Archive: 2008年12月

2008122908110000.JPG私は、夏でも冬でも毎日風呂上りに欠かさず一杯のビールを飲みます。一日の疲れをビールで洗い流すのですが、皆さんはビールがお好きですか?我が国には、全国各地に地ビールは有るものの大手ビールメーカーが、そのシェアの大半を占めていて世界的に見てもメーカーの数は極めて少ないと言えます。例えば、ベルギーでは800以上の銘柄があり、多様な種類によってビール党は色んな味を堪能できるようです。

歴史的にもヨーロッパでは、紀元前1800年頃から作られていたようで、ペリー来航の1853年(嘉永6年)に初めて蘭方医に依って試醸された我が国とは比べようもありません。変わったところでは、≪トラピストビール≫という種類のビールがあり、修道院で醸造され、世界171あるトラピスト会修道院のうち7ヵ所のみで生産されています。うち6ヶ所がベルギーで残りが1ヶ所オランダです。

中でもベルギーのオルヴァル修道院で作られる「オルヴァル」は、世界中で知られる人気ビールだそうで、最近知った私も早速数日前に取り寄せて飲んでみました。色はブラウン、アルコール度数は、6.2%ホップの香りが強く、華のような嫌味のない香りです。味わいは、フルーティで強い苦味を感じますが深みがあり、大袈裟かもしれませんがヨーロッパの貴族になった気分であります。

「オルヴァル」のボトルには、ご覧の通り魚が指輪をくわえた奇妙な絵のシールが貼られています。これは、『マチルダの伝説』というちょっとした言い伝えに由来しているそうで、イタリアのマチルド・トスカーに伯爵夫人が当地を訪れた際、谷の泉に亡き夫との結婚指輪を落としてしまい嘆き悲しんだ彼女が、「指輪がかえってきたならば、この地に修道院を建てます」と聖母マリアやに祈りを捧げました。

すると一匹の鱒(マス)が落とした指輪をくわえて水面へ姿を現したらしいのです。マチルド夫人に指輪は戻り、「ここは黄金の谷(Val d'Or)だわ!」と叫んだことから、この一帯が「オルヴァル(Orval)」と呼ばれるようになり、約束どおりマチルド夫人の資金提供により、1124年にオルヴァル修道院が完成したそうです。そして、修道院の運営に寄与するために1931年よりビールを醸造するようになり、このような背景から「オルヴァル」のボトルには、魚が指輪をくわえた絵が描かれているそうです。

当社も今日が、今年の"LAST DAY"です。年末・年始には、久し振りに二人の息子夫婦たちとの団欒が待っています。食卓には、この「オルバル」と芋焼酎の「魔王」、そして私の大好きな福井の特選純米吟醸「黒龍」とフランス・シャンパーヌ地方の「赤ワイン」が並ぶ筈です。

本年中は一方ならぬご厚誼を賜り、誠に有難うございます。
衷心より御礼申し上げると共に、皆様方に於かれましては健やかな"お正月"を迎えられますようお祈り申し上げます。
このブログも、新年5日の「仕事始め」まで休ませて頂きます。
ご愛読感謝申し上げます。
それでは良いお年を!!!

 

『"何度も歩かないと気付かない魅力があり、何度も歩くことによって味わいが増す。それが銀座である!"誰かが銀座を称して表現した言葉である。』

これは、依頼を受けた東京建設機械リース業協会の会報の新年号<読者のひろば>への寄稿文の書き出しである。≪銀座≫に関しては、去る11月14日の私のブログでも書いたが、今回は関東大震災や戦災で消失した街並みが、何度も再生したことから≪変幻の街並み≫と名付け、加筆修正してみました。

そのあとを、・・・『その「変幻の街並み」を休日の昼下がりに私は一人で歩いてみた。以外に思われるが、銀座の街は一丁目から八丁目までBOW(弓)のように走る首都高速道路に囲まれており、その中に碁盤の目のように規則正しく道路が交差している。北東から南西に小さな道路を挟んで、ほぼ縦に「外堀通り」(「電通通り」又は「西銀座通り」とも言う)、「銀座通り」、「昭和通り」と3本の大きな道路が走っている。それに北西から南東に北から「銀座柳通り」に始まり「銀座マロニエ通り」、「晴海通り」、「みゆき通り」、「交詢社通り」などの7本の道路が交差していて、そこに数千軒の飲み屋さんや高級ブランド店がひしめき合っているのである。』・・・と続けたが、興味がお有りの方は、是非来年1月刊行の会報をお読み頂ければ幸甚です。

今年も、残り僅かとなりましたが、我が社は29日(月)の午前中まで営業致します。

2008122608270000.JPG             (高速道路に囲まれ碁盤の目のように道路が走る≪銀座の街並み≫)

22日から23日(天皇誕生日)にかけて、あるグループの忘年会で茨城県の袋田温泉に行ってきた。ご当地は、幽玄な「袋田の滝」で有名なところである。和洋折衷の旅館には「袋田の滝」に続く渓流沿いに露天風呂があり、1年間のアカと憂さを時間をかけて洗い流してきた。

殆どの人がそうであるように、私は≪露天風呂≫が大好きだ。どこかの温泉のキャッチコピーではないが、木々のざわめきや小鳥のさえずり、川が流れる音を聞きながら自然の息吹の中で入る≪露天風呂≫は至福のときである。北は、北海道から南は九州鹿児島県の指宿まで数多くの温泉の≪露天風呂≫を経験している私にとって、最も印象に残る≪露天風呂≫は次の三つである。

