Archive: 2009年11月

昨日行われたWBCフライ級タイトルマッチで、浪速乃闘拳(なにわのとうけん)こと亀田興毅(23才)がチャンピオンの内藤大助(35歳)を判定で破り新チャンピオンに輝いた。二人の年齢差が一回りもあり、片や上り坂一方が下り坂という事を考え併せると当然の結果かもしれない。しかし、2007年に弟大毅が内藤に敗れ反則によって彼が1年間の出場停止を食らってからの、ヒール一家「亀田家」の苦労はファン離れもあって、大変なものだったろう。

今回も興毅は、3回までにKOすると大口を叩いていたが、結局最終ラウンドまでもつれ込み、約束を果たせなかった。もっとも、これもモハメド・アリタイソンなどの物言いを真似た「亀田家」独特のパフォーマンスかもしれない。今回の試合の中で、アナウンサーや解説者が1994年12月に行われたWBCバンタム級タイトルマッチ、チャンピオン薬師寺保栄と挑戦者辰吉丈一郎との一戦と比較していたが、私は語り継がれたあの戦いとは雲泥の差が有ったように思う。

何故なら、全体的にアグレッシブな戦いを挑んだのはチャンピオン内藤側で、興毅は終始カウンター狙いで余り前に出ず挑戦者としては、些か物足りなさ感じたからだ。それが証拠にテレビ放映の20分後にチェックしたインターネットの満足度調査では、10点満点が16%有ったものの0点が28%と大きく上回った。私も5点しか付けなかったのだが、5点以下が約58%近く占めたことから頷けよう。それに終わった後の彼のインタビューが何とも頂けなかった。確かに、彼ら一家を支えてくれたファンに対するお礼の言葉は有ったものの、23歳にもなった男が公共の電波で『親父 やったで!』はないだろう。

健闘した年上のチャンピオンに対する、「尊敬の念とねぎらいの言葉』を期待した私が間違いだったのだろうか?辰吉は試合前、薬師寺のことを罵っていたが、試合終了後薬師寺を抱え上げ「薬師寺君は強かったよ。試合前に侮辱したことを謝りたい」と勝者を称えた。対する薬師寺もインタビューで「辰吉君は自分がこれまで戦った中で一番強い選手だった」と敗者を賞賛した事は記憶に新しい。一体全体この「亀田家」は、何処まで内向きなのであろうか?

亀田.JPG                 <この試合が薬師寺対辰吉戦に勝るって¿¿¿・・・> 

カナダ国境から180kmのワシントン州シアトル市内にある墓地に、≪ジークンドー・マスター、ブルース・リー≫と刻まれた墓標がある。言わずと知れたカンフースター、ブルース・リーのお墓である。彼は1973年に32歳の若さでこの世を去ったが、彼が生まれたのが1940年(S15年)の今日11月27日である。名前の前に刻まれている"ジークンドー"とは、彼が編みだした武道、「截拳道」のことでカンフーの技術に、空手、ボクシング、サバット、合気道、柔道などさまざまな格闘技のエッセンスが取り入れられているものらしい。又、日本語読みでは"せっけんどー"と言うらしい。

彼は、アメリカのサンフランシスコで生まれたが、香港の九竜に戻り子役として多くの映画に出演する。その後18歳で再びアメリカに戻り、ワシントン州立大学在学中に自らが考案したこの"截拳道"の道場を開設した。その6年後にロング・ビーチで行われた世界空手トーナメントでの模範試合が注目され、ハリウッドのアクションを指導するようになり、門下生には私も大好きなスティーヴ・マックィーン、ジェームズ・コバーンなどのハリウッドスターも名前を連ねたいたらしい。

その後「グリーン・ホーネット」というTVシリーズ出演したが、彼を一躍有名にしたのは何と言っても、登場シーンの音楽がカンフー映画の代名詞となった1973年に制作した「燃えよドラゴン」である。この映画は世界的に大ヒットし、私たちも学校内で俄かヌンチャクを作り、彼のアクションを真似したものである。実は、彼はこの「燃えよドラゴン」公開直前に謎の死を遂げていた。一般的には、脳腫瘍と言われているが、一説には麻薬中毒ではないかと噂されている。

何れにせよ、全盛期に亡くなっており彼のカリスマ性は今でも絶大である。彼の時代には『K-1』は未だ生まれていなかったものの、魔裟斗(マサト)と戦わせてみたかったと夢想するのは私だけだろうか?

