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Jun

6月19日(金)    ≪桜桃忌と走れメロス≫

"メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。"これは、太宰治が、昭和15年に雑誌『新潮』で始めて発表した短編小説≪走れメロス≫の書き出しである。暴君ディオニス王のもとに親友のセリヌンティウスを人質として残し、妹の結婚式のために3日間の猶予を貰い、それまでに必死に処刑されるため王の元に戻る感動の物語である。小学校の高学年の頃に教科書で習ったと記憶しているが、息もつかせぬ展開と揺れ動く微妙な人間の心理描写は、今読んでみても驚きで、目頭が熱くなる思いだ。

今日6月19日は彼を偲ぶ≪桜桃忌≫だ。そして今年は、太宰治が生まれて丁度100年目に当たる年である。又この日は、彼が1948年(S23年)愛人と玉川上水で入水自殺して、遺体が発見された日でもあるのだ。≪桜桃忌≫は、太宰と同郷の小説家である今官一が太宰の作品『桜桃』に因んで名付けたらしく、死後1年目の法事には壇一雄や井伏鱒二、佐藤春夫、野原一夫らそうそうたるメンバーが集まり遺族を囲んで桜桃を食べたという。

≪走れメロス≫の話に戻るが、この小説に登場するセリヌンティウスはどうも彼の親友である壇一雄を思い浮べて書いた節がある。何故ならば、熱海のある旅館に小説を書くために長逗留をして支払いが溜まって困った太宰が、壇を旅館に残し東京の井伏鱒二に借金を申し込みに行った事があったそうだ。これは、壇が後で語ったことから判ったもだが、ならば暴君ディオニス王は誰だったのだろうか?

蛇足であるが、太宰の3歳年下である壇一雄は女優壇ふみさんの親父さんで『火宅の人』などでも判るように、かなりの自由人だったらしい。家族と離れて暮らす事が多く、私も何回か行った事が有る福岡県の小さくて美しい島、「能古島(のこのしま)」で暫く過ごした話は有名である。実は私の姪の京子は、中学・高校で壇ふみさんと同級で親友である。1976年(S51年)の1月2日に彼は64歳になる寸前に亡くなったが、その知らせは姪の京子たちとの正月の祝いの膳に、壇ふみさんから京子にもたらされたので、よく覚えている! dazai.jpeg

                       (≪走れメロス≫を書いた太宰治)