比較的近くでは、水上温泉峡の奥座敷である「宝川温泉」の一軒宿汪泉閣の≪露天風呂≫は圧巻だ。四つある≪露天風呂≫のうち女性専用『摩那の湯』以外の『般若の湯』など三つは、全て混浴で四つ合せた広さは延べ470畳ほどあり、他に類を見ない壮大さである。数十年前、冬場の雪の中で熱燗を飲みながら入った記憶は、鮮明で未だに薄れることはない。

次いで、これもかなり昔の話であるが、取引先の方に連れて行かれた富山県下新川郡にある「小川温泉」の『洞窟風呂』も風情があって印象に残っている。山を分け入り、着いた時は既に真っ暗でロウソクを立ててぬるめの湯にゆっくりとつかった記憶がある。

三つ目は、九州熊本県阿蘇郡南小国町にある黒川温泉「山みず木」の『幽谷の湯』で、これ又素晴らしい≪露天風呂≫である。長男の熊本勤務時代に家族全員で二度ほど訪れたが、人気の温泉郷とあって料理も美味しく、料金もリーズナブルとあって総合点ではトップである。長男家族が転勤で帰って来てからは行く機会も少なくなったが、もう一度行ってみたい温泉の最右翼に上げたい。

ここで選んだ三つの温泉は全て"混浴"であるが、決して"混浴"だけをチョイスした訳ではない。たまたま私にとって印象に残っている≪露天風呂≫が"混浴"であっただけである!

2008122308190001.JPG                    (袋田温泉「思い出浪漫館」の≪露天風呂≫)                            

 

 

(≪いい映画にはいい雰囲気がある≫の巻頭のページ)2008122408310000.JPG

早速、私の22日のブログを見て大学時代の友人からメールが来た。系統だてた中々のものなので、名前を公表しないのことを条件に、無許可であるがそのまま皆さんにご披露しようと思う。

『懐かしい作品ばかりですね。小生の場合、小さいころから洋画ばかりで、邦画はあまり見ておりません。従って、過去の洋画で気に入った作品を挙げてみました。(名作とは限りません)』

感動した映画------「エルマー・ガントリー」(バート・ランカスター、ジーン・シモンズ)
               高1の時だったと思います。訳もなく感動した記憶があります。
               確か、この作品でランカスターがアカデミー賞主演男優賞を
               受賞したと思います。
面白かった映画----「明日に向かって撃て」(ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード)
               ニューマンは一番好きな俳優であり彼の映画は殆どみています。
               この作品は独身時代、女房と新宿ミラノ座で観ました。

               バカラックの"雨にうたれて"をバックにキャサリン・ロスを自転車
               に乗せ戯れる叙情的なシーンが印象的でした。
大迫力の映画------「バルジ大作戦」(ロバート・ショウ他多数)
               ドイツ戦車隊が連合軍を蹴散らすシーンの迫力はすごいものが
               ありました。劇場でみなければ良さが半減する映画だと思います。
何度も観た映画-----「サウンド・オブ・ミュージック」(ジュリー・アンドリュウス、クリストファー・プラマー)
              「グレンミラー物語」(ジェイムズ・スチュアート、ジューン・アリスン)
               両作品ともビデオ、TV再放送を入れると10回以上観ています。
               何れも、好きな曲、唄ばかりで何度観ても飽きません。

『以上の通り、特別に珠玉の名作というわけではありませんが、小生の場合好きな俳優が 出演するか否かが、観るか観ないかの判断基準になっているため、藤本君にはピンと来ないでしょうね。例えば、クラーク・ゲーブル、アラン・ドロン等理由もなく好きになれないため世間で評判の高い"風と共に去りぬ""太陽がいっぱい"等観る機会は何度もあったのですが、どうもそのきになれません。因みに女優には殆ど好き嫌いがありません。最近の俳優にはあまり詳しくはありませんが比較的好みの俳優を次に挙げてみました。』

と続き、韓国人女優(イ・ヨンエ)を含む8人の外国人俳優を上げてくれた。

彼が選んだ作品は、私も全て観ており全く同感なので早速電話し、返信に対するお礼を述べると共に互いの好みを確認し合った。確かに、佳作を120本に限定するのは困難なことである。私もその他に「カサブランカ」、「大いなる西部」、「十戒」、「エデンの東」、「ベンハー」、「王様と私」、「大脱走」、「ある愛の詩」、「卒業」、「ブラックレイン」など上げれば限がないが、メールをくれた友人が邦画を好まない割には、韓国ドラマを見るというのが意外であった。

何れにせよ、不景気を一瞬でも忘れてこういう話題を論じるのは楽しいものである。

 

 

2008122121400000.JPG1948年(昭和23年)生まれの『団塊の世代』作家、上原徹(うえはらとおる)氏が書いた≪いい映画にはいい雰囲気がある≫という本が有るのを知り、近くの本屋で取り寄せてもらった。洋の東西を問わず1930年代から2002年頃までの映画作品120本を選び、解説付で紹介したものである。国別に多い方から言うと、フランス33本、アメリカ16本、イギリスとイタリアが同じ12本次いで日本11本、ポーランド8本、中国7本、旧ソ連を含むロシア6本の順になっている。