200px-BruceLee_T.jpeg                 <米ワシントン州シアトルにある ブルース・リーの墓>

 

リース業協会の会合は、全国・東京共にお茶の水の≪山の上ホテル≫で催されること多い。元々事務局が当地に有った為自然とそうなったのであろうが、このホテルは歴史と伝統を感じさせる如何にも趣があるホテルである。アール・デコ調のクラシカルな内外装を残すこのホテルは、1936年(S11年)にアメリカ人の建築家により設計により建てられが、太平洋戦中には帝国海軍、引き続いてGHQ陸軍婦人部隊に接収され宿舎として用いられた後、1954年(S29年)に一般向けホテルとして開業したそうだ。

出版社が密集していた神田に近いため、昔は著名な作家、例えば川端康成、三島由紀夫、池波正太郎などの定宿になっていたらしい。又、近年では伊集院静も東京での定宿として利用していると聞く。私も学生時代は、お茶ノ水を根城にしていたが当時はこのような高級ホテルは利用出来る筈もなかった。今でこそ、歴史の重みを感じさせる"バー ノンノン"、"葡萄酒ぐら モンカーヴ"や"鉄板焼きガーデン"を珠に利用することがあるが、他のホテルのレストランなんかより何故かずっと落ち着く。

昨日も3時から5時まで当ホテルで会合をこなしたが、今日も実は別館2階【海の間】で全国の「流通委員会」が開催される。他の場所なら何時も億劫に感じるが、この≪山の上ホテル≫だけは別なのが、何とも不思議である。

山の上ホテル.JPG          (何時までも残したい、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の≪山の上ホテル≫)

今日の私のブログは湿っぽくて、面白くないかもしれない。去る11月22日の日曜日、ワイフの九州の友人が成田の日航ホテルに来たというので、ワイフは会いに行ったようだ。彼女は、下の息子の同級生の母親で九州に赴任した時に知り合い、彼女のご亭主が茨城県の土浦市の全農にお勤めしていた際も、親しくお付き合いをさせて貰っていた。彼女が今回来た目的は、ご子息夫婦が手当てした白井の新居の場所の確認と、ワイフに最後に会うためである。

彼女は、末期ガンで余命幾ばくもないらしい。彼女はワイフと同じ年齢なので、還暦を少し過ぎたばかりである。勿論彼女は、自分の病状をしっている。現在は、病院を出てホスピスの先生にお世話になりながら、自宅と往復しているそうだ。既に放射線治療も卒業し、痛みはモルヒネで和らげているらしい。モルヒネを打った時だけは、桃源郷に赴いた心持だそうだ。彼女は音楽の先生をしていたくらいで元々しっかりしており、今回ワイフと一緒に過ごした約1時間超の間も殆ど涙を見せず気丈に振舞っていたようである。

彼女は、既に覚悟が出来ていて自分の「お葬式」の段取りも葬儀屋さんと打ち合わせ済らしい。その話を聞いて、果たして自分だったらどうだろうか?と考えてみた。男は弱いもので、恐らく喚き散らし泣き叫ぶだろう。そして、「人間はいずれ誰でも死ぬんだ!」と泣き泣き諦めるのかもしれない。彼女は、全ての準備を行いご主人の行く末まで案じているらしい。何と、立派なことか!但し、ワイフとの別れ際に「主人を先に送って、息子家族と一緒に住みたかった」と言った言葉が、意味深長で何故か心に強く残っている。 091123_133439.JPG

 <人生は流れ出る水如し、泡沫に似て現われては消え去るのみか?/やさと国際14番TGから滝を望む>

091123_103213.JPG私が「床屋さん」に行かなくなって久しい。家でカミさんがやってくれるくれるからだ。昨日もゴルフから帰ってきて、風呂場でカットしてもらった。カットグッズもハサミやケープ他、大体揃っている。カットする時期や頻度は、彼女が美容室に行く回数に比例しているから、意外と判りやすい。若い頃にもカットして貰っていたが、子供達に手が掛る時分になってからは、「床屋さん」に行くようになった。名誉のために言っておくが、彼女は「髪切り」に関してはど素人だから、私は決して『髪結いの亭主』ではない!家で髪をカットするには、それなりの理由がある。

一つは、「床屋さん」で切るとなかなか自分が満足するスタイルに納まらないからだ。「床屋さん」のスタッフには、珠にしか会わず私の事を知る由もないし、カットする人も毎回変わるから当然の事かもしれない。もう一つは、経済的な理由からで、「床屋さん」に行くとお小遣いが約5,000円程減るからだ。更に言うならば、カミさんの趣味にお付き合い?するためだ。このブログをカミさんが見ると『そんなことは有るわけないでしょ、貴方のためにやっているのよ!』と烈火の如く怒りそうだが、孫が来る度に喜々として、ハサミを駆使して上手に髪を揃えている姿を見ると、そんな気がしてならない。

人間の衰え、特に男性の老化は見た目で「」に現れる。言わずもがな、髪が薄くなったり、白くなったりである。人間の顔は、左右対称ではないと言われているが、私の髪も元々左側頭部が右より濃い。又、白髪も右側の方が多い。これはどういう事なのだろうか?医学的には、左脳が言語や論理的思考をつかさどり、右脳が映像やイメージや芸術的想像力即ち感覚をつかさどっていると言われる事が多いようだ。右側頭部の方が白髪が多いということは、想像力を酷使し過ぎて感覚的なイメージが枯渇しつつあるのかも知れない。(*^_^*)

近々『脳ドック』を受ける積りだが、先ずは脳のトレーニングを行い、「」の本数を含め、ここで衰えをストップさせる方が先決なのかもしれない! 091123_101011.JPG            

