Archive: 2009年7月

この不況が所得の格差を生み、学びたい学生達が高校や大学の進学を諦めたり中退したりするケースが増えているそうだ。教育はその国の将来を左右するもので、国の骨格をなすべきものと言える。最近では塾通いも減少し、教育費が安い公立高校の倍率が上がっているようだ。今回のマニフェストでも民主党は、公立高校の無償化を目玉にすえた。又、自民党も就学援助制度の充実を盛り込む予定だそうだ。そう、政治はこの不平等を是正する重要な義務を負う。

昨日の朝日新聞の『天声人語』で、大正時代の経済学者河上肇が執筆した『貧乏物語』に付いて触れていたので私も紐解いてみた。その中に少し興味深い下りが有るのでご紹介しよう。

≪故啄木(たくぼく)氏は、「はたらけど はたらけどなおわが生活(くらし)楽にならざりじっと手を見る」と歌ったが、今日の文明国にかくのごとき一生を終わる者のいかに多きかは、以上数回にわたって私のすでに略述したところである。今私はこれをもってこの二十世紀における社会の大病だと信ずる。・・・・・中略・・・・・不思議にも古来学者の間には、貧乏人も金持ちもその幸福にはさしたる相違の無いものであるという説が行なわれておる。大多数の諸君の知らるるごとく、アダム・スミスは近世経済学の開祖とも称さるべき人であるが、氏が今より百五十余年前(一七五九年)に公にした『道徳感情論』を見ると、氏は次のごとく述べている。

「肉体の安易と精神の平和という点においては、種々の階級の人々がほとんど同じ平準立派な身分の者でありましたが、おやじが放蕩無頼(ほうとうぶらい)に身を持ちくずしたため、とうとう乞食とまで成り果てて今に住まうに家もなく、にあるもので、たとえば大道のそばでひなたぼこをなしつつある乞食(こじき)のもっている安心は、もろもろの王様の欲してなお得(う)るあたわざるところである*」

又、或る高僧の講話集にも次の様な話が有る。

「昔五条の大橋の下に親子暮らしの乞食(こじき)が住んでいました。もとは相応地位もあり財産もあった五条の橋の下でもらい集めた飯の残りや大根のしっぽを食べて親子の者が暮らしていたのであります。ところがちょうどある年の暮れ大みそかの事、その橋の上を大小(だいしょう)さして一人の立派なお侍が通りかかった。するとそこへまた向こうの方から一人の番頭ふうの男がやって参りまして、出会いがしらに『イヤこれは旦那(だんな)よい所でお目にかかりました』と言うと、そのお侍は何がよい所であろうか飛んだ所で出くわしたものだと心の内では思いながらもいたしかたがない、たちまち橋の欄干に両手をついて『番頭殿実もって申しわけがない、きょうというきょうこそはと思っていたのだけれども、つい意外な失敗から算当が狂ってはなはだ済まぬけれども、もう一個月ばかりぜひ待ってほしい』と言うのを、番頭はうるさいとばかりに『イヤそのお言いわけはたびたび承ってござる、いつもいつも勝手な御弁解もはやことしで五年にも相成りまする、きょうというきょうはぜひ御勘定を願わなければ、そもそも手前の店が立ち行きませぬ』と威丈高(いたけだか)になって迫りますと『イヤお前の言うところは全く無理ではないが、しかし武士ともあるものがこのとおり両手を突いてひらにあやまっているではないか、済まぬわけだが今しばらくぜひ猶予(ゆうよ)してもらいたい』としきりにわび入る。これを橋の下で聞いていた乞食のせがれが、さてさてお侍だなんて平生大道狭しと威張っていくさるくせに商人ふぜいの者に両手をついてまであやまるとはなんとした情けない話であろう、いくら偉そうに威張っていたところで債鬼に責められてはあんなつらい思いもせなければならぬとすればつまらない、それを思うとわれわれの境界は実に結構なものだ、借金取りがやって来るでもなければ、泥棒(どろぼう)のつける心配もない、風が吹こうが雨が降ろうが屋根が漏る心配も壁がこわれる心配もない、飢えては一わんの麦飯に舌鼓をうち、渇しては一杯の泥水(どろみず)にも甘露の思いをなす・・・・・中略・・・・・と妙に達観していると、せがれのそばで半ば居眠(いねぶ)りをしていた親乞食がせがれがかように申しますのを聞いて、むっくと起き直り『これせがれ、そんな果報な安楽の身にいったいお前はだれにしてもろうたのか親様(おやさま)の御恩を忘れてはならんぞ』と言うたというお話がござります」

「はたらけどはたらけどなおわが生活(くらし)楽にならざり、じっと手を見る」という連中が、この講話を聞いてはたして自分らほど果報な者は世にないと思うに至るであろうか、どうか。たとい彼ら自身はそう思うにしても、われわれははたして彼らを目して世に果報な人々とすべきであるか、どうか。それが私の問題とするところである。≫

確かに「ぼろは着てても心は錦」という歌もあるが、貧乏するよりお金が有ったほうが良いに決まっている。今の世の中、無一文では幸福感を味わえない。益してそれが、教育に影響するようでは尚更である。私は、『子育て支援』の現金支給は別として、『高校教育の無償化』という民主党の公約は、国民が同じ幸福感を共有するためにも支持したい。皆さんは如何か? 200px-Kawakami_Hajime.jpeg              <マルクスの影響を受けた経済学者「河上肇」(1879~1946)>

政府の法制審議会(法相の諮問機関)では、日本人の成人年齢をこれまでの20歳から18歳に引き下げるjのが適当とする最終報告書をまとめた。これは昨年5月に成立した国民投票案が、「18歳以上に投票権がある」と定めており、その付則に成人年齢の引き下げについて検討する旨が記載されているためである。実際のところは、「選挙権を含め18歳以上の者を一人前の『大人』として処遇する方が、若年者や社会にとって大きな活力になる」と言う考え方が基になっているのである。