 フランスの代表的な作品としては、古くは「天井桟敷の人々」や「黒いオルフェ」、ジャンヌ・モローの「雨のしのび逢い」やカトリーヌ・ドヌーブの「シェルブールの雨傘」、モーリス・ロネの「死刑台のエレベーター」、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが競演した「地下室のメロディー」などが入っている。

アメリカ映画では、キャサリーン・ヘップバーンの「旅情」、ヘレン・ケラーの自伝「奇跡の人」、ダスティン・ホフマンのデビュー作「真夜中のカウボーイ」、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」、クリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」、トム・ハンクスの「フォレスト・ガンプ」などが選ばれている。

イギリスの「第三の男」、「ロリータ」、「時計じかけのオレンジ」、イタリアの「道」、「鉄道員」、「ベニスに死す」などは順当なところだろう。日本映画では新藤兼人監督の「裸の島」、「三文役者」、大島渚の「愛の亡霊」、森田芳光の「家族ゲーム」、周防正行の「SHALL WEダンス」や北野武監督作品「あの夏、いちばん静かな海」などが選ばれているが、私の好きな黒澤明監督の作品は、1本も選ばれてはいない。

この本を読んでみると筆者は、所謂『文芸作品』好みのようだが、それであれば尚更、黒澤明の『生きる』や伊丹十三の「お葬式」などは、選ぶべきだ。それに、アメリカ映画好きの私としては、ジョン・ウエイン、ゲーリークーパー、グレゴリー・ペック、マーロン・ブランド、スティーブ・マックイーン、ロバート・デニーロ、アル・パチーノが出演した作品が1本もノミネートされていないのが、気に食わない。

私は、今まで見た映画の中で良かった作品を5~6本上げろと言われたらすかさず、日本映画では黒澤明監督/三船敏郎主演「七人の侍」(1954年)、外国映画ではルネ・クレマン監督/アラン・ドロン主演「太陽がいっぱい」(1960年)、フランシス・コッポラ監督/マーロン・ブランド主演「ゴッド・ファーザー」(1972年)、ミロス・フォアマン監督/ジャック・ニコルソン主演「カッコーの巣の上で」(1975年)、ブライアン・デ・パルマ監督/アル・パチーノ主演「スカーフェイス」(1983年)、セルジオ・レオーネ監督/ロバート・デニーロ主演「ワンスアポンナタイムインアメリカ」(1984年)を上げたい。

残念ながらこの本には、私が上げた作品は1本も入っていないのである。皆さんは、どんな映画作品を選びますか?出来れば是非メールで教えていただきたいのですが!


皆さんは≪パタカラ≫という健康器具をご存じだろうか?最近新聞、テレビ、ラジオでよく紹介されているのでご存じの方も多いかもしれない。私もラジオの放送で知ってワイフと会社の事務の方と3人で購入してみた。要するに口の周りの筋肉を鍛える器具だ。年を重ねてくると、人間の身体は水分が少なくなり肌や筋肉がおとろえてくるものだ。特に、笑いじわが残ったような鼻の横から口元の八の字状のしわである「ほうれい線」は気になるものである。

この≪パタカラ≫という器具を使って口の開け閉めや周りの筋肉を鍛えるエクササイズをするとしわも消え、しかも顎の脂肪が燃焼し小顔になるという。又、口臭や歯周病予防、アトピーの改善、脳梗塞のリハビリなどに効果があると聞いた。一説には、前頭葉を刺激するため、寝たきり老人がこのエクササイズを数週間実施した結果、立って歩けるようになったという例もあるらしい。

ただし、説明書の写真でお判りの通りエクササイズ中の顔の形相は余り他人に見せられるものではない。ワイフが、3歳の孫娘が遊びに来た時も日課として≪パタカラ エクササイズ≫をやっていたら、『バーバ、そんな怖いことしないで!』と言われたと聞いて笑ってしまった。(^◇^)

私は、このブログ以外何事も三日坊主で1、2度しかやってないが、ワイフは心に期するところがあるのか、今も毎日やっているようだ。『元々お喋りだから、口の周りの筋肉は並の人より使っていて大丈夫じゃないの』と言ったら、暫く口を聞いて貰えなかったな。(--〆)

金額は、確か税別で5,000円程度でお手軽なことから皆様もネットで検索してみて、宜しかったら購入してみては如何だろうか?

パタカラ.JPG パタカラ2.JPG

 

パタカラと説明書

 

 

今週の日曜日で、好評だったNHKの大河ドラマ『篤姫』が終わった。私も殆ど欠かさず見たが、終盤で文字通り重要な役割を演じたのが、北大路欣也扮する≪勝海舟≫である。彼は、江戸城の無血開城のために1868年(明治元年)3月に旧幕府軍の代表として新政府の総大将である西郷隆盛と対峙した。

ドラマの中では、巻物に装丁された『天璋院篤姫の西郷宛ての書簡』なるものが映し出されるが、実際の中身は、「自分の存命中に当家をつぶすとあの世に行っても面目が立たず、その事を思うと不安で日夜寝食も十分とれずに悲嘆しています」と心情を吐露し、ただひたすら徳川家の存続を嘆願した書簡だったらしく、大きな影響を与えたものではなかったらしい。

というのも、西郷隆盛はその4年前の1864年の10月(元治元年9月)に彼と最初の会見を行っており、その際、鹿児島にいた同志の大久保利通に、『ひどくほれ申し候』と≪勝海舟≫を賞賛する手紙を送っていて、既に一目も二目も置いていたようだ。要するに江戸の街を、火の海にしても日本国と徳川慶喜を守ろうとした彼の気迫に負けたのである。

≪勝海舟≫の語録の中に、『日本国のことを思って徳川300年の歴史を振り返らなかった』とある。又、将軍家茂に拝謁した際、幕府の老中から日本とアメリカの違いを聞かれ、『米国の高い地位にあるものは、皆その地位相応に賢うございます』と堂々と答えている。もし、彼が生きていたら今の麻生政権の政治・経済運営を何と評するであろうか?