右上:やさと国際ゴルフ倶楽部6番ショートホールのティグランド脇に咲いた、さざんかとピラカンサス。(11月23日撮影)

左下:同ゴルフクラブ5番ロングホールのティグランドから遥か筑波山を望む。

昨日の問いの答えを発表し~す。通常≪新幹線≫は、英語で【Bullet Train】と言います。Bulletとは弾丸の事で、文字通り"弾丸列車"という意味です。勿論固有名詞として【Sinkansen】という言葉や【Super Express】も使うそうですが、一般的には【Bullet Train】を用いると或る外人さんに聞いた憶えが有ります。元々新幹線の原点である"弾丸列車"計画は、満州事変・日中戦争が激しくなって東海道線、山陽本線での輸送量が急増したことから、1930年代の終わり頃発案されたそうです。

ところで話はコロッと変わるのですが、『今日は何の日』かご存知ですか?「山梨県民の日」、「世界子どもの日」と並んで「ピザの日」だそうです。日本に初めて紹介されたピッツァはアメリカ風ピザだったのですが、1980年代からのイタリア料理ブームに伴いイタリア風のものも広く知られるようになりました。今では、家庭向けの冷凍食品からレストランや専門店などの飲食店で提供されたり、あるいは電話などで注文する宅配サービスでも購入することができるため、一般になじみのある料理です。

じゃ、何故「ピザの日」なのでしょうか?実は今日11月20日(1851年)が、イタリア国王ウンベルト1世の妃であるマルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイアの誕生日だからだそうです。彼女は75歳で亡くなりましたが、イタリアの芸術の発展や奉仕活動に尽くし広く国民から敬愛された王妃の名は、庶民の食を代表するピッツァの種類のひとつである≪ピッツァ・マルゲリータ≫に残されたのです。

私も外でピザを頼む時は必ず≪ピッツァ・マルゲリータ≫をオーダーするようにしていますが、今日あたりは、届いたばかりの「ボジョレーヌーボー」を飲みながら≪ピッツァ・マルゲリータ≫に舌鼓を打ちたいと思いま~す!

marugeri-ta.jpeg ボジョレー.JPG

(マルゲリータ王妃と今年届いたボジョレーヌーボー)

 

 

 

 

私は今≪新幹線≫で広島に向かっていて、このブログは、その車中で書いている。新幹線に乗るのは、兄弟旅行以来丁度一ヶ月振りである。広島に行く目的は、全国建設機械リース業協会の「正副会長会議」が、今日広島で開催されるので参加するためだが、当初の一泊どまりの予定が、明日の仕事の関係から日帰りとなり、美味しい『広島牡蠣』が食べられないのではないかと心配しているところである。

ご承知の通り≪新幹線≫は旧国鉄が1964年(昭和39年)10月1日に、東京オリンピックの開催に合わせて営業運転を始めた東海道新幹線が初めてだが、ここに来て『地球温暖化』の問題で、飛行機より環境に優しいと世界的に見直され、輸出商談も中国を始め結構増えてきたようだ。又、安全面でも約45年間に亘り搭乗者の死亡事故が起きておらず信頼性も高い。加えて、在来線を改良して≪新幹線≫と直通運転できるようにしたミニ新幹線は、日本全国津津浦浦路線が張り巡らされれば、尚一層利便性が高まるだろう。

ところで皆さんは、今現在日本全国で何本の≪新幹線≫が走っているかご存じだろうか?

山陽新幹線・・・のぞみ、ひかり、こだま

九州新幹線・・・つばめ

東北新幹線・・・はやて・やまびこ・なすの

秋田新幹線・・・こまち  

山形新幹線・・・つばさ

上越新幹線・・・とき・たにがわ

長野新幹線・・・あさま

又、かつては「あおば」 (東北新幹線)や「あさひ」(上越新幹線)などもあった。 何だか取り留めのない文章になってしまたが、ノートで疲れたのでこの位でお開きとさせて頂きます。ところで最後にもう一つ質問!≪新幹線≫を英語で何と言うのでしょうか?お答えは明日・・・ (^-^) 091119_123319.jpg                     <新幹線の車窓から京都の山々を望む>  091119_123319.jpg

"仕分け人 仕置き人と 勘違い!"

昨日、≪事業仕分け≫の前半戦が終了した。≪事業仕分け≫とは、鳩山首相を議長とする政府の行政刷新会議のワーキンググループで、2010年度予算の概算要求から無駄を洗い出す作業を、公開の場において、外部の視点も入れながら、それぞれの事業ごとに行うこという。刷新会議事務局長が代表を務める政策シンクタンク「構想日本」がかねて提唱し、京都府など約40自治体がすでに実施しているらしい。

連日テレビ中継された≪事業仕分け≫は、まるでワーキンググループの民主党衆議院議員枝野幸男氏や同参議院議員の蓮舫氏が、大岡越前や遠山の金さん宜しく仕分け先の担当役人や公益法人の役員連中を白州に座らせ、糾弾してるかの如く見えた。視聴者の一部に『やり過ぎ』という意見はあるよだが、大方の人々は無駄遣いを止めさせるためによくやっていると評価しているようだ。従って、外交方針のブレや選挙資金の問題でやり玉に挙げられている鳩山首相も、極端に支持率が下がっていないのであろう。