確かに世界の多くの主要国では、成人年齢が18歳と定めている。又、面白い事にアメリカのように州によって規定が異なる国もあるようだ。一方、一部の発展途上国では高等教育が先進国ほど進んでいないので、18歳未満(プエルトリコ14歳・キルギスタン、ネパール16歳)の国も多い。ヨーロッパの国々、例えばドイツやイギリスでは、一昔前までは大学卒業の歳までは『大人』と見ることが難しいとして長らく21歳であったが、1960年代~70年代に起こった学生運動を鎮めるための一つの手段として、3歳引き下げ18歳としたらしい。又、兵役の義務も18歳からという国が多いことも関係しているようだ。

我が国はそういう事情や若年層からの要望もなく、先ずは「選挙権」を与えようとすることから出発している。お酒に関しては、定かではないがそうなれば18歳から飲めるようになるのだろう。よく大学の体育会や高校出たてのプロスポーツ選手たち未成年の飲酒が問題になることがあるが、18歳が成人となれば、堂々と飲めるようになる。但し、高校の謝恩会が『大宴会』となるのは、少々恐ろしい気がする。しかしながら、少子高齢化の傾向に歯止めが掛らない現状からして若い人たちに、早いうちから『大人』としての自覚と責任を感じてもらうのは、大変良いことかもしれない。 ドイツ.JPG

     (東西に分かれたいたドイツも、統一を機に1969年までに全ての州で18歳に引き下げられた)

昨日、サラリーマン時代に務めていた商社の建設機械部OB連中5人と、同じく後輩が脱サラして始めたラーメン屋に集まった。会った途端の話題が、最近ガンで亡くなった同輩達二人の事でもちきりである。又、つい先日前立腺ガンの手術をした北海道在住の先輩とも久し振りに携帯電話で、近況を報告し合った。最近年のせいか?やけに周りの人たちが、ガンになるケースが増えているように思う。ご承知の通り、日本人の死因のトップがガンである。それも肺がんが多いらしい。

今朝の新聞に歌手の川村カオリさんが、乳ガンのため死去したと載っていた。彼女の事は、羅病後の≪ガンとの壮絶な闘い!≫の様子を映したドキュメンタリーを見た事があったので、予測していたものの、38歳の若さでは余りにも短い人生である。忌野清志郎さんもガンで亡くなった。私の家系も、ガン家系であるからガンの恐怖は尋常ではない。従って、年に一度の健康診断は勿論、胃や大腸の内視鏡検査は定期的に実施している。しかし罹る時は罹るし、病に闘いを挑んでも人間の方が分が悪い。

三大疾病、特ガンなどのを予防するためには、以下の様な生活習慣を送らねばならないと言われている。

①バランスの取れた栄養摂取 ②変化のある食生活 ③腹八分目を守る ④お酒は適量?を守る ⑤タバコは吸わない ⑥サプリメントに頼りすぎない ⑦薄味、適温を守る ⑧焦げたもの・古いものは避ける ⑨紫外線に要注意 ⑩運動を習慣に・・・・・    

会社を経営している私にとって、向こう10年はガンになりたくないので、この内成るべく多くの事を守っていこうと思う!やけに身につまされた昨日・今日の二日間である。 2009072910590000.JPG

                         (川村カオルさんお死亡記事)

『やりましたーーー!!!ついに!!!たくさんのファンの皆様、大好きな家族、とにかく応援してくださた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとに苦しい時も、皆さんの声援に支えられここまで上りつめる事が出来たと思います。本当にありがとうございました。・・・(中略)・・・この優勝はまだまだスタートライン。ここからやっと始められる。でもずっと忘れる事のない初優勝です!!!!皆さんまだまだ宮里藍、ここから頑張ります!!』 女子プロゴルフの米、欧州ツアー共催大会エビアン・マスターズに優勝した宮里藍選手のブログの抜粋である。

2006年、二十歳の若い日本人娘が米プロゴルフツアーに挑戦するために1人でロスアンゼルスに旅立った。彼女は2004年国内5勝、2005年7勝(海外1勝)等通算13勝という輝かしい記録を引っさげて世界に挑戦するためにアメリカにやってきたのである。彼女の心中は、一部のスキャンダル(彼女のボーイフレンドが撮影した彼女の全裸公表?)によるダメージと未知なる新世界へのチャレンジで複雑だったろうと推測する。この年は、全米女子プロゴルフ選手権で3位に入賞し、始めて発表された「世界ランキング」で6位となる等好調であったが、翌年の2007年からドライバーが左右に迷走し、最悪のスランプ状態に陥っていた。

今回の優勝は、最終ホールでバーディを奪取し、14アンダーで並んだスウェーデンの選手をプレーオフ1ホール目で、破るという逞しいものであった。修正に成功したドライバーも今期は平均飛距離で約20ヤード伸びて256.5ヤード(37位)、平均ストロークも70.62(9位)と堂々たるもので、14戦して予選落ちは1度もない。4歳から二人の兄たちと沖縄県国頭郡東村の海岸でゴルフクラブ振り始めた天才少女も今や24歳、身長155cm・体重52kgと小柄ながら、人一倍大きなスイングで今年は大ブレークしそうな予感がする。

頑張れ!≪藍ちゃん、負けるな藍ちゃん(*^_^*)≫ 20090728-00000044-spn-golf-thum-000.jpeg

<全英リコー女子オープン(英国リザムセントアンズ、ロイヤルリザム・アンド・セントアンズ)に備えて試合会場で練習ラウンドを行う藍ちゃん>

経済界でも有名な企業のトップから相談役に退いた或る老経営者(69歳)は、30年余り棲み慣れた武蔵野の一軒家から、杉並のマンションに引っ越すことにした。管理面や防犯面、都心へのアクセス等を考慮して夫婦で決めたのである。5月の連休中に趣味のゴルフを封印して実行したのであるが、輸送の手配から転居先での受け入れ準備、諸々の手続き等全て女房におんぶに抱っこ。お陰で孤軍奮闘した奥さんは、引っ越し完了時には4キロも痩せてしまった。

