2010年2月3日(水) ≪千葉県が生んだ偉人「伊能忠敬」≫
我が千葉県には、現在約5,157平方キロメートルの面積(全国28位)の中に6,187千人(同6位)の人が住んでいる。都道府県ランキングでは、県民総所得・就業者数・住宅着工戸数・漁獲量・工業製品出荷額・銀行預金残高・小学校数・人口増加率・若者数?・グーグル検索数等が人口同様6位だそうだ。世帯数・自動車保有台数・銀行貸出残高・駅の数は7位らしいが、工事出来高・ゴルフ場の数が5位、観光客数が4位、農産物産出額とラーメン屋の数が2位だそうだ。(自殺者数は7位!)
ご承知の通り千葉県は、東西・南を海に接して居り、所謂袋小路状態が災いして首都圏に於いて神奈川や埼玉に後れを取る事が多々有ると言われている。又、昔からヤクザが多い事でも知られているが、我が県が生んだ代表的な偉人の1人に「伊能忠敬」を挙げる人が殆どだ。物の本に依ると彼は、九十九里に生まれ不幸な少年時代を過ごしたが、勉学をよくし養子先の商家では事業を3倍ほどに拡大させた後に、50歳で暦学や天文学を学ぶため江戸に出たという。
51歳で江戸幕府の天文方を勤める19歳年下の高橋至時(よしとき)に師事し、瞬く間に暦学を学ぶ一方で自費で高価な当時の観測器具を購入し、寸暇を惜しんで測量技術の習得に没頭したそうだ。彼は寛永12年(1800年)、56歳の時に江戸幕府に建言して蝦夷地、今の北海道から第1次測量を開始した。ロシアとの関係が緊張し始め事もあって、慌ただしく出発忠敬を含む6人は、十分な機材を持たず、距離の測定は、1歩を凡そ70cmとして計測したという。その時の測量地図を見た幕閣はその精巧さに驚き、忠敬はやがて幕府の以来で何度も測量旅に出るのであった。
日本全国の測量を開始した彼は、1815年2月19日最終測量地点の東京・八丁堀で、忠敬はすべての測量を終えた。時に忠敬70歳。彼が15年以上かけて歩いた距離は、実に4万キロ、つまり地球を一周したことになる!あとは、誤差を修正して各地の地図を一枚に繋ぎ合わせるだけであったが、既に高齢になっていた忠敬は肺を病み、1818年73歳で病没する。そしてその後彼の功績を知らしめる為、高橋景保(至時の息子)や弟子たちは彼の死を伏せて、完成した地図を発表したのであった。
こうみると忠敬は、50歳までと51以降73歳までの二つの人生を上手に歩んだことになる。私もこの会社を立ち上げた時が51歳の時で、少し遅いと思っていたが、彼の功績を見るにつけ決してそうではないと思うに事で安堵したものである。
<忠敬が作った日本地図の一部>