95兆円に上る22年度予算の概算要求から3兆円を削る構えだが、この≪事業仕分け≫では今のところ4000億弱しか削れていないものの、特別会計から返納を求めた「埋蔵金」が1兆円近く炙り出されたのだから、今後に一層期待したいものだ。今回に仕分け事業のポイントは【費用対効果】が大きな柱になっているようだ。しかし、民主党が政権奪取時に掲げた『児童手当』、『高速道路の無料化』や『高校授業料の無料化』等のマニュフェスが聖域化され、何故≪事業仕分け≫の対象とはならないのだろうか?その辺りが甚だ疑問である! 1116.jpeg                  (≪事業仕分け≫作業を行う蓮舫議員と枝野議員)

一昨日、『東京建設機械リース業協会』の"40周年記念セミナー"行事にに参加するため、鬼怒川温泉に車を転がして行って来た。行く途中の道すがら、温泉峡に入る手前の田舎道で一対の≪道祖神≫を見つけた。≪道祖神≫は、村の守り神として、多くは村の中心、道の辻、三叉路に立っているようだ。村人たちが五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願するもっとも身近な神として、男女像を独特の知性とユーモアで造り上げたものが多いようだ。

≪道祖神≫の種類には、単体道祖神・単体二神道祖神 ・球状道祖神・文字型道祖神・男根型道祖神・双体道祖神・餅つき道祖神(男女の性交を象徴する)・自然石道祖神などがあるそうだ。元々、道祖神の「」の漢字のつくりの「且」は、甲骨文字、金文体上では男根を表していて、これに呼応するように、文字型道祖神では「」の文字が女性器の形をしているものもあると聞く。古くは、奈良県明日香村にある飛鳥時代の石人像(重要文化財)が、道祖神の始めとされているが、男女の営みを通じて"守り神"信仰が生まれてきたようだ。

平安時代の書物にも既に『道祖』という言葉が出てきているそうで、その時代から"結界神"(村と外界を分かち災厄を村に入れないための神)として、我が国の方々に建てられてきた模様だ。特に関東・甲信越地方に多く分布しているようだが、出雲神話の故郷である島根県には少ないというから面白い。長野県の安曇野市は、≪道祖神≫の宝庫として有名で、≪道祖神≫巡りをしている人が有ると聞くが、是非皆さんも地元にある≪道祖神≫の起源や意味を調べてみるのも、地元を見直す良いきっかけになるのではないだろうか?

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<路傍で見つけ道祖神とすっかり紅葉が終わった車窓の風景>

去る14日(土)、コベルコ建機が"2009秋のKOBELCO新商品発表内見会"と銘打って、東日本コベルコ建機本社(市川)にて開催した新機種発表会に行って来た。会場では新商品発表のプレゼンテーションが行われていたが、概ね環境対策機械が展示されている中で、SK80Hハイブリッド(自重8t・バケット容量0.25M3)が目を引いた。ご承知の通り、自動車業界が息を吹き返しつつあ有るのは、販売の主力が低燃費の環境対策車、それもハイブリッド車が中心になっているからである。

"建設機械お前もか? "という感じであるが、国内建機メーカートップのコマツも20tクラスのショベル(バックホー)のハイブリッド機生産に着手しており、中国では売れているという噂を聞く。油圧ショベルはクルマとは異なり、移動の他に車体の旋回やアームの駆動などの動作を行う。その動作には油圧を利用しているが、開発したハイブリッド機では、旋回用の電気モーターを使用し、油圧式に比べて始動と加速が向上、さらに旋回減速時のエネルギーを回収することで平均燃費も約25%前後向上したとPRしているようだ。

しかし問題は価格である。聞くところによると、従来機の3倍近くするそうで如何にコストを吸収できるか?が課題となる。鳩山首相が国際的に公約した2020年に排出ガス25%削減するためには、建設機械も流れはハイブリッド化に向かうと思うが、1日24時間稼働する中国と違って我が国では、お国の工事積算単価が相応にUPしないと、普及は難しいと思う。予算削減の折柄、環境対策には新たなお金が必要になるのである! haiburiddo.JPG

                   <コベルコ建機のハイブリッド・ショベルSK80H型>

今週の日曜日、朝ベッドを離れ二階から階段を数段下りたところで、左の膝に一瞬激痛が走った。手すりに掴まって1階に下り切った時には既に痛みは治まっていたものの、どうも違和感を感じる。早速、月曜日に会社の近くの整形外科でレントゲン検査をして貰った処、膝の軟骨がすり減って膝の関節の摩擦が大きくなり、周囲の神経を刺激して痛みが生じるようになったとの診たてだった。これが中高年の膝の痛みの原因の大部分を占めているらしい。治療法は、リハビリで膝の近くの筋肉を鍛え痛みを和らげるしかないという。