彼も引っ越し後の荷解きなど労務提供に専念する他ない、と覚悟を決め女房の指示の下、絶対服従と思ってはいたものの「おい、これはあっちの押入れの方が良くない?」『ダメダメ、いろいろ考えてやっているのだから、私の言うとおりにやって頂戴!』 かくして、彼の意見は全て却下され勤労奉仕の5日間が瞬く間に過ぎ、会社生活に戻ることとなった。ところが、今までに感じた事がない疲れが身体の芯までどっと押し寄せて来たのである。

この疲れは何だろう?と考えた途端、彼はハッと気が付いた。会社では、一方的に指示を出すばかりだったが、突然、問答無用の5日間のストレスが溜まったのだ、と。翻って、彼が指示を下した社員諸君の立場になってみると、このストレスをずーと押し付けられてきたのではないか。アタマでは、「若い人の発想こそ会社の命綱」と分かってやってきた積りだったが、やはり自分は『裸の王様』だったのでは?彼は、一線を退いた今、"Too Late"ながら今回の引っ越しで、思わぬ「悔悟」を味わう結果と相成ったのである。

私は、決して未だ"Too Late"ではないぞ!

sumida.jpeg sumida.jpeg            <建設中の「スカイツリー」を映し出す"隅田川花火大会"(7月25日)>

今から82年前の今日、友人である菊池寛等に宛てた遺書に「将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉を残し、天才芥川龍之介は田端の自室で雨の降りしきる中、服毒自殺をはかった。享年35歳という若さであった。生後7か月で実母が発狂したため、伯母フキに育てられるが母が亡くなった翌年の12歳の時、叔父(母の兄)の芥川道章の養子となり芥川性を名乗る事になったそうだ。旧家の士族である芥川家は、代々徳川家の『茶の湯』を担当した数寄屋坊主で、家中が芸術・演芸を愛好する文人の家系だったそうである。

彼は夏目漱石に師事したが、彼の作品の多くは短編で「芋粥」、「藪の中」(『羅生門』というタイトルで黒沢明が映画化)、「地獄変」、「歯車」など、『今昔物語』他の古典を題材にして書いているようだ。その他にも私が好きな「蜘蛛の糸」、「杜氏春」などの童話も多く手がけているが、文章構成の仕方は彼が英文科を出ているため英文学的と評される事が多い。彼が亡くなった今日7月24日を≪河童忌≫としたのは、彼の晩年の作品である『河童』に由来するもので、人間社会を風刺し強烈に批判した内容は、彼の自殺に関係しているのではないかと言われている。

又、晩年はしばしばドッペンバルガー(Doppelgänger)を見たのではないかと言われている。ドッペンバルガーとは、「生きてる人間の霊的生き写し」を意味し、自分自身の肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚する現象をこう呼ぶらしい。この現象はSFやファンタジー小説などにも登場する事が多いが、「その人間の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、実際そのような例が数例あったと言われている。

昔から「天才と何とかは紙一重・・・」といわれる事があるが、彼のような類?の人間が体験する現象かもしれない。それにしても「天才」とは全く関係のない私としては、生んでくれた両親に感謝するのみである!!!(●^o^●)

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或る銀行の"お偉いさん"が言った『同族』企業の成功例、即ち「事業承継成功の三つのポイント」とは、

ニ世教育・・・小さい歳頃から親父の背中を見せて育てる

一代一創業・・・先代がやっていなかった新たな事業を創業する

抵抗勢力の排除・・・先代が重用した社員を排除する

だそうだ、成程、納得。特に③に付いては、私が知っているレンタル屋さんの社長が息子に対し『俺の部下は、お前については行かないだろうから、お前が信頼する友達を片腕にすべく、我が社に連れて来なさい!』と言った事が記憶に残って居り、大いに共感するところである。

一方、昨日書いた通り「武田薬品工業」のように過去『同族』を解消した企業も多い。例えば堤家支配が崩れた「西武鉄道」、賞味期限切れのなどの不祥事が多発した「不二家」或いは経営が悪化してトップが交代した「三洋電機」や「ダイエー」、その他にもフジサンケイグループ・パナソニック・任天堂・日本生命保険などが挙げられる。又、古くは旧財閥系の「三菱」(岩崎家)・「三井」(三井家)・「住友」(住友政友が京都で開いた「富士屋」が祖)・「芙蓉グループ」(旧安田:安田善次郎が祖)等は、組織の拡大とともに『同族』から脱却している。

こうやって見てみると『同族』経営解消のきっかけは、端的に言うと企業の成長・拡大(株の公開)か逆に失敗した場合に、或る程度限定されるようだ。少子高齢化に伴い出生率は低下し、一人の女性が産む子供の数は1.3人前後となった現在、後継者選びに窮する時代となりつつある。しからば、『同族』経営の是非は?・・・その答えは時代が下す事だろう!

                          (三菱と三井のマーク)80d6b21a06711662.jpeg yurai03.JPG

「私の仕事は全て終わった」。6月25日開かれた武田薬品工業の株主総会の席上、集まった1800人の株主を前に武田国男会長は、こう述べて退任の挨拶をしたそうだ。彼は1993年に、創業以来200数十年の歴史を有する同社の社長に就任し、食品部門の切り離し他数々の改革を断行し、現在のタケダを築き上げたのである。そして社長就任時に約束した通り、「武田家出身の最後の経営者トップ」となった訳である。

今年、経済界で最も話題になった一つに、「世界のトヨタ」の大政奉還がある。未曽有の経済危機の中、6月の株主総会で14年振りに創業者一族の豊田章男社長が誕生した。又最近では長きに亘り、『同族』経営を貫いてきたあのサントリーが三菱グループの上場企業であるキリンとの統合交渉が表面化した。ところで『同族』経営とは、具体的にはどのような企業形態を言うのであろうか?一般的には、同じ親(血)族が支配する企業経営を指すのであるが、法人税法では、上位大株主3人の持ち株比率を併せると50%を超える会社を『同族』会社と定義するそうだ。

