Archive: 2009年10月
10月30日(金) ≪秋元順子さんって?≫
早いもので2009年も余すところ早や2ヶ月となったしまった。不景気なので、例年に比べて少ないだろうが、忘年会シーズンがやってくる。カラオケで歌を歌う機会も増えるが、最近は年のせいかさっぱり新しい歌を憶えることが出来ない。最後に憶えたのは、5,6年前にすぎもとまさとが歌ってヒットした『われもこう』くらいである。上手くはないが普段私は、スタンダードナンバーの横文字の歌か、松山千春やアリスの歌を歌う事が多い。
ところが、2,3ヶ月前に或るところで
「小鳥たちは 何をさわぐの
甘い果実が欲しいのですか
他人に比較べる 幸せなんていらない
あなたの視線が 愛しくあれば
ああ この世に生まれ 巡り逢う奇蹟
すべての 偶然が あなたへとつづく
そう 生きてる限り ときめきをなげかけて
愛が愛のままで 終わるように・・・」という歌が、やけに耳についてきた。
聞くところによると、去年の『紅白歌合戦』に初めて61歳で出場した≪秋元順子さん≫という歌手が歌ってヒットした歌らしい。何とも"遅れ者"の私だが、2番の「糸引くような 接吻(くちづけ)しましょう」という下りが、気に入った。男性バーッジョンもあるようで、早速歌ってみると私にピッタリ?の曲である。ワイフは、「既に下火になってきた歌で、今更は恥ずかしいですよ!」と言うが、他にないので取り敢えず今シーズン限りの「持ち歌」にしようかと考えている。
ついでに、最近漸くフリオ・イグレシアスの「ナタリー」とイーグルスの「HOTEL CALIFORNIA}」もマスターしつつあることも付け加えたい!勿論、原語でである!(^◇^)
10月29日(木) ≪二人のラガーマン≫
昨日、全国建設機械器具リース業協会の理事会の懇親会の後、私は大塚に向かった。二人のラガーマンに会うためである。去年の7月16日に社名の"ビー・トライ"というのは、そもそも私の息子たち2人が、高校・大学・社会人を通じてラグビーをやっていたため、『ONE FOR ALL ,ALL FOR ONE』(自分はみんなのために、皆は自分のために!)というラグビーの精神が好きで"トライ"の文字を入れたと、ご紹介した。結果的には、類似商号の関係上"BRAVE TRY CATCH THE(YOUR) DREAMS"(勇敢に挑戦し、夢をつかみ取ろう!)、即ち"ビー・トライ"となった訳だ。
二人のラガーマン、そう長男の達也(たつや・S.50年生まれ)と二男の篤嗣(あつし・S.52年生まれ)は、10時まで二男の嫁のご両親である丸山ご夫妻が経営する、大塚駅前の居酒屋『「はま勢』(03-3983-2352)で私を待っていてくれた。何の因果か。二人が二人とも損保会社に勤めて居り、長男には女の子の、二男には男の子の孫がいる。又、共に熊本と松山という地方を一度づつ経験しており現在は、本社勤務である。彼らが地方にいる当時は、我々夫婦も交互に2人の勤務地を訪問し、楽しい思いをした。
こうやって外で3人で飲むのは始めてだが、酔いが手伝ってか話が弾んだ。彼等は当然の事ながら、我々夫婦の健康と会社の行く末をえらく心配してくれているようだ。そして、口を衝いて出る言葉の端々が何とも逞しく、過去30年くらいの年月が走馬灯のように駆け巡った。以外に思ったが、立派になった?現在も我々夫婦の言動や意向に重きを置いていることが判り、嬉しかった。少々飲みすぎた嫌いがあるが、業界不景気ながら頑張ろうと勇気が湧いてきたひと時であった。
10月28日(水) ≪「噛めば命の泉わく」≫
昨夜のNHKラジオ深夜放送で、「噛めば命の泉わく」と題して咀嚼の大切さを語っていた。皆さんも、昨今若い人たちが固いものを食べなくなり、顎が細く退化してきているとしばしば耳にすると思う。つい先日、テレビでアメリカとその他の国々のゴルフプレイヤーと対決する『プレジデントカップ』を見ていたら、石川遼君がガムを噛みながらあのタイガー・ウッズとしのぎを削っているのを見て、少々世界NO.1のプレイやーに対して失礼ではないか?との疑問を抱いた。
しかし、昨日のラジオによるとチューインガムは歯の健康とストレス解消には、もってこいらしい。確かにベトナム戦争の最前線の兵士が、戦場でよくガムを噛む姿をニュースで見たし、大リーガーが打席に立つ時、しばしばガムを噛んでいる姿を目にする。ガムは、自律神経を刺激し極度の緊張を和らげる役目があるのが、最近判ってきた。確かに私も、車の中にガムを常備しているが、約束が有るのに道路が混雑していて思うように走れない時は、ガムを噛んでいると少し心が落ち着くような気がする。遼君も世界のトッププレイヤーを相手にして、緊張が抑えきれなかったのかもしれない。
そもそもチューインガムは、中央アメリカに住んでいたアステカ族やマヤ族のような先住民族がサポジラやエゾマツの樹液のかたまりを噛む習慣を持っていたことが始まりだと言われている。両文明が滅びた後もこの習慣はメキシコインディオに受け継がれ、更にスペイン系移民に広まった後、アメリカに渡り1848年ごろに味付きガムが発売され、材料もパラフィンからチクルに変わって行ったそうだ。しかし、これより以前にヨーロッパでも弾力性のある物質を噛む風習があったという説もある。