確かに最近は、一時やっていた「スロージョギング」も風邪をひいた時に中断?しているし、慢性運動不足である。何事も『三日坊主』であり、続いているのは当会社を立ち上げた際に断行した"禁煙"くらいのものである。それに、何と言ってもワイフの言う通りく『オーバーウエイトが膝への負担を大きくしている!』のだろう。これからは、減量と運動不足解消のために『腹八分目』と、駅の階段を上り下りする際は、エスカレーターやエレベーターを利用しない事を直ちに決めた。

私の数少ない趣味にゴルフがある。下手は下手なりに、自然の緑と美味しい空気を吸える醍醐味があるので楽しめるのだが、歩けなくなったんでは元も子もない。早速、インターネットで≪膝の痛み≫と打ち込んで調べてみたところ、スパイラルテープを貼って膝を安定させ痛みを和らげる方法や、"軟骨成分が軽快な毎日をサポート"と銘打って『発酵グルコサミン』をPRしているサイトを見つけた。かぶれ症の私は、過去にテープを貼ってえらい目に遭ったので、テープは一先ず置いといて、取り急ぎ『発酵グルコサミン』の試供品をオーダーしたのは言うまでもない!

アッツ、今日はリース業協会千葉協議会のボーリング大会だった、左足1本で立たなけれならない。どうしよう? hizaex3.jpeg           <もし痛みが激しくなれば、リスク?を冒してでもやってみようかと思っている>

昭和の喜劇映画界を彩った最大の巨星、森繁久彌が天国に召された。96歳というから大往生である。彼は、三船敏郎(1920~1997年・後に三船プロを設立)や加山雄三、植木等らと共に1960年代の東宝映画の全盛期を築き上げたのである。7代目(現)立川談志は、彼の事を『日本最高の喜劇役者』と自分の著書で絶賛している。但し、それも彼の周りで彼を支えたキラ星の如く輝く脇役陣の存在が有ったからである。主な作品の共演俳優を挙げると次の通りである。

≪映画≫                                                                                                                               『社長シリーズ』(源氏鶏太作・1956~1970年・30数作)・・・【男優/小林桂樹(実直な秘書)、加藤大助(総務部長)、三木のり平(営業部長)、フランキ―堺(変な日本人・中国人)、東野英二郎(親会社の大社長)、宮口精二(社長夫人の父親)、小沢昭一(中国人バイヤー)】・【女優/久慈あさみ(社長夫人)、司葉子(小林秘書の恋人)、新珠美千代・草笛光子・淡路恵子(社長の浮気心をくすぐるバーのママ又は芸者)、池内淳子(社長を誘う芸者)】・【その他、有島一郎、山茶花究、左卜全、団玲子等】

駅前シリーズ』(井伏鱒二の「駅前旅館」を映画化・1958~1969年・24作)・・・【男優/伴淳三郎・フランキ―堺(共に友人又は敵対関係役)】・【女優/淡島千景・淡路恵子・池内淳子・乙羽信子・大空真弓(いずれもマドンナ役)】・【その他、三木のり平、松山英太郎、森光子、沢村貞子、京塚昌子、中村メイコ等】

≪テレビ≫                                                           『七人の孫』(TBS・源氏鶏太原作/向田邦子脚本・1964~1966年)・・・【大阪志郎・加藤治子(息子夫婦)/高橋幸冶・松山英太郎・いしだあゆみ・島かおり・勝呂誉・長谷川哲夫・田島和子(七人の孫たち)】・【その他、悠木千帆、月岡夢路、松本めぐみ、石坂浩二等】

だいこんの花』(テレ朝・向田邦子脚本・1970~1977年)・・・【竹脇無我、大坂志郎、加藤治子、牟田悌三、ミヤコ蝶々、関根(現高橋)恵子、いしだあゆみ、川口晶、武原英子等】

≪ラジオ≫                                                                  『日曜名作座』(NHK第1・1957~2008年・ラジオドラマ)・・・【加藤道子(俳優・声優)】

全てそうそうたるメンバーであるが、何と言っても彼がシリアスな役を演じる俳優として認められたのは、1955年に淡島千景と共演した維康柳吉役の『夫婦善哉』であろう。これは織田作之助の小説を原作にした、大阪の昭和初期を舞台に大店のドラ息子としっかり者の芸者の夫婦を描いている豊田四郎監督の名作である。森繁の成功の影響でコメディアンの中からベテランになるにつれてシリアスな演技者となりたがる者が多発したため、これを「森繁病」と呼んだことも有ったと聞く。

その良い例が、今日の日経新聞文化欄にも出ていたが、名作『飢餓海峡』の伴淳三郎であり、『私は貝になりたい』のフランキ―堺であろう。又、その他にも影響を受けたと言われているのが、有島一郎であり、テレビの藤田まことだそうだ。既に天界で多くの仲間たちと笑いを撒き散らしているであろう、『日本最高の喜劇役者』に合掌、そして献杯!!!

