Archive: 2008年7月
≪努力は才能を凌駕(りょうが)する≫
昨日、MJリーグのイチローが3000本安打を放った。
彼は、オリックスの9年間で1278安打、マリナーズの8年間で1722安打を積み重ねたものだが、これは日本のプロ野球史上3085安打の記録を持つ張本勲(元東映・巨人)についいでの大記録である。
彼の凄いところは、日本時代の1試合平均1.34本だったヒット数が米移籍後1.41本に増えたことで、今後1試合平均1.5本の安打を打てば張本勲の記録を抜く計算になる。
又、1901年にウイリー・キラーがマークした8年連続200本安打達成も今シーズン確実視されている。
イチローは1992年に愛知・愛工大名電高からドラフト4位でオリックスに入団したが、今は亡き仰木監督がその才能にほれ込み『イチロー』と命名した話は有名である。
彼の才能が他より抜きん出ているのは、疑う余地もないことだが、小学校から中学卒業までほぼ毎日父親とともにバッティングセンターに通い続けたそうで、そのひたむきな努力の継続が結実したと言えるだろう。
彼は痩身で、『鞭がしなる』が如くのバッティングをするが、ヤンキ―スの松井やオリックスの清原が巨漢のせいか膝を度々痛めているのに比べて、過去を含め故障が全くないのも今後更に記録達成が期待できる所以である。
過去4000本以上の安打を打った選手はピート・ローズ(4256本)とタイ・カップ(4191本)の二人だが、彼の努力をもってすれば最高安打数に到達することも決して夢ではない。
正に≪努力は才能を凌駕(上回る)する≫だ!
「あなただったら誰に金メダルをあげますか?」
時節柄、あるラジオ局が「あなただったら誰に金メダルをあげますか?」というアンケートを行った。
10代から30代までの人たちの回答のナンバー1は、『両親』だそうだ。
そのうち『母親』が80%強、『父親』が約18%だそうだが、何と『父親』の分が悪い事か!
昔は夫が妻に給料袋を渡していた。今では銀行振込が殆どだから、きっと夫が妻から少ない小遣いを有り難そうに貰っている姿を、子供たちはしっかり見て育ったせいだろう。
更に、悲惨なのはこれからである!
男性たちは、40代以降のナンバー1の回答が、『両親』から『妻』に変わっていくのに対して、女性は、『両親』から『自分』に、そして『子供』に変わっていき、『夫』という答えが殆ど出てこないそうだ。
真面目に働き、長年連れ添ってきたこちらとしたら[そりゃないよ!]と叫びたくなる。
この設問を「あなたは誰を尊敬していますか?」というふうに変えたら、少しは『父親』のパーセンテージが増えるだろうと考え、自分を慰めている私は愚かだろうか?
≪孫とのふれあい≫
私には、二人の孫がいる。
上の息子には今年の11月で3歳になる女の子が、下の息子には来月1歳を迎える男の子がおり、私は、れっきとしたおじいちゃんである。
よく世間では孫の可愛さを表すことばに「眼の中に入れても痛くない」というふうに形容するが、正にその通りで、女の子は女の子なりに男の子は男の子なりに本当に愛らしいものである。
先週の土曜日、孫娘が一人で泊まりにきた。
2度目の小さな訪問者は、物事が解り始めてきたので我々夫婦としては「帰る」と言い出すのではないかと不安だったが、それは全くの取り越し苦労であった。
それもその筈、積木やゲームはあるし、歌の本に至っては数種類、そして夕飯は肉・魚・野菜と好きなものが満載で、居心地の悪かろう筈がない。
あくる日の日曜日も、近くの『ららぽーと』で洋服のお買い物の後、自然食レストランで昼食、家に帰ってからは、<プーさんのプール>で一緒に水遊びと昼寝をさせる暇もない有様で、こちらも疲れたが何故か心地よく爽やかな疲労感である。