日本にチューインガムが初めて輸入されたのは大正5年(1916年)で、昭和3年(1928年)頃マサキガム、新高製菓などが国産ガムの製造販売を開始したそうだ。しかし、当時の食習慣などに合わず、余り売れなかったが、第二次大戦後米軍が駐留した事により急激に普及して行ったようである。何れにせよ、良いと言われる事は何事も取り組む方針である私としては、先ずは歯を丈夫に保つのが先決で、歯磨きを念入りにしているところである。
<昭和6年(1931年)発売の新高製菓の風船ガム(上)と最近のキシリトールガム数種(下)>
10月27日(火) ≪菊池雄星君の無難な選択?≫
今春の選抜高校野球大会準優勝、全国選手権4強などで甲子園を熱狂させた岩手・花巻東高の菊池雄星投手(18)が25日、米大リーグ挑戦ではなく、日本のプロ野球入りを希望することを明らかにした。同校での会見では「日本一の投手になってから世界に挑戦したい」と話し、まずは国内で力をつけたいという考えを強調したそうだ。彼は、184cm83kgの立派な身体で、ストレート・スライダー・カーブ・カット・チェンジ・フォークとムチの様にしなる腕で投げ分けるが、特に2009年夏の大会3回戦の東北高校の一戦で、MAX155㌔の直球を記録してから一躍注目されるようになった。
一時はメジャー挑戦との間で揺れていた左腕は、「まだまだ自分のレベルでは世界に通用しないと思うので、日本一の投手になってから挑戦したい」と表明。メジャー関係者へ申し訳ない気持ちからか、感極まって号泣する場面もあったようだ。過去日本球界を経験しないで直接メジャー・リーグに挑戦したのは、現在日ハムに在籍し以前インディアンスに入団した多田野投手と今期レッドソックスに入団した田澤投手が最も有名である。過去に高校を卒業してチャレンジした投手も何人か居たようだが、いづれも物になっていない。
と言うよりは、昔の『マッシー村上』以外で、日本球界でかなりの経験を積んでアメリカに渡った選手でも、例えば伊良部は勿論のこと、松坂、黒田、川上、上原等、未だ成功したと言える投手は少ないのである。成功者と呼べるのは、トルネードの野茂英雄(12年・323試合/登板回数1976.1回・123勝106敗・奪三振率8.74・防御率4.24)、大魔人と称された佐々木主浩(4年・228試合/登板回数223.1回・7勝16敗129セーブ・奪三振率9.76・防御率3.15)とそして現在レッドソックスでオキ・ド―キ―と呼ばれているセットアッパーの岡島秀樹(2008年までの2年間で・130試合/登板回数131.0回・6勝4敗6セーブ・奪三振率8.45・防御率2.40)位のものだろう。従って、球が軽いと噂されている彼の最終選択は、間違っていないと私は思う。
来る29日のドラフト会議で、巨人・広島・横浜を除く過去最多の9球団が、彼を一位指名することが予想される。彼も、最終目的は別として?どの球団でも指名されれば行くと頼もしいコメントを発表している。加えて楽天の名誉監督就任濃厚な元監督の野村氏が自分の背番号19番を用意すると言ったとか言わないとか?何れにせよ結果が大いに楽しみである!
<日本球界入りを決めた菊池雄星投手>
10月26日(月) ≪OK牧場の決闘≫
2、3日前のテレビでガッツ石松が、例の≪OK牧場の決闘≫を連呼していたので気になって調べてみると、偶然今から128年前の今日10月26日に起きた出来事であることが判った。この≪OK牧場の決闘≫(Gunfight at the O.K. Corral)またはOKコラルの決闘は、1881年10月26日アリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こったワイアット・アープとドク・ホリデイ派とクラントン一家との銃撃戦の事である。
この事件に基づいた1957年ジョン・スタージェス監督作品の映画≪OK牧場の決斗≫Gunfight at the O.K. Corral の邦題により、「OK牧場の決闘」という訳が広まったが、直訳すれば「OKコラルの銃撃戦」となる。コラルとは、家畜の囲いを意味し、牧場の畜舎を指すこともあるが、ここでは、貸し馬や馬を預かったりするこの時代特有の商売所だったようだ。ワイアット・アープ(映画ではバート・ランカスター)、ドク・ホリディ(同カーク・ダグラス)らを始めとする市保安官たちと、クラントン兄弟をはじめとするカウボーイズが4対7で、撃ち合った。
尚、ここでの「カウボーイズ」とは、この時代のこの地方特有の特殊用語で、「悪い牧童」と言う意味である。牛飼いや牧童であるが、同時に牛泥棒でもあった。実はこの出来事は、カウボーイズらのカウンティ党(民主党支持)と、アープ組の法と秩序党(共和党支持)の対立が直接的な原因だそうだ。それは1880年10月、カーリー・ビルによるフレッド・ホワイト保安官殺害事件となり、両陣営の亀裂が発端になったと言われている。
ところで、昨日の神奈川・静岡での参議院補欠選挙で、民主党公認の金子・土田両氏が当選したそうだ。来年の夏には、参議院選挙が行われる。果たしてこの決闘は、どちらが制するのだろうか?