森繁.JPG f748c4547d6c1938.jpeg (東宝映画の1時代を築いた森繁と三船)

 

 

  

昨夜茶の間に2件のビッグ・ニュースが、飛び込んで来た。言わずと知れた『昭和の喜劇王』森繁久彌氏が96歳で亡くなった知らせと、英会話学校講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさんの死体遺棄容疑で全国に指名手配されていた市橋達也容疑者が、大阪市内のフェリー乗り場で逮捕されたというニュースである。森繁久彌氏の事は、別の機会に取り上げるとして市橋達也容疑者の逮捕は、通報者が整形手術の傷跡で彼ではないかと疑い、警察に連絡したと言うから皮肉なものである。

元々、我が国における美容整形は昭和初期に始まったとされている。ヨーロッパの美容外科技術が紹介されたのをきっかけに、各科の医師が研究し、試行錯誤を重ねてきて現在に至っている。特に、戦後の昭和30年ごろには欧米への憧れから高い鼻や、二重まぶたを求める女性が増え、美容整形は徐々にではあるがが、日本に普及していったそうな。昔は「親に貰った顔や身体にメスを入れるものではない」などと言ったものだが、事故による傷跡や火傷の跡なども修復出来るため、現在では完全に『市民権』を得たと言えよう。

数年前に韓国人の方から韓国の芸能人は殆ど整形手術を施していて、術前と術後の顔がネットで確認できると教わり、検索して見た覚えがある。確かに、事実かどうか?定かではないが、ぺ・ヨンジュンもチェ・ジューも昔の顔を確認できた。現在はプチ整形という言葉が生まれ、ニュースや電車車中のCMなどでも取り上げられ、いっそう美容整形は身近になってきているようだ。以前よりずっと気軽に、また、安くできるようになった美容整形は今後も注目を集めていくことだろう。

因みに治療内容のランキングは、①位 目の二重手術 /②位  しわ・たるみを取る手術 /③位 あざ・しみ・ほくろ除去手術 /④位 腋臭・多汗症手術 /⑤位 鼻の手術 /⑥位 豊胸手術 /⑦位 脂肪吸引 /⑧位 美肌手術? /⑨位 脱毛手術 /⑩位 ニキビの手術 だそうだ。さて。皆さんがやるとしたら、どの整形手術ですか?私は断然、⑦位の脂肪吸引手術で~す。(*^_^*)

しかし、今回の事件でどうしても解せない事がある。それは、最初に市橋容疑者が整形手術を施した際に、この道のプロである整形外科医師が何故、彼と見抜けなかったか?である。いづれこの辺りの事実も、おいおい解明されると思うが! siwatori.JPG

                                            (額のプチしわ取りのbefore&after)

 

今日は、トイレ記念日だそうだ。「いい(11)(10)イレ」の語呂合わせにより、1986年に日本トイレ協会が制定し、毎年公衆トイレを対象に「グッドトイレ賞」の表彰を行っているそうだ。人間にとって、排泄行為を行うトイレは、非常に大切な場所でありこのブログでもトイレを取り上げるのは、確か2度目の筈だ。我が国に於いて、現在一般的に用いられるようになった座って用をたす洋式便器や男性用の小便器は、第二次大戦後西ヨーロッパから伝えられたと言う。

日本人は排泄をする姿を他人に見られることを極度に嫌い、その逆に入浴を見られることは抵抗を感じない国民であると言われている。従って日本では、古くは「はばかり」や「雪隠(せっちん)」、「(かわや)」、「手水(ちょうず)」、昭和以降は「お手洗い」、「化粧室」、「ご不浄」などと言い換えたのである。又、我が国では密閉式のトイレが当たり前だが、欧米では完全に密室にすることはむしろ犯罪の温床となると考えられ忌避される。ドアも完全に視線を遮るものではなく、足の部分は外部から見える形式のものが多い。元々、日本人は清潔好きな民族のようで、遺跡の発掘でも判る通り古くからトイレは屋敷内や屋外に存在したようだ。

一方、中世のヨーロッパ都市では、部屋の中の出窓のように拡張された一角で、目隠しのついたてなどした中でおまるを使い、排泄物は、窓から通りに投げ捨てられた。そのため、路地の汚物で衣裳の裾が汚れないよう、オーバーシューズやハイヒールが発明され、街頭から建物の中に入るのに段差をつけたりといったしきたりが始まったと言われている。ヴェルサイユ宮殿などでも、トイレはなく、広大な庭園のバラ園に限らず、花壇が用足しの場所であったという。そのため貴族の女性は、そのまましゃがんで出来るように、大きなフレアの広がりのあるスカートを穿いていたそうだ。

尚、最近では写真のように、近代的なトイレが各所に出現しているが、トイレにもJIS規格によりその大きさ(長さ、深さ、幅など)が定められているそうだ。恐らく、最近の子供たちは和式の便器で用を足すことが出来ないと思うが、彼らにトイレの歴史や外国のトイレ事情を話して聞かせることも一興かもしれない。

200px-Ja-hokkaido-jrtower-lavatory1.jpg                  (札幌駅に隣接するJRタワーの展望男子トイレ) 

sukiyaki.JPG我が家では、冬場息子たちが帰ってくると「すき焼」か「鍋」をすることが多い。普段余り美味しい肉が食べられないようで、どちらかと言えば「すき焼」のリクエストが多い。先週の土曜日(7日)は、長男一家が泊まりに来たので、やはり≪すき焼パーティ≫となった。更に、ゲストとして嫁のご両親もご招待した。夏休みに彼らの蓼科の山荘のバーベキューパーティに招かれたお返しに、お呼びしたのだ。