同族』は、中小零細企業が殆どと思われる向きが多いかもしれないが、意外と大企業の中にもこの形態を保持し続けてる会社が結構ある。例えば、建設業界関連では竹中工務店・前田建設工業・穴吹工務店やクレーンのタダノなどがそうである。メーカーでは、キャノン・パロマ・リンナイ・YKK・ヤンマーがそうである。又、金融関係も意外と多く山形銀行・スルガ銀行・東邦銀行・福井銀行・名古屋銀行などの地方銀行に多く見られる。出版業界の小学館・講談社や新潮社、食品関係ではキッコーマン・伊藤園・エスビー食品・江崎グリコ・森永製菓・山崎製パン、医薬品では大正製薬・エーザイ・塩野義製薬・小林製薬などがそうである。その他にも、最近台頭目覚ましいイオン・ソフトバンク・セイノ―や佐川急便等もそうである。

我々建機レンタル業界も、メーカー系を除くき広域レンタル業者を含め多くの『レンタル屋さん」は同族経営である。『同族』の良い面と悪い面を敢えて一つだけ挙げてみると、良いところは『社長交代などの経営陣の移行が円滑に行われ、長期的な視点で見た経営を推し進めることが出来る』。一方悪い面は、『法的な制限が課せられることに加え、能力がない者が経営者となるリスクが高くなる』である。

つい最近、当地最大の銀行のあるお偉いさんから『同族』経営の成功事例の3つのポイントを伺ったのでご披露したい思うが、長くなるので今日は止めにして明日にしようと思う。明日の『藤やんの散歩道』に乞うご期待!!!

日喰.JPG  (今日の話題は、何と言っても衆議院の解散を抑えて46年振りに『皆既日食』が見られるや否やか?) 

我々ゴルフファンにとって、遼君とタイガーが予選の落ちした後の『ジ・オープン(全英オープンゴルフ)』の関心事は、久保谷健一選手の最終成績と「アラ還」の星トム・ワトソン選手の最年長優勝記録を大幅更新なるかに絞られた。9月4日で60歳となるトム・ワトソンが、もし優勝すれば『ジ・オープン』では142年(トム・モリス46歳)ぶりに、メジャー大会では、1968年に全米プロを48歳で制したジュリアス・ボロスの記録を41年ぶりに、そして米ツアーでは、1965年のグリーンズボロ・オープンを52歳で制したサム・スニードの記録を44年ぶりに塗り替える快挙となる筈であった。

結果は、最終18番ホールでボギーを叩いたトム・ワトソンが、ナイキのクラブを駆使して並びかけた36歳のスチュワート・シンク(米国)との4ホールのプレーオフの末、惜しくも破れた。私を含めトムを応援した多くのファンにとっては残念な結果に終わってしまったが、プレー後互いの健闘を讃え合う二人の姿は、暖かくそして気高く私たちの胸に残ったのである。若き日のトムを、かの有名なジーン・サラゼンは、聡明・明晰・賢明で、テレビドラマ『パパは何でも知っている』に出てくるような「スマートボーイ」と評している。スーツを着せると一番よく似合うプロゴルファーとも!

名門スタンフォード大学で心理学を学んだトムは、最初プロゴルファーではなくビジネスマン志望だったそうだ。プロゴルファーになった当初は、いい所に行くものの最後は度々優勝を逃していたようだ。そして付いた仇名が『チョーカー』、チョークというのは窒息するという意味である。ところが一たびこれを克服して優勝すると、瞬く間に世界のトップに躍り出たのである。特に1977年のマスターズではデッドヒートの末、メジャー最多優勝(18回)のJ・二クラウスを破り、同じ年の全英でもすさまじい闘いの末ニクラウスを退け、2度目の「ジ・オープン」のタイトルを獲得した。

その時、ニクラウスに『私はベストを尽くしたが、私以上にベストを尽くした人間が一人居た』と言わしめたそうだ。トムはアップライトスイングで高い弾道の球を打つため、風が強い日のプレーは不利だと言われてきた。確かに彼が優勝した5回の「ジ・オープン」は、風が余り吹かなかったようである。しかし、不利だと言われながらも、持前のアプローチとパットの巧さでメジャー8勝という輝かしい戦績を残している。

彼は米国のプロゴルファーとしては、さほど大きくない、寧ろ小さい方である。そこで思うのだが、同じく身体が小さくて高い球を打つ石川遼選手は、トム・ワトソンに教えを請うたらどうだろうか!師事出来ないまでも、一度じっくりトムの体験談と技術談を聞くと一皮も二皮も剥けるかも?(*^_^*)

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                  (プレーオフの後、互いを讃え合うシンクとワトソン)

今朝は寝不足である。何とならば、結果は判っていたが全英オープンゴルフ≪The Open Chanpionship≫の石川遼選手のホールバイホールのプレーをTVで深夜迄見ていたからである。四大ゴルフトーナメントの中で、この≪ジ・オープン≫が一番歴史が古く、今回で138回を数えるが常にゴルフ発祥の地であるスコットランドのシーサードリンクス(海岸に立地する場)で開催される。何と言っても、石川遼選手が予選ラウンドを実力NO.1のあのタイガー・ウッズと回るという事で、大変興味がある大会となった。

初日の結果は、遼君とハリントンが2アンダーで21位、タイガーが1オーバーの68位となり、大物を向こうに回しての未だ17歳の遼君の落ち着いたプレーが特に光っていた。≪ジ・オープン≫は、過去の経緯から九つのリンクスで行われるる。比較的易しくて優勝スコアーが10アンダー以上と言われているのが、今回の開催地であるターンベリーやゴルフ発祥の地セントアンドリュース、ロイヤルリザム&セントアンズ、ロイヤルトルーンである。他のロイヤルセントジョージスやミュアアフィールド、ロイヤルバークデール、カーヌスティ、ロイヤルリバプールは、アンダーパーを出せば勝てると言われている程難しいコースだそうだ。