10月23日(金) ≪勉強会と『銀座由美ママ』≫
昨日お茶の水の東京ガーデンパレスで、「東京建設機械リース業協会流通委員会」の勉強会を13時30から開催した。テーマは、第1部が去年に引き続き建機レンタルの補償料制度に付いて『どうなる補償料制度』と銘打ち、コ―ディネーター(司会)の私と4人のパネリスト、そして来場者の方々との1時間40分に亘るディスカッションを展開した。第2部はレンタルのニッケンの寅常務に『レンタルの原点に立ち戻って』という演題で、主に「レンタルの原価」に付いて、例を引いて熱く語って貰った。
第3部が、旧知の間柄である銀座の「クラブ由美」のママである伊藤由美さんに、『銀座由美ママの働く女の心意気』というテーマでサービス業の極意?に迫って貰った。彼女は、27年前に23歳で(年が判るので失礼!)銀座にクラブをオーップンし、今ではバーも経営する超売れっ子ママである。彼女は27年間1日も休まず、今では朝7時に起きて午前中は毎日更新しているアメブロ(www.yumi-ito.com)を作成、その後1600m泳いだ後にメールの返信や手紙書き、そしてお客さんと食事をして店に入るそうだ。
従って、政界や芸能界或いは小説家等との交友関係も広く、又お客様サービスにも徹底しており、取りにくいチケット等も頼まれれば、必ず用立てるそうだ。さかもと未明の漫画のモデルにもなった彼女は、スキューバダイビングや登山、ゴルフ他多趣味で、加えて色んな食べ物やさんを知る食通でもある。彼女曰く、店が儲かるか否かは「景気不景気に全く関係ない、悪くなったとしたら自分の責任である」と我々にとって耳が痛い話で、鮮やかに締めくくったのである。
懇親会は、いつもと趣を変えて賛助会員の方々、即ち北越工業の山下さん・三笠産業の丸山さん・ユアサR&Sの杉本さんと蓬田さんの『GFB(グランド・フェアー・バンド)』に、ご登場願い30分ほどエレキギターやドラムで場を盛り上げて頂いた。ご協力頂きました皆様方に感謝致します。今日は、千葉の勉強会で~す。(--〆)
昨年に引き続き、≪第2回ビー・トライ謝恩ゴルフコンペ≫を千葉の名門「藤ヶ谷カントリークラブ」で催した。以前韓国済州島でもやったことがあるので、正式には3回目となるが国内では2回目なので、そう銘打った。レンタルユーザー中心の9組36名のコンペだったが、メーカーさんや商社さん或いは保険会社さんなど協力会社の応援を得て、滞りなく終わることが出来たので、お客様にもきっとご満足頂けたと思う。又、社員も頑張ってくれたので私も満足である。
今回は、初めて私の家内ともうお一方同年代の女性の方のご参加を得て、場が盛り上がった?ようである。又、32歳の方から68歳の方までご参加頂いたが、優勝は36歳の造園屋さん専務さんで準優勝が、51歳のいすゞの広域担当部長、3位が53歳の電設工事屋さんの社長さんだった。Wぺリアのトリプルカットとしたため、注目の女性二人はスコアはまずまずながら、19位と23位(家内)と余り芳しくなかった。
斯く言う私は、一事が万事気を使ったせいか?去年より9打も悪く24位と家内の後塵を拝したのが、何とも悔しい限りである。兎にも角にも、景気の良し悪しは別として、お客様への心づくしの感謝の意を込めたゴルフコンペは、会社が存続する限り続けて行こうと家内と誓い合ったのだった。
< 集合写真と優勝者の宍倉さん>
10月21日(水) ≪東京産業のOB会≫
毎年10月20日に、私が新入社員の昭和』44年から同64年(平成元年)までの20年間在籍した東京産業㈱のOB会である≪東産会≫が、帝国ホテルで開催される。私は中途で退社し、定年まで全うしなかったが、昨年より有資格者といなったため、昨日が2度目の出席である。勿論費用は会社持ちで手土産まで呉れるから有り難い。この会社は現在、資本金3443百万で売上が約1800億円であるが、私が建設機械部に入社した当時は、資本金8億円売上1200億円程度だったと記憶している。
勿論、現在は一部上場企業だが、私の居た当時は2部上場の会社であった。但し、従業員数は営業品目を絞り込んだためか、当時の6~7割程度に減少している。本社は、現在は大手町にあるが当時は丸の内の新東京ビルにあり、現在昔の面影を残して建替えられた「三菱一号館?」と通りを挟んでいる。
現在社長の平野氏は、確か私の2年先輩だったと思う。同期入社の男性社員は、団塊世代だったため約30名近く居たが、現在残っているのは専務の石野君だけである。彼とは、部は違ったものの、よく飲み歩いたものだが立場は違うものの、互いに頑張っていると言えるだろう。各セクションの新任部長が、壇上で紹介されたが誰一人顔見知りの人は居なかった。聞くところに依ると、私が退社した頃に入社した人が殆どだというから、当たり前のことである。