幕末になるまで我が国では、仏教の戒律で四足動物の牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、実は「すきやき」の起源は更に以前に遡るらしい。古くは寛永年間に刊行された料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤(すき)やき」は「鋤のうの上に右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されているようだ。

パーティでの話題の殆どは、孫娘の事で終始したが、何故か先方のお母さんが予定している正月のスペイン旅行の話に及ぶと、お父さんの方は、海外は『もう沢山だ!』と仰る。彼は、定年まで金融機関に勤めていたが、その勤務期間の半分近くを海外で過ごされたらしい。最初はロサンゼルス、次にニューヨーク、スイスのチューリッヒ、イギリス・ロンドン、アイルランド・ダブリンと略15年間は、海外勤務だったという。それが彼曰く、『失われた15年』となる。その間、お母さんや嫁たち娘2人もその約半分位の間は、現地で過ごしたようだ。

お母さんは、未だに小学校の先生をしているが、彼はリタイヤー後は外国人に日本語を教えるボランティアをしていて悠々自適のようだ。又私と違って、絵画や版画(主にお母さんだが)、渓流釣りと趣味も広く、今更海外に行きたいと思わないそうだ。私には、幸か不幸かそんな時間も無いため、誠に羨ましい限りである。さて、次の≪我が家のすき焼パーティ≫は、大晦日かかな?

装いを新たにしたニューヨークのヤンキースタジアムで、昨日本場のゴジラが大きく吠えた!それは言わずと知れた松井秀樹選手のことで、フィリーズとのワールドシリーズ第6戦で4打数3安打6打点と大活躍し、ニューヨーク・ヤンキースを9年ぶり27回目のワールドチャンピオンに導いたのである。ワールドシリーズでの1試合6打点は、1960年の第3戦に同じくヤンキースのリチャードソンが記録して以来のことで、約50年振りのタイ記録である。

9月30日のブログで、≪ゴジラ松井よ、何処へ行く?≫と題して彼が今シーズン限りで、7年間在籍したヤンキースを離れるだろうと私は書いた。しかし、今シリーズ13打数8安打8打点3ホームラン6割1分5厘の大活躍でMVPに輝いた彼をB・キャッシュマンGMは、放出しにくくなってしまったのも事実である。だが、アメリカは我が国と違って「情に流される?」ということは考えにくく、やはり松井は他のチームに最後の活躍の場を求めて、旅立つだろう。

これでチャンピオンリングをはめた日本人は、伊良部(ヤンキース)・井口、高津(ホワイトソックス)・田口(カージナルス、フィリーズ)・岡島、松坂(レッドソックス)に加えて7人となった訳だ。35歳の松井は、小さいころから天才バッターとして名を馳せていたらしい。中学時代には、満塁でのバッターボックスで敬遠されたというし、又星稜高校時代に甲子園大会で明徳義塾に4打席共敬遠されたことなどは、記憶に新しい。

私は、35歳となった最近の彼を見る時、たまに剣豪『宮本武蔵』を重ね合わせることがある。彼が書いた『五輪書』には、13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利、16歳で但馬国の秋山という強力の兵法者に勝利、以来29歳までに60余回の勝負を行い、すべてに勝利したと記述される。武蔵は二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖であると同時に、水墨画家・工芸家としても知られる。

要するに文武両道に、秀でた稀な人物だが、松井も瀬戸際に立った今年、剣聖の域に達したのかもしれない。モンスター松井(アメリカの新聞がこう表現)の野球人生も先が見えてきたが、きっと近い将来素晴らしい指導者になることだろう! matui.JPG

                     〈松井秀樹の大活躍を報じた昨日の夕刊〉

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これは、とある街角の薬屋さんで見つけた、昔懐かしい≪ホーロー看板≫である。≪ホーロー看板≫とは、主に屋外用の表示として使用される看板の一種だ。琺瑯(ホーロー)は、鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬(うわぐすり)を高温で焼き付けたもの言う。化学的耐久性に優れ、食器、調理器具、浴槽などの家庭用品や、屋外広告看板、道路標識、鉄道設備用品、ホワイトボード、化学反応容器などに用いられる。工芸品の琺瑯(ホーロー)は、七宝或いは七宝焼きとも呼ばれる。但しホーロー看板は、一部の工程を省き?簡単に作られており、厳密な意味での琺瑯(ホーロー)の技法で仕上げられているものは、先ずないそうだ。

マスコミによる広告手段が一般的ではなかった1950年代~1970年代に屋外広告の媒体として、広告代理店を通さずに、その製品のセールスマンと看板の製造業者が各地で依頼・製作・設置して行ったものらしい。この看板は、1960年の半ばに登場した大塚製薬の「オロナイン軟膏」の宣伝看板で、写真の主は浪花千栄子(なにわちえこ・1907~1973年)である。彼女は、ご存知の方もおありだろうか、時代を少し異にするがミヤコ蝶々(1920~2000年)と並んで、上方を代表する喜劇役者だった。

