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10月31日(金)   ≪小粒になったドラフト会議≫

正確に言うと『小粒な選手が多かったプロ野球の新人選手選択会議』が、昨日行われた。大リーグの挑戦で指名されなかった新日本石油ENEOSの田沢投手や巨人を切望していた長野(ちょうの/ホンダ)がロッテに指名された以外は、略有力選手全員が納まるところに納まったという感じである。

1965年に初めて開催されたこのドラフト会議は、40年以上かけてさまざまな変遷を重ねてきたが、サッカー人気や少子高齢化の煽りを受けて年々スケールが小さくなってきた感がある。最も豊作だった年は、私と同期の1968年の年で田淵幸一(阪神1位)、山本浩司(広島1位)、有藤通世(東京現ロッテ1位)、星野仙一(中日1位)、山田久志(阪急現オリックス1位)、東尾修(西鉄現西武1位)、大橋穣(東映現日ハム1位)、加藤秀司(阪急2位)、大島康徳(中日3位)、金田留広(東映4位)、福本豊(阪急7位)、島谷金二(中日9位)、門田博光(阪急12位・入団せず)など、キラ星の如き後のスター選手が数多く指名された。

これも『団塊世代』の影響であろうが、その後も1989年には野茂英雄(近鉄現楽天)、佐々木主浩(大洋現横浜)、新庄剛志(阪神)、小宮山悟(ロッテ)、西村龍次(ヤクルト)、与田剛(中日)、潮崎哲也(西武)、佐々岡真司(広島)、古田敦也(ヤクルト)、石井浩郎(近鉄)、種田仁(中日)、前田智徳(広島)、井上一樹(中日)と、メジャーリーガー経験者4名を排出した豊作の年もあった。

記憶に残る事件?としては、1969年の現在の『逆指名宣言』を行った荒川堯の「荒川事件」や1978年の江川卓の「空白の1日」、1985年のPL学園のKKコンビと呼ばれた桑田・清原の予想を覆す指名問題或いは、2005年の高校選手の抽選結果が誤って発表された事件など多くのドラマを生んできたのである。

今年は原巨人監督が、意中の後輩である大田泰示(東海大相模高)の交渉権を獲得したが、人材豊富な巨人軍では、以前の西武清原のように最初の年から1軍での活躍は叶わないでだろう。いずれにせよ、メジャーリーグへの距離が大幅に縮まった現在、田沢純一投手がアメリカで成功した暁にはペイの問題も有ることから、直接メジャーリーグを目指す選手も増えてくる事が予想される。

有力選手が次々と抜けていって日本プロ野球界は徐々に魅力が薄れていく中、ドラフト会議の在り方は勿論のことペナントレース自体の今後の有り方を真剣に考える時期に来たようである。 20081031-00000020-dal-base-thum-000.jpeg

(東海大相模高校の大田泰示選手を引当てガッツポーズをする巨人軍原監督)