今後とも、都合がつく限りこの会に出席し、社会に於ける私の原点をその場その場で見つめ直したいと思う。
10月20日(火) ≪琵琶湖周航の歌≫
- われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば - 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
これは、≪琵琶湖周航の歌≫の一番と二番の歌詞である。この歌は、周囲241km・面積670㎢の日本一の湖、琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われいて、確か六番まで有ったと記憶している。第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口某が、大正の初めに琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。その後、歴史地理学者吉田東伍の息子である吉田千秋が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌、学生歌として広まっていったそうだ。
この歌は、加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになった。我々の学生時代も旧制第一高校の『嗚呼玉杯に花うけて』や同第三高等学校の『紅燃ゆる』などの寮歌を酒を飲んでは、盛んに歌ったものである。そして昨日久しぶりに、≪琵琶湖周航の歌≫を琵琶湖を周遊する船の上で大声で歌ったのであった。
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
<琵琶湖周遊中の私>
10月19日(月) ≪兄弟の旅行で彦根城に!≫
昨日の朝8時過ぎの新幹線で、東京を発ち名古屋でバスに乗り換え、滋賀県の琵琶湖にやって来た。年に一度の私の兄弟旅行である。長兄、次兄の二人は既に亡くなっているので、その連れ合いの義理の姉二人と直ぐ上の兄貴夫婦の5人連である。ワイフは、未だ風邪が抜けきれず留守番だ。昨日は、国宝の≪彦根城≫と「近江八幡」、そして夕闇で見えなかったが「瀬田の唐橋」を周遊した。わが国には、≪彦根城≫を含む四つの国宝のお城が有るのを皆さんご存じだろうか?残る三つとは、姫路城、犬山城と松本城である。
徳川四天王の一人・井伊直正は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城したが、その立地条件と三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に≪彦根城≫の築城を開始したのである。
私も見ているNHKの大河ドラマ「天・地・人」では今、「関ヶ原の合戦」が終わり西軍三成方に味方した上杉が家康に減石されて、米沢に所代えされるという終盤の佳境に入ったところである。今日、≪彦根城≫の天守閣に上り遥か琵琶湖を眺めた時には、悠久の昔に立ち戻った心持がした。今日は、最澄が興した天台宗の総本山である比叡山延暦寺を訪れる予定だが、多くの高僧を輩出した仏教の聖地では、はて何を感じ取ることが出来るのだろうか?
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<左・彦根城の天守閣から琵琶湖を望む/右・近江八幡の八幡掘り>
10月16日(金) ≪こんにちは、私たち新参者で~す!≫
≪こんにちは、私たち新参者で~す!≫
1963年(S.38)にリリースされ翌年のオリンピックの時に大ヒットした、梓みちよさんの『こんにちは赤ちゃん』は、「こんにちは赤ちゃん 私がママよ」と歌っていたそうですが、皆さんより後から生まれた私たちから、ご挨拶させて頂きました。私は一番に生まれたイエローですが、私を含む兄弟9匹は、一昨日(14日)のお昼過ぎから夜の11時頃まで、約11時間かけてこの世に生まれ出でました。残念ながら一番下の妹(イエロー)は、死産でした。私の兄弟は、イエロー2匹・ブラック6匹ですが、雄雌は現在確認中です。
飼い主によれば、略私たち全員の里親は決まっているようですが、未だ詳細は聞いていません。従って名前も未だ決まっていません。今は、ひたすらにカノン母さんのオッパイを貪り飲むのが仕事です。私たち『ラブラドール・リトリバー』は、"人懐っこい"ため番犬には向きませんが、『盲導犬クイール』のような盲導犬や介護犬にはうってつけの犬種なのです。しかし大人になると30Kg超の体重となるため大食なのが、たまにキズです。