今でも売られている「オロナイン軟膏」は、元々1959年~1960年にかけて読売テレビ及び日本テレビ系列で放映された、大村崑が主演した「頓馬天狗」(役名・尾呂内南公)のキャッチコピー『性はオロナイン 名は軟膏』で一躍有名になった。では何故、看板にも大村崑を使用しなかったのかって?それは、同じ大塚製薬の『オロナミンC)』の≪ホーロー看板≫に彼を起用したのと、何といっても浪花の本名が、南口キクノ(なんこう きくの<軟膏効くの!>)だったからである。

その他にも有名なものとしては、松山容子「ボンカレー」やアース製薬の「アース渦巻」由美かほるのショートパンツ姿の看板等が有名だが、一般的にも塩・タバコなどの専売公社や電話・電報の電電公社の取り扱い看板もそれだった。面白い事に、≪ホーロー看板≫の設置に対する広告料は現金でなく現物支給が多かったそうだ(例えば大塚食品ならボンカレー3食分など)。更に面白い事に、≪ホーロー看板≫の収集家としては、女優のあき竹城さんが、有名だそうだ。

ところで、皆さんはこの浪花千栄子≪ホーロー看板≫が、どこの街に存在しているか興味津津なのではありおませんか?その答えは、今度お会いした時のお答え致します!(●^o^●)

"色づきし 木樹の葉散る公園に 座りて聞けば 風の声渡る"

正に秋真っ直中、急に朝夕がめっきり冷え込んできた。私は、深秋の寒い朝が好きである。しかし、何故かここ数日憂鬱な日々を過ごしている。というのは、先週の土曜日(10月31日)仕事から家に帰ってテレビを見ていたら、何かの番組でヨーガを取り入れたエクササイズをやっていた。早速『直ぐやる自分』としては、やり始めたのであるが、足を大きく横に開いて歩く動作でやってしまったのである。そう股関節を痛めたのだ。

あくる日は、ゴルフの約束をしており痛みが引くのを祈って眠りに就いたのであるが、矢張り状態は改善せず、今更断る訳に行かないため文字通り重い腰?を引きずりながらゴルフ場に向かった。結果は、スコアーは滅茶苦茶だったが『ニギリ』の被害も少なく、何とかラウンドを回り終えることが出来た。ところが、状態は更に悪化、更にインフルエンザの予防注射を土曜日の朝したせいか、その日の夜中は8度の熱が出てしまった。

月曜日、予定を変更して会社の近くの整形外科に行ったところ、肉離れと診断され3週間は、激しい運動は避けて安静にするよう医者に言われた。ところが、3日の「文化の日」にもゴルフのスケジュールと孫娘の4歳の誕生祝いが、予定されていたのである。ゴルフは、ワイフも同伴予定だったので私が辞めれば、ワイフも行かないという事になり、一緒に行く予定のお二方にご迷惑がかかる。中止しようか?迷った挙句強行!何とか事なきを得て、『お誕生会』を含め全てのスケジュールをこなす事ができた。

今後は≪直ぐやる馬鹿≫を返上する積りだ!

山茶花.JPG 寒椿.JPG

(ゴルフ場で見かけた山茶花)

今年の6月25日に急逝したマイケル・ジャクソンが、ロンドンで行う予定だったコンサート≪THIS IS IT≫の何百時間にも及ぶリハーサルとビハインド・ザ・シーンを映したドキュメンタリー映画が大ヒットしているらしい。未だ謎が残るその死の直前まで、マイケルが行っていた猛特訓風景とその素顔を収めた貴重な映像の数々を基に構成されて、あたかも観客がロンドンコンサートの最前列にいるかのような臨場感を味わえるという。

10月28日に2週間限定で全世界同時公開されたこの映画は、我が国でも全国324館で上映されているそうだが、前売り券の販売枚数は最終的に24万枚に迫る異例の売れ行きで、31日までの4日間で全国興行収入約6億5千万円、動員51万人を記録する大ヒットとなった。この不世出のエンタテナーの特集番組を、私もテレビでチラッと見たが、天性の音楽的なセンスに裏打ちされたリズム感と歌の上手さは、只々舌を巻くばかりで、特に「ムーン・ウオーク」に代表されるダンスは、到底我々アジア人には真似が出来るものではない。

兄弟で結成したジャクソン5のボーカルとしてデビューした彼は、ゴシップキングとしても知られ、美容整形と尋常性白斑・全身性エリテマトーデス(肌の色の変化)の影響によるマイケル・ジャクソンの外観の変化のためよくタブロイド紙のネタにされてきた。私は、ゴシップネタが好きではないのと、黒人のソウル・ミュージックが左程好みでないので、彼の歌は余り聞いたことがなかったが、特集番組を見て、一遍に虜になってしまった。

評論で星が5個近く付き始めたこの≪マイケル・ジャクソン THIS IS IT≫は、どうやら上映の延長が決まったようで、私も是非見てみたいと思っている。

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