最近、隅田区の両国公園にある「≪勝海舟≫誕生之地」や隅田区役所内の敷地に建つ≪勝海舟≫像を訪れる人が増えていると聞く。     出でよ現代の≪勝海舟≫か!! Kaishu_Katsu_1.jpeg

               (1860年咸臨丸で渡米した際サンフランシスコで撮影した写真)

何日か前にNHKテレビを見ていたら、CTスキャナーかその類の機械で人間が見た図形をそのままPCの画面で再現する実験を行っていました。脳波を通じて、□や◎などの図形が、かなり鮮明に映し出されていて、ただただ科学の進歩に驚かされるばかりです。更に研究を重ねてゆくと、≪夢≫が画像で再現出来るようになるそうです。

ところで皆さんは、最近どんな≪夢≫をみましたか?そしてそれを再現してみたいと思いますか?滅多に夢を見なくなった私ですが、数日前に見た≪夢≫を、どうしても画像で再現してみたいのです!どんな≪夢≫かって?私の愛車は、屋根が開きます。要するにオープンカーになるのです。ワイフには内緒ですが、爽やかな秋風が吹き抜ける高原を、私はオープンカーの助手席に若い女性を乗せて疾風の如く走り抜けていたのです。

彼女は、趣味の良さそうな赤いスカーフを巻きたおやかに助手席に身を落とし、私は、確かレイバンのサングラスをかけて運転していたようです。ところが、どんなに思いだそうとしても彼女の顔が思い出せないのです。若い頃のワイフの顔かもしれないし、全くの別人かもしれません。出来得れば、記憶が遠のく前に、是非再現してみたいのです。念押ししますが、、内緒ですよ!!!

私が小学校の低学年のとき、初めて書いた"詩"が≪夢≫でした。それも、少しおかしいと思われるかもしれませんが、天然色の≪夢≫を詩に書いたような記憶があります。

景気の後退で夢を語れなくなった昨今、将来に向けて皆で是非綺麗な≪夢≫を見たいものですね。(*^_^*) 2008121711070000.JPG

                           (雨に濡れる私の愛車)

私がサラリーマン時代の上司から勧められてゴルフを始めて既に35年が過ぎた。ゴルフを始めて2,3年後そりが合わない会社の先輩と、一緒にプレーをする機会があった。当時のゴルフボールは今のボールと違って、トップするとすぐ切れたものである。初心者の私は、何ホール目かにボールが切れたので、先輩にボールの交換を申し出たら意地悪そうな顔をして拒否されたのである。それ以来私は、そのことを根に持っていた。

最近、ゴルフ会員権の売買を生業としとしている高校の後輩から次のような手紙を貰った。

拝啓 霜夜の候、益々・・・(中略)・・・。『本日の競技方法、スルーザグリーンはオール6インチ、グリーン上はワングリップOKでゆきます』非常に多いこのてのコンペ。そしてスルーザグリーンのボールは動かし放題、グリーン上のワングリップはいつの間にかワンクラブに』

ちょっと待った!ゴルフは『あるがまま』が大前提。ティグランドから打ち出したボールがカップに収まるまで手で拾い上げないのが基本。大自然が相手のゲーム、ボールが1打ごとに異なるライに止まるのが当たり前。芝の状態が良くても悪くても、木の根元ににあろうが、ディボット跡にあろうが、常に『あるがまま』。

運も不運も受け入れて、現実に対応し、プレーを進めてゆくのが、ゴルフの常道。嫌なライからだといって拾い上げてライを変え易きに走るプレーはゴルフではありません。『オール6インチ、ワングリップOK』は日本独特のとんでもない邪法。これをやらせるコース側のこずるい手、断じて誘惑の手に乗せられてはなりませんぞ!!                                                敬具

私は、そりが合わない先輩に拒否されて以来、カジュアルウオーター以外に、どんな場合でも手で摘み上げることを止めてしまった。          嫌いだった先輩に、感謝!感謝!