寿命は、中・小型犬で15年位が目安なのに対して、我々は1歳半位で成犬となり10歳になると人間で言えば75歳位の年寄りとなるため、じきに命が尽きます。従って介護などの仕事も概ね10歳前に終わって、幼犬当時の飼い主の元に戻るのが通例です。これらの仲間は、選び抜かれた連中なので我々凡犬はただただ禄を食んで、飼い主の心を癒す役目を全うすることになるのです。
生きても10年超ということは、殆どの場合、飼い主に死を見届けて貰わなければならないということになります。ですから、私を飼うときには、あなたの10年後をよく考えてください。
10月15日(木) ≪KDNゴルフコンペ≫
昨日≪第36回KDNゴルフコンペ≫が、栃木県のプレステージCCで開催された。今回の機電サービスさんのコンペは、初めて建機メーカーさんも一部プレーに参加されたので、高橋五月プロを含めて総勢153名の大コンペとなった。我が社の非常勤役員に名を連ねて頂いてる機電さんの石井社長の、CSに心を砕いた何時もながらの用意周到さと社員一丸となった心温まる応対、そして賞品の豪華さには改めて感心しきりである。人数が多いので4コースからのショットガンスタートとなったが、私は特に"お客様"というのではないため、最終組でのスタートとなった。
実は、二日前の12日の「体育の日」にも同じプレステージCCで石井社長と練習ラウンドをしたのである。このコースは昔から何度もプレーしているので、知り尽くしてはいるものの、グリーンが広くて早いため、パターが下手な私はいつも難儀する。案の定、練習ラウンドで8回も3パットをしたが、ショットがまずまずでスコアーは意外と纏まった。ところが、コンペ当日はショットもパットも最悪で、練習ラウンドより10打も多く叩き(スコアーは内緒?)、一旦練習ラウンドで頂いた『握り』をそっくりお返しする羽目となってしまった。
しかしながら、プレー後の表彰式は恒例により下位から呼ばれるのだが、私の名前がなかなか呼ばれない。結果は、ハンデキャップに恵まれ予想外の13位となり『ダックス』の高級紳士用傘をゲットしたのであった。残念ながらドラコンやニアピン、馬券などのアトラクションは一つも獲得できなかったが、同伴者にも恵まれ大変楽しい一日となった。一週間後の21日(水)は、我が社の謝恩ゴルフコンペを藤ヶ谷CCで開催予定である。石井社長にもご参加頂くことになっており、≪KDNゴルフコンペ≫ほど豪華には出来ないものの、ベストを尽くして良いコンペにしたいと心に誓ったところである。
我が社のお客さま対応係りのフロントマン、寺田クンご夫婦は大の犬好きである。それも大型犬で利口ものの『ラブラドール・レトリバー(Labrador Retriever)』が大好きらしい。その証拠に、何と4頭の『ラブラドール』を飼っているらしい。「らしい」と書いたのは、人懐っこい犬だけに、以前会社に3頭の飼い犬を連れて来た時には、犬好きの私等はじゃれつかれて大変だったが、聞くところに依ると現在はいつの間にか1頭増えて4頭になったと言うからである。
この犬種は、絶滅犬であるニューファンドランド島に居た「セン ト・ジョンズ・ウォーター・ドッグ」と「ニューファンドランド犬」とを交配させて19世紀に生まれた犬である。その後、イギリス人のブリーダーにより『ラブラドール』と名付けられたが、もともとは、ラブラドル海峡の冷たい海の中で捕れたニシンや鱈が、網の牽引や網から脱落した際に、それを回収する諸作業に従事していた犬であった。その後、イギリスに渡って打ち落とした水鳥の回収を業とする犬に改良され、現在の盲導犬・聴導犬・介助犬・災害救助犬・麻薬探知犬などの作業犬の基礎となったのである。
寺田クンちには、イエロー・ブラック・チョコレートの全てが勢揃いしているが、我が社の安月給?で大食漢の彼らをよくぞ養っていると感心しきりである。ところが、最近「チョコレートのカノンちゃんとイエローのリオンくん」が、結婚して?「カノンちゃん」が10匹の子供を孕んでしまったという。如何に『ラブラドール』好きの寺田クン夫婦とて更に10頭は飼える道理もない。従って、ネットを含め「飼い主探し」となった仕儀である。私も『愛犬パク』が旅立って以来数年経ったので飼いたいと思うのだが、今のところワイフが首を縦に振らない。
今日確認したところに依ると、現在半数」位は貰い先が内定しているようだが「カノンちゃんとリオンくん」もその辺りの事情を察知しているようで、近い将来の"親子の別れ"を案じ浮かない様子をしているらしい。特に母親の≪カノンちゃん≫は、ご覧の通り重たいお腹を抱えて遠くを眺めながら気もそぞろらしく、産前なので大いに気がかりである。お産は今週中にも始まるらしく、欲しい方がいらしたら、至急私までご一報下さい!
