やカラーに口紅 (Lipstick On Your Collar )、間抜けなキューピッド (Stupid Cupid)等が有名である。意外な事に、あの山口百恵も可愛いベイビーを歌っているそうだ。
因みに今日は、リズムに乗ってヴァケイションや間抜けなキューピッド で早足、ボーイ・ハントや可愛いベイビーで並足で歩いた。明日はどの曲を聴きながら歩くか、楽しみになって来たが、ナイキのシューズに「アイポッド」のメモリーを装着して、万歩計になるらしく早速それもネットで買う事にした。数ヵ月後の私のスリムな体に、ご期待あれ!(●^o^●)
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