ゴルフクラブ.JPG                     (しばらく出番がない私のゴルフクラブ) 

先週の金曜日に私を含め大学時代の仲間5人が、埼玉県の大宮に集まり久し振りに旧交を温めた。その内、T君とY君は付属高校からの付き合いで、概ね44年の長きに亘る知己である。S君とK君は大学からの付き合いであるが、S君は出身が同じ九州福岡であることと、高校が私の二人の兄貴の後輩ということもあって、入学以来意気投合し麻雀やビリヤードに興じたものである。

学部は私とS君が法学部、T君が経済学部、K君とY君が理工学学部と異なっていたので行き合う機会もそう多くはなかったが、Y君と私が1年生の時はグリークラブ(男性合唱団)で、T君とは2年生から3年生にかけて5人で結成したフォークソンググループで一緒だったため、嫌がる仲間に演奏会のチケットを売っては終演後に皆でよく飲んだものである。

彼らと働き盛りの時分には、結婚式などを除き転勤や多忙さにかまけて会う機会など殆ど無かったが、この年になるとリタイヤー組も出てきて時間に余裕が出来てきたこともあり、会う機会も増えてきた。T君とは高校時代に私が彼から分捕って食べた美味しかった弁当の話で、Y君とはグリークラブ時代に某女子大との今で言う合コンやグループ交際の話で、S君とは彼の下宿に入り浸って彼の親御さんからの仕送りに私がタカった話で、そしてK君とは大学1年生の7月に彼の実家である青森県の三沢に遊びに行った際、十和田湖でキャンプをし、寒さに震えながら身体を寄せ合って少ない食べ物を分け合った話で時間の経つのを忘れて盛り上がった。

しかし40年間という歳月は、昨日のように容易に再現できる出来るものの、K君が離婚して再婚した話やY君が心臓病の持病持ちであること、元気だったT君が糖尿病でインシュリンを毎食前に注射している話などを聞くと遠い昔のことと意識せざるを得ない。未だ現役のS君とK君もそろそろ一線を退く時期を模索していると聞くが、幸か不幸か私はもう少し自分の会社を引っ張って行かなければならない宿命にある。

宇都宮から来たT君の新幹線の時間が有ったので、盛り上がった話もそこそこに10時過ぎに皆と別れたが、私がそれぞれに質問しようと思っていた事を聞きそびれてしまった。それは"生まれ変わったら、今の職業とそして同じ奥さんを選ぶかい?"ということであった。(--〆) 扶養家族.JPG

               <例年に比べて動きが鈍い我が社の金食い虫(機械)たち>

≪豊島園のメリーゴーランド≫が、現存する世界最古のメリーゴーランドであることをご存じな方は少ないだろう。昨日の日経新聞夕刊に、アメリカの自動車メーカー「BIG3の救済法案可決」という見出しの横に『今も現役活躍中』としてこの遊戯施設が紹介されていたので調べてみたのだ。

この遊具を1907年ドイツの鉄橋製造の請負人ヒューゴ・ハッセが造ったもので、「カルーセル(回転木馬)・エルドラド」といいドイツ国内をカーニバルで巡回していたが、1911年に第一世界大戦を予感しカーニバルの開催が難しくなると考えたハッセが、アメリカの遊園地・コニ―アイランドに譲り渡したのである。当時、順番待ちの長い列ができセオドア・ルーズベルト大統領はじめ多くの人々が楽しんだという。

半世紀以上もアメリカで愛され続けたが1964年に経営が行き詰まり、買い手が現れないまま倉庫にホコリをかぶっていたが、解体処分寸前の1969年に目玉遊戯施設として豊島園が1億円で買い取ったそうだ。当時のニューヨークの新聞には、「エルドラドが日本に行ってしまう!」という見見出しが話題になったようだが、昨年豊島園も≪メリーゴーランド≫の100周年記念行事に際し、塗り直されニューアルされたそうだ

長い歴史を経て安住の地を得た≪回転木馬≫をブログに書いたのは、或る理由がある。実は約1か月ちょっと前に私は、アールヌーボー調のこの木彫りの」「カルーセル・エルドラド」に孫と一緒に乗ったのである。塗装は綺麗なものの、やけにギシギシと古めかしい音をたてて回転するものだから、そろそろこの≪メリーゴーランド≫もお蔵入りだな!と思いつつ怖がる3歳の孫娘を抱きしめていた記憶がある。

孫娘が、2回目の豊島園を楽しみにしているため既にチケットをネットで買い求めているが、この夢を乗せて回り続ける貴重な文化財とさえいえる≪黄金のメリーゴーランド≫の歴史を知ったからには、次回行った時には、ワイフも誘い真っ先に乗ろうと考えている私である。

eldora.jpeg PDRM01712to.jpeg 

アメリカの『サブプライム・ローン』に端を発した金融危機と景気後退が火山灰のように地球を覆っている。日本経済の牽引役であったトヨタやソニー、キャノン辺りも雇用調整を含めリストラ策を打ち出しているが、ソニーに至っては全世界で1万6千人を解雇すると発表して2003年4月の「ソニーショック」の再来か?と噂されているようだ。

折しも、去る12月5日に我が『建設機械賃貸業』も特定業種即ち不況業種に認定されて、経済産業省の中小企業庁が行うセーフティネット保証である≪緊急保証制度≫の対象となったのである。これは、一定の条件を満たせば一般保証8千万円に加えて新たに無担保で8千万円の追加融資が可能となるもので、既に698業種の企業が認定されており中小企業の80%以上がカバー出来る制度だそうだ。

当社も現在、この制度を利用するか否か?検討中であるが、いわば本制度は後ろ向きの金融支援対策であって、今問題になっている「内定取り消し」や「不正規労働者の継続契約の打ち切り」等の雇用問題への波及効果は薄い。速やかに現政権は、新たな補正予算を組んで失業者対策や雇用に伴う助成金の新設等の景気対策を講じるべきであろう!