<10匹の子供を孕んで物憂げな表情で佇む「カノンちゃん」>
10月13日(火) ≪幼稚園の運動会≫
10日の土曜日、3歳の孫娘の≪幼稚園の運動会≫にワイフが風邪気味なので一人で行って来た。この日は1964年の東京オリンピックの開会式の日で、晴天の日が多いと言われているが生憎曇天でにわか雨が心配されたが、何とか最後迄実行出来たようだ。11月に4歳の誕生日を迎える孫娘は、年少さんなので徒競争とお遊戯そして親子競技に出るだけだったが、8時半に最寄りの駅で待ち合わせた時から大張りきりであった。
競技は予定通り9時半から開会式、園歌?体操と「キリスト様に対する感謝」の言葉と順調に進んだが、驚いた事に全て園児が前に出てしっかりと行事の説明を行い、スタートするのである。半世紀以上前にもなるが、幼稚園時代お寺の本堂の庫裏で、毎日お昼寝をしていた私はここまでしっかりしていただろうかとふと思ってみたりした。又、息子たちの幼稚園時代も既に四半世紀以上前なので、「そんな年になったのか?」と改めて隔世の感で、自分の年齢を再認識した一日でもあった。
フジテレビの"とくダネ"で有名な笠井信輔アナも、お子さんがこの幼稚園に通っているらしく親子競技で顔を見かけた。狭い園庭ながら、一人の園児に対し父兄達が4人という図が珍しくなく、流石に私も昼前に退散した次第である。そして、夕方の孫娘からのお礼の電話でやはり行って良かったと思う好好爺?の私である。
<孫娘は黄色い帽子の「ひまわり組」さんで~す>
10月9日(金) ≪台風一過と被害≫
本州に上陸した台風18号が、大きな爪痕と混乱を残し今朝北海道根室沖に抜けた。関東は、≪台風一過≫である。≪台風一過≫とは、台風が通り過ぎたあと、通過した地域がすっきりと晴れ渡ることを言う。台風の通過後に晴れるのは、気圧の谷のあとに進んでくる高気圧に、台風のあと覆われるからだそうだ。誰もがそうだろうが私は、すっきりと晴れ渡った≪台風一過≫が、大好きだ。昭和30年過ぎの私の幼年期には、よく九州に台風が上陸したものだが、高台の住まいの近くの原っぱで只一人大風の中、訳もなく絶叫した記憶がある。
台風は、年間平均26.2個発生しているそうで、そのうち11個が300km以内に接近し、平均3個が上陸するそうだ。しかし、2004年(H.16年)のように、29個が発生し、その内10個が上陸し日本各地に多くの被害をもたらし年もあった。過去最悪の被害をもたらした台風は、我々の年代ではご記憶の方も多いと思うが、1959年(S.34年)の伊勢湾台風で、死者・行方不明者5,098人、負傷者38,921人、家屋の損壊833,965戸、浸水家屋363,611戸などの被害をもたらしたのである。
昔、東京でも神田川が良く氾濫した。多摩川が氾濫して、家が流されたこともあった。江東区は、海抜0メートルと言われ「天井川」も沢山あった。最近氾濫しなくなったのは、地下深くに多くの大きな貯水槽が建築されたからである。今話題の「ダム」と並ぶ"治水事業"である。我が国は、世界有数の火山地帯に位置する温帯から亜熱帯に変わりつつある島国である。従って、地震や台風は避けようもない自然現象だ。地球温暖化に伴い、伊勢湾台風クラスかそれ以上の台風が襲ってくる事が、今後とも予想されるそうだ。
公共投資が叫ばれている今、"治山治水"はもとより橋脚の補強や鉄橋を高くする工事などを怠りなく取り進めなければ、大ごとになると思うのだが?≪台風一過≫に被害情報は似つかわしくないのである!
≪台風一過!≫
10月8日(木) ≪第26回三笠会総会≫
昨日は、中堅小型建設機械メーカーである「三笠産業」さんの親睦会である≪三笠会≫の第26回総会に出席させて頂いた。同社は、1937年(S.12)に「三笠貿易商会」として発足以来、主にランマ-やプレートを中心とする道路の路盤展圧機メーカーとして数々の新製品を世に送りだし、今では資本金1億2千万円、従業員数約120人そして売利上げ約100億円の規模まで成長した優良企業である。
ところが去年の「リーマンショック」以来、歯車が狂いだしたようだ。同社は、国内では50%以上のシェアーを保有するトップメーカーであると同時に、その製品の60%以上が海外で売られているのである。京谷弘也(きょうやひろなり)社長によれば、即効性がある経済対策を敷いた中国以外の主な輸出国である北米やヨーロッパの景気回復が遅れており、併せて国内景気の低迷によりこのまま行けば、今期の売上が半減すると危機感を募らせておられた。
京谷社長は、私より一回り近くお若いと拝察するが、彼の経済分析と市場動向説明は、同社製品のターゲットが我々建機レンタル業者だけに、新鮮な切り口と的確な判断が大変参考になり、昨年の総会後も彼のコメントを、このブログに書かせて頂いた。又、売上不振ながらも、防音や防振対策機或いは排ガス対策機等、環境や安全に配慮した同社の目玉商品が、今までのメイン商品にとって変わりつつあると説明にも、納得がいったところである。