孫は「責任がないから可愛いい」とか、はたまた疲れるから「来てよし、帰ってよし」とか言うが、私は子供が大好きだし≪孫≫だから尚更一緒に過ごすのが楽しいのである。
きっと、抵抗なくはるか昔の自分、即ち無垢な童心に戻れるということもあるかもしれない。
この仕事をしていなければ、小学校の先生になりたかったな!と今更ながらに思っているくらいである。
次の楽しみは、二人の≪孫≫たちが、どちらも親付で我が家に帰ってくるお盆休みの日だが、もう今から指折り数えて待っている自分が何とも滑稽である。
真夏の建機展
毎年この時期に開催される≪建設機械展示会≫は、すでに25回を数えるそうだが、相変わらずの"熱気"に驚かされる。
用意周到に準備されている様子や一糸乱れぬスタッフの方々の動きを見ると、"さすが"と云わざるを得ない。
又、参加されているメーカー・商社の方々の動き回る姿を見るにつけ「大変だろうな」と思う反面、協賛会社の多さから鈴機商事さんの商売の幅広さと顧客としての存在の大きさを感じるのである。
私も10数年前までは、展示会に参加する協賛会社の側に居た。
レンタル会社が主催する≪建機展≫は季節に関係なく春夏秋冬開催されるが、暑さや寒さに閉口したり、土日が殆どであるためプライベートな行事に重なったりで、誰もがそうだろうが個人的には決して好きではなかった。
ましてや二日間張り付いて商談が成約しないときた日には、心身ともに疲労困憊で翌日の月曜日は、文字通り最悪の『ブルーマンデイ』である。
しかし、私の知るところでは鈴機商事さんは決してそんな事は無い。
事前にお客さんたちに根回しをしているため、協賛各社それぞれある程度平等に商談が成立することが常である。
そのために鈴木会長が陣頭指揮をとり、社員一同が心を1つにして奔走している様子が垣間見え、この事こそ長年続いてきた最大の秘訣であると考えるべきであろう。
今年もその日の夕方に鈴木会長から改めてご丁寧なお礼の電話を頂き、併せて「藤本さん、お陰様で今日1日で去年の成約数字を上回ったよ」と明るい声でご報告を頂いた。
尊敬する先輩の言葉にホッとすると同時に、いつの日か同社のような素晴らしい会社にしよう!」と心を新たにする自分がそこに居た。
≪友人の条件≫
多くは居ないが、私には無くてはならない友人たちがいる。
孔子は、ためになる友人の条件として、正直・誠実・博学の3つを挙げた。
しかし、言いたいことの意味は何となくわかるが、この3つを同時に兼ね備えている人を探すこと自体大変困難である。
孔子に習った兼好法師は、望ましい友人として、物をくれる人・医者・知恵のある人の3つを挙げている。
さらに難しくなってきた。歯医者の友人はいるが、私に物はくれないし、決して知恵が有りそうにも見えない。
そう考えると2人が言った意味は、パラレルに3つのうち、どれかを持っている人が全て良い友人であると言うふうに解釈すべきで、私の友人たちの殆どがこの6つの条件のどれかに当てはまる。そして幸いにして最大4つ(正直・誠実・物をくれる・知恵)の条件を兼ね備えている貴重な友人が居る。
近々その友人に会う予定であるが、ここでは差し障りが有るので名前は出せない!
このブログを見ていてくれれば、彼だけがこの意味を知り得ることである。何故ならば当分彼以外の友人に会う予定が無いからである。
ユンボ(油圧ショベル / パワーショベル)の歴史
我が国に於いて、建設機械の代名詞とされる油圧ショベルはいつ頃から造られ始めたのだろうか?