未だ日本人はおろかアジア人は優勝した事がなく、1982年にロイヤルトルーンで開催された第111回大会での倉本昌弘選手の4位が最高である。長らくアメリカを主戦場にしていた丸山茂樹選手曰く、四大トーナメントの内、日本人が優勝できる可能性が最も高いのがこの大会だそうだ。夏場と冬の寒さや台風並みの大風が同居するとされるこの≪ジ・オープン≫で、遼君を始め現在5アンダーで2位と検討している久保谷健一選手も、共に優勝を目指して頑張って貰いたいものである。

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                    (≪The Open Chanpionship≫の様子)

武道館で、≪サイモン&ガーファンクル≫のコンサートを見た。3度目の日本公演だが彼らも既に、67歳となり最後のコンサートとなる模様だ。『Old Flend』で始まったコンサートは、クライマックスの『明日に架ける橋』と進み、私が初めて彼らの事をしった映画≪卒業≫(1967年)の挿入歌『スカボローフェア』・サウンドオブサイレンス』・そしてアンコールの『Mrs.ロビンソン』と続いた。

1993年の2回目のコンサートに比べると、やや声に衰えが感じられたがポール・サイモンのアコーステックギターとアート・ガーファンクルの澄んだ高音は、真に素晴らしく大いに感動した。私も彼らの曲が好きで、『明日に架ける橋』他数曲をカラオケで歌うが、次は気に入っている『コンドルは飛んで行く』に挑戦したいと思う。尚、私が見た映画の中で5本の指に入る≪卒業≫の「あらすじ」をご紹介するので、見ていない方は、一昔前の自分に置き換えて?是非御覧になることをお勧めする!

卒業.JPG『大学を優秀な成績で卒業したベンジャミン(ダスティン・ホフマン)は、将来に対する不安でいらだっていたが、そんなの心も知らずに両親は盛大な卒業パーティーを催した。口先だけのお世辞やへつらいにいたたまれず部屋に逃げこんだベンジャミンを、ロビンソン夫人(アン・バンクロフト)が追いかけて来て、強引にベンジャミンを家まで送らせ誘惑した。しかし、丁度そこへ夫ロビンソン氏が帰ってきたので、その場は何事もなく済んだが、この誘惑はベンジャミンにとって強い刺激となり、数日後、彼は自分の方からデートを申し込み、その後2人はしばしばホテルで密会するようになる。

だが、この2人の関係は、ロビンソンの娘エレーヌ(キャサリン・ロス)が学校休みで戻ってから、大きくくずれていった。両親の勧めで、初めはいやいやながらエレーヌとつき合ったベンジャミンだが、その可憐さ、清純さに次第に本気で愛するようになった。娘の恋に嫉妬したロビンソン夫人は、ベンジャミンに娘とつき合ったら、自分との関係をバラすと脅迫した。しかし、この脅迫も、ベンジャミンをさらに激しい恋にかりたてるばかり。ついにロビンソン夫人は捨身の妨害に出て、ベンジャミンとの関係をバラしたため、ショックを受けたエレーヌは、学校へ戻ってしまった。そのエレーヌをベンジャミンは追った。

だがそこは、ロビンソン夫妻が娘と結婚させようとしているカールという青年がいた。それでもベンジャミンは、エレーヌを追ったが、とうとうエレーヌとカールの結婚式が挙行されることになった。式は進み、クライマックスに達した時、ベンジャミンが飛び込んできた。両親や参列者を押しのけると、彼は花嫁を盗み出し、通りかかったバスに飛び乗り未来に向かって走り去って行くのである。』

一昨日の午前中、我が社にご覧の通りの海産物が届いた。ズワイ蟹、甘エビ、ホタテ、ハマグリ等が大量に送られて来たのである。送り主はO建設さんで、たまたま北陸金沢への社員旅行に"お餞別"をさし上げたところ、律儀に"お返し"を頂いたのである。我が社の女性群は、この予期せぬ"お返し"にはたと困り果てたが、一部に意見が出た「夜のバーバキュー」案を退け、勇敢にその日の昼食用に、七輪を取り出し湯がいたり焼いたりし始めたのである。

仕事はそっちのけ?で、暑いさなか汗を垂らしながら焼いてくれた『焼きガニ』は、シーズン外れながら美味で外出中の社員にとって置く分を除き、瞬く間に皆で平らげてしまった。ビール付きでないのが残念だったが、予期せぬ≪大ご馳走のランチ・タイム≫となった訳だ。

因みに蟹にまつわる慣用句を挙げてみると

※蟹の念仏・・・蟹が口の中でぶつぶつ泡をたてるように、くどくど呟くようす。

※蟹の爪がもがれたよう・・・爪は蟹の武器であり、餌をとる大切な手だが、それがもがれた状態から、頼りを失い呆然自失の様子をいう。

※蟹の穴入り・・・蟹が慌てて穴に逃げ込む様子から、慌てふためく状態をいう。

などなどで、何処やらの国の第一党のようでなかなか面白い。我々は、この不況下『蟹の甲羅に似せて穴を掘る・・・蟹は自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘るところから、人は自分の力量や身分に応じた言動をするものだということ。又、人は相応の願望を持つべきだということ。』で行きたいものですね!(●^o^●) kani.JPG

                          (てんてこ舞いの女性群)

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                        (マウンドに立つ斎藤祐樹投手)

昨日早稲田の斎藤祐樹投手が投げるというので、≪第37回日米大学野球選手権≫の2戦(18時開始)を東京ドームに友人と見に行った。過去の戦績は、米の21勝15敗であるが、米国で行われた2007年の前回大会で日本が敵地で初めて優勝(3勝2敗)し、今回大会は連覇がかかっている。初戦で負けた日本であるが、昨日は5回迄投げた斎藤投手の好投もあって、日本が7対5で勝利したようだ。