京谷社長も結びの言葉を述べられた清水常務も、異口同音に「確実に時代の変化を、変化として捉え、それに対応していく姿勢が肝要である」と、そして新たな業界への進出を見据えて「ピンチをチャンスに変えて行く努力を怠らない」と、真剣な眼差しで語られたのが非常に印象的だった。
10月7日(水) ≪弁慶が二度負けた!≫
≪武蔵坊弁慶≫の格好がトレードマークの亀田大毅が、昨日WBAフライ級チャンピオン・カオウィチット(タイ)に挑戦して善戦?空しく破れ去った。未だ15戦ながら2年前にWBC王者・内藤大助に挑戦して反則負けして以来、2度目の苦渋を味わったのである。確かに≪弁慶≫も2度破れている。京の五条大橋で1000本目の刀を、巻き上げようと義経(当時は牛若丸)と戦って敗れた時と、後に主君となった義経が兄頼朝に岩手県の衣川で滅ぼされた際に≪弁慶≫が『立ち往生』で息絶えた時の2回である。
日本や東洋タイトルの挑戦を無視し続け、大した実績がないままチャレンジした亀田は未だ20歳、昨日の試合を見た限りは技術的にも凡庸な選手で負けるのは当たり前、≪弁慶≫の格好など10年早いし、おこがましい限りである。成人しても尚、アウトロー的存在である父史郎の庇護の下、只前進するのみのボクシングを展開しているようでは、世界は遥か遠い。同じくマスコミに作り上げられたヒール・ヒーローである兄興毅も来月チャンピオンの内藤に挑戦するようだが、これも心もとなくなってきた。
世界には強力なパンチ力を誇る選手は五万といるため、亀田大毅選手のようなタイプのボクサーはアウトボクシングを目指すべきである。即ち、足を使ってウイビングやダッキングを駆使し、「打っては逃げ逃げてた打つ」という戦法である。かつて20世紀最高のボクサーと言われたモハメド・アリは、「私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう」(Float like a butterfly, sting like a bee. Your hands can't hit what your eyes can't see.) と言ったそうな。
大毅はまだ若い。若し彼が再度世界チャンピオンを目指すならば、先ずは他人の飯を食って"牛若丸"を目指さなければ到底無理と考えるのは、私だけだろうか?
<大毅は、序盤からチャンピオンの執拗なボディ攻撃を受けて出鼻を挫かれた?)10月6日(火) ≪五輪のマークの意味は?≫
昨日の問題の正解は、始めて南半球で行われた1956年の16回大会メルボルン・オリンピック(オーストラリア)である。馬術競技だけが検疫の関係上スウェーデンのストックホルムで、本大会(11月~12月)に先駆けて29の国と地域が集まって6月に開催されたが、過去に例がない非常に珍しいケースである。近代五輪で、現在の≪五輪のマーク≫が使用され始めたのは、1920年の第5回アントワープ大会(オランダ)からである。
ところで五輪マークは、何を意味しているかご存じだろうか?それは、近代オリンピックの父と言われたクーベルタン男爵
一方、5つの自然現象を表
日本の国土の約22.5倍の広さを持ち、総人口の約0.8%の日系人150万人が住むこの国が、二つの大イベントを成功させる事が出来たならば、間違いなく世界の列強国と肩を並べる存在になるであろう!
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10月5日(月) ≪残念なり!3連敗≫
2016年夏のオリンピック開催地が、ブラジル・リオデジャネイロに決まった。これで我が国のオリンピック招致合戦は1988年の名古屋(ソウル開催)、2008年の大阪(北京開催)に続いて3連敗となってしまった。最後に残った4か国中、国民の支持率が最も低く下馬評自体が余り高くなかった為、ショックは左程大きくはないように感じられるが、東京に於ける環境の再整備とCO2の削減を標ぼうして立候補しただけに、エポックを期待した我々としては甚だ残念である。
当時高校生だった私は、1964年(S.39)の"東京オリンピック"を鮮明に覚えている。特に開会式は、スタジアムの最前列で見たので、強烈な記憶として脳裏に焼き付いている。戦後の復興のつち音が聞こえる中、新幹線や首都高速道路が出現し、町並みは整備され東京は目覚ましい勢いで変貌して行った。そして10月10日秋晴れも元、昭和天皇が開会宣言を行い、93カ国の国々の選手たちが、20競技でしのぎを削ったのである。
近代オリンピックは、1896年にアテネで開催されて以来戦争で3回の中止が有ったものの、過去26回開催されている。ヨーロッパ15回(ロシアを含む)、北米6回(カナダ・メキシコを含む)、アジア3回、オセアニア2回である。次回の2012年ロンドン(3回目)・オリンピックが30回目(3回の中止を含む)の記念大会になるが、北京同様28競技(26競技が決定済)200以上の国と地域が集まることが予想されている。今回の五輪招致で、我が国は150億円の経費を使ったと言われてが、国をも変える大イベントなので止むを得ないところか?