いっそ、一時期は時代に逆行するかもしれないが、アメリカが計画しているように大幅に『公共投資』の予算を組んで実施 してみたらどうだろか?2008121107320000.JPG

                      (≪緊急保証制度≫の説明パンフレット)

『SORRY, I CAN NOT SPEAK ENGLISH』とノーベル賞の公式行事である記念講演で、こうきりだして異例の日本語で講演を行った物理学賞の益川俊英(京都産業大学教授)さんをニュースで見ていて自分だったらどうするだろうか?と考えさせられた。何故なら私も中学生時代から英語を学んできたにも拘わらず英語が殆ど喋れないからだ。

グローバル化して世界が狭くなってきた昨今、英語は極めて我々にとっても重要な言語になりつつある。新聞やテレビのニュースを見ていても横文字の経済用語や機関が頻繁に出てくるため、急いで辞書をひっぱり出してきて調べることもしばしばである。又、海外に出掛けた時も、自分の英語力の無さに正直幻滅を感じることさえある。

私が初めて海外旅行をしたのは、今から約35年前の台湾旅行であった。当時は、荷物の中に梅干しや即席ラーメンなどの海外にない日本の食べ物を入れて行くのが当たり前だった。台湾のホテルでは殆ど日本語が通じたので痛痒はなかったが、その数年後に行ったヨーロッパで失敗を犯してしまった。持参したカップ麺を食べようと『お湯』を頼んだところ、ボーイが生ぬるい『お湯』を持ってきたのである。そう、本来「BOILD或いはBOILING WATER」と頼むべきところ「HOT WATER」と言ってしまったのである。

他にも海外での英語での失敗には、枚挙のいとまもないが、最近或る会合で外国の有名な建設機械メーカーの日本に於けるTOP MANAGERに声を掛けられた。着任早々の責任者なので当然通訳がついていたのであるが、通訳経由では業界独特の微妙な部分まで伝えきれないもどかしさを感じた。実はその半年近く前の私の誕生日に息子からCDつきの『英会話教本』を贈られていたので少しは英語が解るのでは、と自負していたが理解できたのは、全体の略2,3割程度であった。

我々の年代になると、リタイアー後に何をしたいかと話題になる事があるが、私はすかさず日頃やりたいと思っている絵画や陶芸の前に≪英会話≫を上げる事にしている。 辞典.JPG

                     (私の机の中にある英語関係の辞書)

今シーズンの男子プロゴルフツアーの最終戦で、今年のツアー優勝者と賞金ランキング25位までのゴルフ選手26名が参加して行われた日本シリーズJTカップの競技終了後、二人の男子プロが、全く違った理由により、選手仲間から≪胴上げ≫をされたという。

一人は、言わずと知れた17歳にして最年少でツアー優勝を成し遂げ、尚且つ賞金も1億円を突破して記録ずくめの賞金ランキング5位に輝いた「ハニカミ王子」こと石川 遼選手である。もう一人は、来年から2年間母国韓国の徴兵制度に従い兵役に就くドンファン選手だが、彼の≪胴上げ≫は、3年間一緒に戦ったツアー仲間が自然発生的に行ったサプライズだという。

私は、このニュースを知って何故なの?と些かビックリしてしまった。皆さんは、どちらか一つの≪胴上げ≫を支持するとしたらどちらを支持するだろうか?大半の方々は後者ではないだろうか。確かに石川選手は、日頃の努力に裏打ちされて着々と実力を備えつつある、人気低迷中の男子プロゴルフ界にとって待望の『救世主』と言える逸材である。又、受け答えもご両親の教育を窺えるしっかりしたもので、今や「王子」どころか「キング」の雰囲気を漂わせる数十年に一人出るか出ないかの、誰もが好ましいと感じるタイプの選手である。

しかし言ってみれば、彼は本格的なツアー参戦は1年目の未だ17歳の「駆出し」で、来年以降に本当の実力が試される一介の選手に過ぎない。彼の人気に迎合するかのように、彼の≪胴上げ≫に参加した選手達は、『こんな若造に負けてたまるか!来年は絶対に彼には負けないぞ!』というような意地とメラメラと燃え上がる闘志は持ち合わせてはいないのであろうか?

67年前の1941年(昭和16年)の昨日、12月8日の未明「ニイタカヤマノボレ」の暗号と共に日本軍が、ハワイの真珠湾を攻撃して、大東亜戦争の火ぶたが切られた。この戦争は、4年の歳月と多くの悲惨な犠牲を費やして、我が国の無条件降伏という結果で終わってしまった。この戦争が残したものは、沢山の若者たちの死と大きな教訓、そして『平和憲法』で、よって我が国は数少ない≪徴兵制度≫の無い貴重な国となったのである。

数年前の正月に、家族でその年の抱負を述べる『しきたり』を終えた後、ワイフを含め二十代前中半の血気盛んな二人の息子たちに≪徴兵制度≫のあり方の是非について問うたことがあった。当然の事ながら、ワイフの答えは「手塩にかけて育てた息子たちを絶対戦争を前提とした兵役に行かせたくない」という答えであった。しかし、意外なだったのが息子たちの意見で、自分たちは進んで行きたくはないが、軟弱な現代の若者を見るにつけ或いは将来のわが国の防衛を考えた場合は、必要な制度かもしれないという答えが返ってきた。