「ようだ」と書いた訳は、私達は6対2迄は見たのだが、約束があって途中でドームを出たからである。早稲田実業時代の斎藤は、2007年の甲子園夏の大会決勝で現在楽天のエースとなった田中マー君と投げあい、『ハンカチ王子』の愛称で大ブレークした。その彼も、既に3年生となり来年のドラフトの目玉と言われているが、どちらかと言うと技巧派タイプで速球は140キロそこそこである。変化球の球種は、スライダー・カーブ・フォーク・チェンジアップと多いものの、あの程度の球威で果たしてプロで通用するかどうか疑問に感じるのは私だけではないと思う。

実は、投手で彼以上に期待されているのが法政のエース二神と1年生ながら『怪物』と異名をとる亜大の東浜だ。特に高校時代から将来を嘱望されていた東浜が、米国のパワー打線に今後どのような投球をするか注目される。いずれにせよ昨日で1勝1敗の五分となり斎藤投手も、もう一度投げるだろうし、西武のホームランバッター『中村二世』と呼ばれていて4番を打つ亜大の中田亮二選手の活躍も期待されていることからこれからの3戦が楽しみである。

≪驕る平家は、久しからず≫、平家物語の冒頭の「驕れる人も久しからず」(Pride will have fall)から出た諺である。権力者が、勝手な振る舞いを繰り返していると、いずれ失脚してしまうという例えだが、今の自民党が正にそれである。昨日の都議選で自民党が大敗した結果、公明党の議席を合わせても、過半数の64議席に届かず石原都知事の議会運営は今後大変難しくなった。

これで、自民党は地方選5連敗で麻生首相の責任問題が急浮上しそうだ。最近の自民党離れは、必ずしも民主党支持者が増えた訳ではなく、党総裁(=首相)が毎年変わる自民党内の混乱ぶりと麻生首相の無能力さに嫌気がさし、一度政権交代をさせようという有権者の意志の表れだろう。もしここで麻生首相が解散を強行すれば、間違いなく総選挙で大敗するに違いない。

気になるのは、株価と円相場だが東証が開いた当座は少し上げたが、11時現在では下げに転じた模様だ。円も92円の後半で推移しているようで、大きな影響は今のところ見られない。ところで、土俵際の自民党を土俵の中央に引き戻すには、誰をポスト麻生に据えればいいと思われますか?与謝野、石原、石破、舛添それとも小池ですか?今回の都議選の結果からすると、思いっきり若い人か又は女性を選べば、一発逆転って事があるかも? 2009071308250000.JPG

                    (自民大敗、民主大躍進を報じる日経紙面)

『皆さんは≪ユニクロで何を買いますか?≫』と言うのは、日経の今日の1面に"「ユニクロ」最高益"という記事が載っていたので聞いてみたのである。同社の今年8月期の連結決算予想では、売上高が前期比16.3%増の6,820億円(先期5,864億円)/営業利益が同23.5%増の1,080億円(先期874億円)と8期ぶりに過去最高となる見込みだそうだ。2006年頃から「ヒートテック」や「ブラトップ」などの付加価値が高い商品を価格を抑えて投入した事が、節約志向の消費者のニーズにマッチしたのであろう。

ご承知の通り≪ユニクロ(UNIQLO)≫は、ファーストりてーリングが展開する会社だが、山口県宇部市で『メンズショップOS』を経営していた柳井正氏が、1984年6月にユニクロ第1号店を広島市中区にオープンしたのが始まりである。1998年頃から1,900円のフリースや2,900円のジーンズが、マスメディアを巻き込んだため「価格破壊」の象徴として爆発的にヒットし、一時期紆余曲折を経たものの、今では国内757店舗(2009年6月末現在)を有する企業に成長し、衣料品業界では『一人勝ち』の様相が鮮明になって来た。

最初の質問に戻るが、私は「ユニバレ」(ユニクロの衣料を着ていることが判明すること)が厭なので、それこそバレる事が少ない?下着やパジャマに止めている。しかし、品質も良くて着心地も悪くなくサイズが多いので助かる。柳井氏は、アメリカの衣料品小売店であるGAP(ギャップ)をモデルとしたらしいが、今ではイギリス・アメリカ・フランス・中国・香港・韓国・シンガポールまで進出し更に拡張傾向にあるようなので、お手並み拝見と行きたい。

ところで、同社はテレビを始めカタログやチラシを含め70人以上の有名人を広告塔として起用しているが、何人言い当てることが出来ますか?そう、藤原紀香、矢沢永吉、今井美樹、黒木メイサ、テリー伊藤、それから・・・・・・?。 250px-Uni-qlo_fukasakuten1.jpeg

             (旧ロゴをモチーフにした≪ユニクロ≫店舗・シンボルカラーはワインレッド)

昨日は年に1度の我が社のボーリング大会、張り切って臨んだものの去年のスコアーより更に13点ダウン<8月9日のブログ参照(*^_^*)>と散々な結果に終わった。何せ1年振りに投げたものだから、微妙なコントロールがきかず各フレーム少しずつ外したため、成績もブービーだった。只、一つだけ不満だったのが、我々の年齢になると軽いボールで投げたいと思うのだが、軽いボールは指が入らず、14~15ポンドを選らばねばならなかった点である。

腰痛の故障者を除き15名が参加したのだが、優勝は2ゲームトータル304点(ハンデ40)のフロントの女性K・Yさん、準優勝が288点(ハンデ40)で経理の女性M・Yさんと普段通り?女性上位だった。グロスのハイアベレージが営業のH君の278点、次いでサービス部Yさんの277点だった。このYさんが私と同じ年だから、私もエクスキューズがきかないし些か悔しい。何となれば、彼は普段から野球のコーチをやっていて私みたいに腹も出ていないからである。

終了後全員でビールとウーロン茶で乾杯し、中華料理に舌鼓を打ったのであるが、費用はセット価格なので賞品代を含め〆て10万円ちょっと。何とも懇親の意味からすれば安いものである。会は、私が次回250点越えを約束して、和気あいあいのうちに10時ピッタリに終了した。

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                       (御隣さんドウシ仲良くスプリット?)