石原都知事は、招致合戦に敗れた際に感想を聞かれ、「畑は耕した」と次回開催招致に含みを持たせた。若し、次回開催を画策するならば、国内の選抜で東京に敗れた「福岡」が良いと思うが皆さんは、どうだろうか?ところで過去1度だけ、夏のオリンピックを日韓ワールドカップ同様2ヵ所で開催した事があったが、何時どこの国の大会かご存じだろうか?その答えは、次回のお楽しみ!(●^o^●)
<1964年・昭和39年の開会式で撮った写真/聖火ランナーは坂井義則氏>島根県出雲市の砂原遺跡で、12万年前ごろの日本最古とみられる旧石器20点が見つかった。旧石器をめぐっては、かって「神の手」と呼ばれた研究者が60万年前にの遺物などとでっち上げた2000年の発掘捏造事件で大半の出土例が否定された。従って入口遺跡(長崎県平戸市、約9万年前)や金取遺跡(岩手県遠野市、9万~5万年前)が、日本最古だとされてきた。今回の発見は、少なくともそれらより3万年さかのぼるため日本列島での人類の起源を見直すきっかけとなり、一旦後退した旧石器時代の研究に弾みが付けそうだ。
見つかった石器は、石英や流紋岩などで作られた長さ約5~1・5センチの物が殆どで、地表面から2メートルほどの深さにある約12万7千年前に形成された地層「砂れき混じりシルト」の上部から出土された為、調査団は約12万年前のものと判断したらしい。遺跡の発掘には、時間と根気とそして労力が欠かせない。かって縄文以前の土器を持たない旧石器文化が我が国にあった事を立証したのは、在野の研究者相沢忠洋だった。
彼は、納豆などの行商をしながら独学で考古研究を行っていたが、1949年(S24)に群馬県みどり市笠懸町岩宿の岩宿遺跡から旧石器(黒曜石の槍先形石器)を発見し、それまで否定されてきた日本の旧石器時代の存在を証明した。しかし、当時この重大な発見について、学界や報道では相沢の存在はほとんど無視された続けた。明治大学編纂の発掘報告書でも、彼は単なる調査の斡旋者として扱われ、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として扱われたのだ。
しかし彼の考古学への情熱は冷める事はなく、地道な研究活動を続け、その後も数多くの旧石器遺跡を発見した。「天網恢恢疎にして漏らさず」とはよく言ったもので、次第に相沢への不当な扱いは見直され、日本の旧石器時代の存在を発見した考古学者として正当な評価がようやく下された。そして、その功績により1967年(S42)には吉川英治賞を受賞したのである。
片や今朝の新聞で、440年前の人類最古の猿人の全身骨格がエチオピアで見つかったとの報道がなされていた。440万年とは天文学的な数字で、いかにも人間としての浪漫を感じるが、果たして相沢が生きていたら何と言って喜んだだろうか?
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10月1日(木) ≪ドリフの"8時だよ!全員集合"≫
つい最近、昔TBSの「お化け番組」と言われた≪ドリふの"8時だよ!全員集合"≫を見る機会があった。この番組は今から40年前の1969年10月4日に始まり、1985年の9月28日までの17年間通算803回も続いたザ・ドリフタ-ズ主演のバラエティー公開番組である。たまたま子供達の成長期に重なったこの番気味は、今見ても何とも面白い。特に人気ゲストを呼んでやる「少年少女合唱団」、「体操・ハイポーズ」や「バカ殿様」、「ひげダンス」他、色んなコントは、多くの流行語を生んだものである。又、土曜日の生番組にも拘わらず毎回豪華にしつらえられたセットは、今から思うと「伝説の番組」と称されるのに相応しい、誠に豪華なものであった。
今テレビ番組がつまらない。どの局を見ても、たけしやさんま、島田紳助を始めとする"吉本"の芸人達が中心のバラエティーやトーク番組ばかりで辟易する。従って、見る番組はニュース、スポーツ、ドキュメンタリーや一部のクイズ番組に限られ、昔ほどテレビをみなくなってしまった。或るテレビ関係者に聞いたところ、最近は不景気でスポンサーも付きづらく、いきよい宣伝のため何組かをまとめて安く売り込んでくる"吉本"の芸人達を使う場面が多くならざるを得ないそうだ。同じ理由で、バックのセットも毎回同じ物を使用し、コストダウンを図っているらしい。益して、BSやケーブルテレビなどの出現で視聴者の選択肢が増えたため、一部のキー局は台所が"火の車"だと言う。彼は、「将来的にはキー局の合併が避けられないだろう!」と結んでいた。
ドリフターズの原点は、同じナベプロのコミックバンドだった「ハナ肇とクレイジーキャッツ」にある。先輩格の彼らは、1961年~1972年まで続いた「ショボン玉ホリデ」(591回)や1964年に始まって1835回も生で放映され続けた「おとなの漫画」で後輩のドリフに道を開いたのである。今の若い人達は知る由も無いが、ハナ肇や植木等、谷啓たちの独特な持ち味を前面に押し出した、何とも面白おかしくスマートなショートコンは絶品だった。
≪"8時だよ!全員集合"≫の平均視聴率27.3%、最高視聴率50.5%は正に伝説になりつつあるが、そろそろ各社テレビスタッフも政権交代?して、良心のもとに番組作りを根本から見直したらどうだろうか?