戦後生まれの「団塊の世代」である私にとって、体育会系の息子たちということを差し引いても、大いに考えさせられる答えであった。 669_1_0.jpeg                   (新人王を獲得し、来年の抱負を語る石川 遼選手)

忘年会シーズンの到来である。私も既に1回こなしたが、後5~6回は、有るだろう。ここで気になるのが酒の飲み方である。よく「泣き上戸」、「笑い上戸」或いは「説教魔」などと言われるように酒を飲んだ時に人間は突然変身したり、本性が出るケースがよくあるようだ。

タイミングよく先週の土曜日の日経新聞の夕刊に、『私もひと言』という読者の投稿の欄に≪宴席のマナー≫というのが載ったので、ここで要約して紹介してみたいと思う。
1. 酔うと辺り構わず寝てしまうので、酔わないように宴席中に水を飲むようにしている。(翻訳業・20代・女性)
2. 飲めない人にはお酒を強要しない。飲めない人もやんわり断ることが必要。(会社員・30代・女性)
3. お酒が入ると自己主張が強くなり、お互い白熱して言葉の暴力沙汰にもなりかねないので、宴席での熱い議論には加わらないにしている。(年金生活者・60代・男性)
4. 特定の人同士で盛り上がらないように満遍なく話し掛けるように心掛けているし、声が大きくならないように気をつけている(会社員・30代・女性)
5. ついつい本音を言い過ぎてしまうので、常にしらふで会う自分と相手を意識するようにしている。飲んだときも無礼講は有り得ない。(団体職員・50代・女性)
6. 以前、飲みすぎて前後不覚、意識もうろうとなって階段を踏み外し骨折した事があるので、「酒は飲んでも、飲まれない」ようにしている。(会社員・50代・男性)

いずれも誰もが成程と納得?しがちな意見だが、実は私も思い当たる節がある。それは、今から約35年近く前になるであろう商社時代の忘年会の2次会の出来事であった。六本木の行きつけのスナックに入った途端、先に入った私の2年先輩が1年後輩の大人しい社員を、何かの理由でなじっていたのである。もともと正義感が強い?私は、「〇〇先輩、いい加減にしなさいよ!」と咎めた事が発端となり、「生意気だ、表に出ろ!」言われ、挙句の果てにつかみ合いの喧嘩になってしまった。

その結果、私はなけなしのボーナスで買ったばかりの当時14万円もしたバーバリーのコートの襟を破かれ(勿体ないので「かけはぎ屋さん」で直してその後何シーズンかは、着続けたが・・・)、相手の先輩はケガをして1日会社を、休んでしまったのである。私のことは、よく面倒を見てくれていた先輩で気心も知れていたので、私も酒の勢いを借りて偉そうな事を言ってしまったのであるが、そのわだかまりは互いに35年経った今でも消え失せていないようだ。

残りの忘年会の≪宴席≫は、途中で水を飲み、大きな声を出さず、余計な自己主張をせず満遍なく声を掛け、「酒に飲まれない」ようにしなければ!!!

無題.JPG

昭和43年12月10日午前9時30分、東芝府中工場のボーナス資金である3億円(実際は約2億9434万円)が府中刑務所裏の府中市栄町の通称「学園通り」で、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車ごと強奪された。

早いものであれから40年が経過したが、何故かこの事件は我々にとって記憶に新しい。いわゆる、一種の『痛快犯』ってやつで、誰にも危害を加えず使用したカローラを含め120点にも及ぶ物的証拠を残しておきながら見事に逃げきってしまったこともその理由の一つかもしれない。

今でこそ前後賞併せて3億円の宝くじが有るものの、当時の3億円は現在の30億円に匹敵すると言われている。事件直後に何人かの重要参考人が取り調べられたが、結局アリバイが有ったり、自殺したりで迷宮入りとなってしまったのである。そろそろ真犯人が名乗り出てきてもいい頃だと思うが、現在彼はどこで何をしているのだろうか?

ボーナスと言えば、この時期は中小企業の経営者にとってその資金の調達で頭を痛めるのであるが、特に不景気風が吹き荒れている今年は、当社も10日の支給日に向けてその頭の痛さは殊更である!3oku.jpg

                                 (当時女性説も出て話題になった犯人のモンタージュ写真)

 

≪へぼ将棋、王より飛車をかわいがり≫ 昨日の夕方、久し振りに機電サービスの石井社長を訪問したところ、応接室に招かれ「すこし揉んでやろうか!」と将棋に誘われた。お互いにかなりの≪へぼ将棋≫で、王より飛車や角をかわいがる口である。

彼は、攻め一辺倒の棒銀作戦、私は振り飛車の美濃囲いで応戦することが殆どである。彼は、角筋上の私の王様の歩の頭に桂馬を打ち、詰めるのを得意手としているが、判っていながら珠に引っ掛かって一敗地にまみれることがあるものの、概ね勝率は私が6割程度か。(彼はそれを認めないだろうが?)