今朝のウオーキングの際、大津川で「まがも?」の親子が仲良く泳いでいる姿を見かけた。親がもの後に、数羽のの子がもが従うという、何とも微笑ましい光景である。一方今朝、13歳の息子がナイフで父親を刺して殺したというニュースが目に飛び込んで来た。又つい最近、妻の介護に疲れた夫が妻を殺したという痛ましいニュースも気になった。万物の霊長である人間の社会は、はるかに動物のそれよりも家族愛に乏しくなってしまったのだろうか?

私たち夫婦は、毎週月曜日の夜8時から放映される≪鶴瓶の家族に乾杯!≫という番組が好きで、よく見る。笑福亭鶴瓶とゲストが、毎回北は北海道から南は沖縄まで、突然その地方の家やお店を訪問し、そこに住む家族と親交を深めるという番組である。そこには、都会では核家族化で失われた親兄弟・親類たちの暖かな触れ合いが映し出される事が多く有る。

私は6人兄弟の末っ子で、かなりの年齢まで正月や夏休みに、親兄弟たちと楽しく過ごす機会があった。今の出生率1.3人前後では、このような団欒は望むべきも無い。そう言えば、3歳の一人娘の孫の七夕様のお願いが、『赤ちゃんが欲しいです!』だったらしい。

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                           (「まがも?」の親子)

今日は≪七夕≫である。私は、≪七夕≫の頃になると『牽牛と織姫夫婦』の事より、先ず≪ソフトクリーム≫を思い浮かべる。というのは私が小学校の1年生の時、九州福岡市から親父の転勤で同じ福岡県内であるが、鞍手郡鞍手町中山町という炭鉱町に移り住んだ。大都会の福岡市に比べ、傍らに有るものと言えば、田んぼの緑とボタ山(不良炭を集めて数十メートルの高さまで積み上げたもの)、そしてフナや鯉が泳ぐ美しい川だけであった。

当時、私を小学校2年生の終わりまで優しく指導してくれた若い担任の先生が、『森田恭子先生』である。私が7,8歳の頃だから、彼女が24,25歳だとすると一回り以上年上なので、今では70歳はゆうに超えているだろう。ふっくらとして切れ長の目をした<弥勒菩薩>のような穏やかな人だった。都会育ちで甘えん坊の私は、淋しさの余り彼女に思いっきり甘えた。そして彼女も何故か?私の家にしょっちゅう遊びに来てくれたが、今では到底考えられない事でる。

丁度休日と重なった2年生の≪七夕≫の日、彼女は担任の生徒の希望者を、『課外授業』と称して福岡市に連れて行ってくれた。私が参加したのは言うまでもない。岩田屋デパート(今は岩田屋伊勢丹?)の食堂で食事の後、彼女はポケットマナーで参加した生徒全員に≪ソフトクリーム≫をご馳走してくれたのである。その辺りに地の利がある私は、したり顔で皆に説明し後、やおらホルダーに乗っている≪ソフトクリーム≫を食べようとして口に運ぼうとした時、手が滑り誤って床に落としてしまった。

床に刺さった≪ソフトクリーム≫をじっと見つめる藤本少年の顔は、想像に難くない。憐れな?顔の私を見た『森田先生』は、間髪を入れずすくっと立ち上がり改めて食券を買いに行ってくれたのである。折しも≪ソフトクリーム≫の第一次ブームの時で、子供心にこんな美味しいものはないと感じていた私は、彼女の自然な立ち居振る舞いがやけに眩しかった。≪七夕とソフトクリーム≫の淡い思い出は、彼女が"初恋の人"かもしれないと思い起こさせてくれる。『今、会いたい人は?』と聞かれたら他人としては、先ず彼女の名前を挙げるだろう!

無題.JPG             (起源は4000年前の中国の「アイスミルク」と言われる≪ソフトクリーム≫)

私は昨日の午前6時過ぎ、常磐自動車道の桜土浦ICを過ぎた土浦市佐野子付近を猛スピード?で北上していた。目指すは、千代田石岡ICを出て約15分の『やさと国際ゴルフ倶楽部』、私のホームコースである。スタート時間は、7時2分の午前スルー(1Rを連続してプレー)で、充分時間的には余裕があった。私がスピードを緩めふっとバックミラーに目をやった時、背後に赤色灯を回転させながら接近して来た1台の車に気付いた。≪しまった、覆面パトカーだ!≫、走り慣れた道なので注意はしていたものの、今となっては"後の祭り"、大人しく追い越してゆく白の「クラウン・アスリート」に従い、側道に停車した。

随分お急ぎのようですね、スピード違反ですよ!免許証と車検証を見せてください』、水色の制服を着た一人の交通機動隊員が近づいて来て、優しく私にこう言った。『誠に済みません、急いでいたもので!』私は、素直に謝って彼に従い、覆面パトカーに移動したのである。スピードメ―タは129Kmを指しており、お決まりのサイン等の手続きは以外と簡単に終了した。

それにしても良い年をして、何と愚かな運転をいたしたものか!、「早く到着してコーヒーを飲み、パター練習でもしよう。」と思い、安易にアクセルを踏み込んだ事を深く恥じた。実際はもっとスピードを出していた筈である。以前、高速道路のスピードの取り締まりは、免停になる手前の慈悲ある対応をしてくれるケースがあると聞いた事があった。正に私の場合がそれだろう。社員に対しても合わす顔がない。

罰金の18,000円は少し痛いが、早速今日郵便局でそれを支払い、二度とスピード違反をしない事を此処に誓う! image14.jpeg

             (普段はあまり飛ばさない私なのに!捕まった同型のクラウンアスリート)

7月1日発表の最新≪FIFAランキング≫で、日本は前回の31位から40位と大きくランクダウンした。1位となったのは、コンフェデレーションカップで優勝したブラジルで、以下スペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、ロシア、イングランド、アルゼンチン、フランス、クロアチアと続いている。一方、アジアではワールドカップ最終予選で日本を破ったオーストラリアが13ランクアップの16位と大躍進した。

≪FIFAランキングって≫とは、国際サッカー連盟(FIFA)により過去4年間の国際Aマッチの成績をもとにポイント化したもので、1993年から毎月発表されているランキングである。過去1999年と2006年の2度、換算方法が変更されたが我が国の最高位は1998年2月の9位で、アジアの国々で一桁代にランクされた唯一の国でもある。2006年7月に改正された作成方法は、過去48ヶ月国際Aマッチ(最強メンバーで組まれたチームで戦う国際試合)のみが対象となる。では、具体的にどのようなポイント計算で算出されるのであろうあか?

勝ち点(A)・試合の重要度(B)・対戦国の強さ(C)・大陸連盟間の強さ(D)の4要素を全て掛けあわせ、更にそれに100を掛けたポイントが大きいほど上位にランクされるのである。例えば勝ち点では、国際Aマッチの勝者に3点、引き分け:1点、負け:0点となっているいが、PK戦で勝敗が決着した場合は、勝ち:2点、負け1点と規定している。又、大陸連盟間の強さではヨーロッパ大陸の国と対戦した場合は1.0ポイント、南米大陸の国と対戦した場合は0.98ポイント、アジアの国と対戦した場合は、0.85ポイントと細かく規定しているため、かなり正確な実力ランキングとなる訳だ。

しかし一方で上位国と対戦する機会が少ないアジア勢とっては、ワールドカップ本大会で多少いい成績を残したとしても、それ以外の多くのアジア内の試合によってポイントが相殺されることなるためランキングを上げることが、相当難しくなったのである。日本の最低ランクは、確か2000年2月の62位だと思うが、真のラックは40位前後であろうと言われている。2010年の南アフリカ・WCでは、岡田監督はベスト4を目指すと目標を立てているが、今の実力ではベスト4はおろかベスト16にも残ることが出来ないだろう!

fwclogo.gif                   <南アフリカ・ワールドカップのシンボルマーク>

 

昨日銀行に依った際、『直径11mm、重さ5g、そこには大きな楽しみが詰ってます。』という看板が目に止まった。中からは、チン・ジャラジャラという音が!それは言わずと知れた「パチンコ屋」さんの看板であった。私は、パチンコをやらない。正確に言うと、生まれてこの方数える程しかやったことがない、というのが本当の話である。私は気のおけない仲間たちとやる『マージャン』以外の賭け事は、一切やらない。これは、親父の教えに依るところが大きいが、元々博才がないと思っているから興味も湧かない。

パチンコ以外、我が国の公営ギャンブルには、『競馬・競艇・競輪・オートレース』の他に、総務省が管轄する『宝くじ』や文科省が取り仕切る『スポーツ振興くじ』等があるが、殆どやった事がない。何故ならば、胴元がかなりのパーセンテージの"テラ銭"を搾取?するので確率が低く、私自身≪博才≫が、無いと信じ込んでいるからだ。従って、ラスベガスやマカオ、韓国のウオーカーヒルズに行った時も大した浪費をせずに帰って来れたのである。「じゃー、『マージャン』はギャンブルじゃないの?」と言われるかもしれないが、私にとっては所謂ギャンブルとは一線を画すのである。

『マージャン』は、4種類からなる136枚のマージャン牌を駆使し、4人のプレイヤーの順番を競う頭脳ゲームである。確かに、実力3割・運7割と言われる通り、運に作用される事が多いが、長く回を重ねて行くと必ず強いものが勝つ!よくギャンブルは、6割以上の勝率が稼げれば、成功であると言われるが、私の『マージャン』に於ける勝率は、優にそのレベルを超えているのである。

そう!『マージャン』は、頭脳即ち確率又は可能性・相手の出方や駆け引き或いはスピードやタイミングを計る最も優れたゲームだと思う。『丁半博打』と違って、どちらかと言えばプレイヤー数は異なるものの将棋や囲碁或いはチェスに近いゲームだと思うが、皆さんはどう思われますか?

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                (大正9年から長い歴史を有する≪パチンコ≫屋さんの看板)

今日から日経新聞『私の履歴書』の登場人物は、≪加山雄三氏≫である。彼に、"氏"を敢えて付けたのは、我々「団塊の世代」にとって存在感が極めて大きく、憧れの先輩だからである。彼に職業は?問うと俳優兼、シンガーソングライター兼、タレント兼、作曲家兼、ギタリスト兼、ピアニスト兼、画家という答えが返って来るらしい。趣味も幅広く、スキーはプロ並みの腕前で、その他にも船の設計や料理作り、鉄道マニアであると同時に、ゲーム好きはつとに有名である。又、テレビ朝日系のクイズ番組『クイズタイムショック』では、全問正解のパーフェクトを達成したこともあるという。

所謂スーパースターであるが、彼は1937(S12年)年4月生まれの72歳で、父親は俳優の上原謙、母親は岩倉具視のひ孫にあたる小桜葉子で、妻である元俳優の松本めぐみの間には2男2女をもうけている。彼は慶応大学卒業後、アサヒビールか三菱商事に入ってサラリーマンをやる積りが、友人の勧めもあって俳優を目指し、1960年代、東宝の看板スターとして『若大将シリーズ』等で活躍し、その後1965年12月に発売した自作の歌『君といつまでも』が350万枚の大ヒットしたのは、皆さんご承知の通りである。

"幸せだな!僕は君といる時が一番幸せなんだ!僕は・・・・"という語りを交えながら、この歌を歌うことが私は今でもたまにあるが、彼の魅力は何と言っても人間的に厭味がなく誰にでも好かれるところだろう。1970年に親父さんの事業の失敗で、23億円の借金を抱えたそうだが、夫婦の協力して10年がかりで返済したことも、彼の人気を支えたと思われる。きっと彼は、これから『私の履歴書』の中で、これ迄知られざるエピソードを披露してくれると思うので楽しみだが、私の関心事は彼のいつまでも変わらぬ"若さの秘訣"である。

とりわけ、我々夫婦間でいつも意見が分かれる、"カツラか否か?"の真実が語られれば、日頃の『胸のつかえ』が下りるのだが? 2009070109130000.JPG

                    (『私の履歴書』第一話"波乱の芸能生活")