ここだけの話にして頂きたいが、いつも僅かなお金を賭けてやることが多いものの、実際はお金のやり取りは皆無である。何故ならば、負けた彼(私も?)が次の一番に負けた額の全てを賭けてくるので、やってる内にいつかは平たくなる。以前ハワイの帰りの機中で、マグネット付きの将棋盤を借りて2回の機中食もそこそこに約6時間以上指し続け、一時は私が数十万円勝っていたが、飛行機が成田に着陸した時には、チャラになっていた。

結局昨日の対戦結果は、私の3勝1敗で終わったのであるが、勤務時間を費やしての多少不謹慎であったかもしれない二人のバトルは、不景気の折柄、ストレス解消とお互いのボケ防止に役立ったものと思うので何とかご勘弁願いたい!(*^_^*)

2008120316520000.JPG

                  (手前が私で、圧倒的に有利な「高美濃囲い」の一戦)

自動車(660cc超)の11月の新車販売台数が前年同月比27.3%減少したそうだ。自動車離れが言われているが、燃費の良さが受けていた軽自動車(660cc以下)を含め新車購入契約を先延ばしする顧客が目立って増えてきているそうだ。大手百貨店の売り上げも軒並み減少、又家電も年末商戦を控え前年を下回って苦戦を強いられているようである。

帝国データの調べによると10月度の倒産件数も前年同月比13.7%、前月比9.7%jの増加と高水準で推移している模様であるし、企業の資金調達の目安となるTIBOR(東京銀行間取引金利)も上昇傾向である。要するに完全な経済不況に突入した訳である。

昨日、東京建設機械リース業協会の≪第4回流通委員会≫を開催し、メーカ―系レンタル会社2社、大手広域レンタル業者3社、地場レンタル会社6社にお集まり願い現在の市況や設備投資状況にについて聴取したところ、総じて売り上げの減少やそれに伴う設備投資の抑制、或いは不採算部門の思い切った見直し実施等の施策をお話頂き大変参考になった。

我が建機レンタル業界も昭和40年代初めの黎明期から成長期を経て、成熟期を迎え今はその頂点か或いは、衰退期に入ったような気がする。協会自体、異業種の多くのそれと同じように所謂「呉越同舟」の世界であるが、組織している以上会員のための何らかの情報をとノウハウを発信し続けなければならない。特に、業界が最大の危機に直面している今こそ≪流通委員会≫の存在を問われる時であり、役目の重要さに身の引き締まる思いの今日この頃である。 200811191456000.JPG

                    (あるレストランで見つけた可憐な冬の薔薇)

先週、上海に行って一番感じたのは食べ物の不味さだった。確かに一部の本場中華料理は、美味しく感じた物もあったが、特に≪お米≫に関しては日本のコメに勝るものは、私が日本人であることを差し引いても、世界中探してもないだろう。最近肥り気味なので、好きな麺類や≪お米≫等の炭水化物は少し控えるようにしているが、お酒を飲みすぎた明くる日の朝飯はやはりご飯に限る。

最近は、ブログでもご紹介したが頂き物の新潟魚沼産の新米「コシヒカリ」を食べている。玄米で頂いたので、近くの農協の自動精米機で精米するのだが、精米後の透明で光り輝く≪お米≫を眺めていると、何とも形容しがたいほどの至福の時となるのである。今までは、「標準」で精米していたが、次回は是非「5分」程度で精米して食べてみようとも考えている。

今日も会合の後、忘年会となる手筈だが明日の朝飯はいつものパンではなく、≪銀シャリ≫に焼き鮭、自家製の白菜のおしんこ、そして豆腐とワカメの味噌汁を既にワイフにリクエスト済みである。 2008103018460000.JPG

                          (近くの農協の自動精米機)

昨日(30日)の日曜日久し振りの休みということで、リラックスしながら女子プロゴルフのテレビ中継を見ていた。宮崎CCで行われていた最終戦LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップは、「横峯さくら」か「古閑美保」が優勝し、現在1位に立っている李知姫(リ・チヒ)が9位以下であれば今期の賞金女王が入れ替わるという彼らにとっては大事な、そして我々プロゴルフファンにとっても注目の一戦であった。

16番ホールを終えて首位と4打差の時点で優勝を諦めていた古閑は、17番、18番でバーディで6アンダーで終了すると、2組後ろで回る優勝が略確実視されていた首位の全美貞(ジョン・ミジョン)が上がり2ホールで3オーバーとし、又6アンダーの不動裕理が18番のグリーン上で1mを、入れれば優勝という場面で何と3パットをしてしまい、古閑に優勝と賞金女王が転がり込んできたのである。

李は僅か1打及ばず、賞金女王を逃したが、この土壇場のどんでん返しは正に≪奇跡!≫と言えよう。実は私は、不動が18番のセカンドショットで見事に1mにつけ、全がミスして漸く4オンしたところで、土曜日から泊まりに来ていた孫娘を送るために止む無くスイッチを切り出掛けてしまったのである。当然、結果は全が脱落し不動が1mを入れて優勝するか、若しくは古閑と不動のサドンレスだとばかり思い込んでいた。

確かに、以前不動が4年間住み込んで教えを請うた清元澄子が不動を評して、パットが下手だったので「セカンドショットを30cmに寄せる技術を身につけろ!」と教えたと、ある新聞に書いていたことを想い出した。今回の事にはどうもいくつかの教訓が、見え隠れしているように思える。一つは、何事も一生懸命に頑張れば結果はついてくる来るということ。一つは、何事も動揺せず「虚心坦懐」に臨めば人を制することが出来るということである。

 それにしても最近、私がコンペに参加しても上位に行けないのは何故だろうか? w09-0863-081119.jpeg                       ('08賞金女王に輝いた古閑美保)