その答えは・・・1961年(昭和36年)にフランスのシカム社(現在は潰れている)から技術供与を受けた三菱重工業が三菱ユンボY-35型という名称で製造し、1号機目を鹿島建設に納めたというのが正しい答えである。
その当時までの建設機械、例えばブルドーザーやショベルは全て機械式、即ちワイヤーで駆動させるものであった。
我が国の建設機械の歴史は、戦後の米軍の払い下げの機械から始まったと言われているが、ショベルが機械式から油圧式に代わった当時は、その作業性の良さから販売代理店に現金を持った土建屋さんたちが並んだという「嘘みたいな本当の話」を知る人たちもだんだん少なくなってきている。
『ユンボ』という名前は、アームが象の鼻のように長いことからその時代に流行ったディズニーの『ダンボ』のフランス語で、今でも一部にその名前で呼ばれ続けていることを思えば、建設機械の大ヒット商品といっても過言ではないと思う。
意外と知られてないのは、『ユンボ』の現在の"登録商標"をどこが持っているか?ということで、三菱重工業もシカム社が潰れる前に、提携を解消しMS(三菱ショベル或いはマイティショベルをかけたもの)という名前に変更したことから、当然持ってはいない。
では、どこも持ってはいないのか!・・・・実は今はレンタルのニッケンさんが保有している。同社のホームページを見てもらえば、おわかり頂けると思うが、創業者で今は亡き「亀(本名:岸)太郎氏」が、どこも持ってないのを知り、三菱ユンボに縁の深かった関係上、同社が取得したものである。
従って、ニッケンさん以外のどこの業者も今は『ユンボ』という呼称は使用できないのである。
建設ラッシュのピーク時、私の記憶ではミニショベルを含め約6万台の油圧ショベルが、10年近く売れ続け、今日、我が国の保有台数は約68万台。やがて日本列島はその重さで沈むのではないかと言われた。
そして、世界のトップ3のメーカー(CAT・コマツ・日立)が製造する日本製油圧ショベルで「東南アジアを始めBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)が沈没する」時代が来るかもしれないと思うのは私だけだろうか?
≪阿蘇山にて≫
九州最後の日、時間が取れたので友人たちと阿蘇山に登ることにした。
阿蘇山は、正式には『阿蘇五岳』と言い世界有数のカルデラで外輪山を持ちその周辺には多くの温泉が湧き出ている。現在噴火している中岳の火口付近には、車でもロープウエイでも登れるが今回は友人の運転する車で登る事にした。
登山道路は整備され、牛や馬が放牧された周りの山々は緑一色だがところどころに溶岩の岩肌が露出していて雄雄しく、よく私は人に説明する際、箱根を女性に例え阿蘇を男性に例えたものである。
初めてここに来たのは、確か中学2年の修学旅行だったと記憶しているが、それ以来息子夫婦の約4年間の熊本転勤もあって合計10数回は来ているだろう。
この景色は有史以来何万年も変わってないだろうし、これからも未来永劫地球が存在する限り噴火があったとしても大きくは姿を変えないであろう。
何故か私はここに来ると自然の雄大さと己の小ささを思い知らされ、改めて「初心に戻って頑張ろう!」という気分になる。
従って私にとって飛行機代と宿泊代は、安いものである。
≪わが心の故郷・・福岡/そして中洲の思い出≫
ほぼ1年ぶりに昨日から福岡市に来ている。
そもそも私は、今からウン十年前?に福岡県飯塚市で生まれたれっきとした九州男児である。親父が当時の三菱鉱業・いまのマテリアルに勤めていた関係で、県内のいくつかの炭鉱町を転々とし、最後は福岡市で少年期を過ごした。
昭和28年前後の炭鉱町は朝鮮戦争に支えられ、大変な賑わいぶりだったが、その辺りの話は朝まで語る事になりそうなので、改めて別の機会に書くことにする。
福岡市は、北は玄界灘に望み、海ノ中道と糸島半島よって仕切られた博多湾を擁し、南は背振(せふり)山系、東は三郡山地に囲まれた比較的温暖な半月型の平野である。
博多湾に注ぐ川の一つに那珂川という川があり、その東を通称博多(今は博多区のみに地名を残す)、その西を福岡といっていたが、その昔、博多は商人の町であり福岡は城を中心とした武家の町であった。JRの駅名が『福岡』でなく、『博多駅』だが、県庁所在地の中で市の名前を使用していないのは確かここだけではないだろうか?
人口約143万人、1000人/km2以上という人口密度は3大都市圏に次ぐもので、那珂川の河口に形成された文字通り『中洲』は西日本随一の歓楽街としても有名である。
私は親父の転勤で中学2年の時に福岡を離れたが、その後社会人になって昭和57年から62年まで再び福岡に住むことになった。
当然の事ながらその当時始めて『中洲』の何たるかを知る訳であるが、その5年間の中で2度ほどいつも払うばかりの『中洲』からお金を貰ったのが唯一、私の福岡時代の自慢である。
それは中州祭りの際のカラオケ大会で、3人一組のグループ同士が得意の唄を1フレーズづつ歌うカラオケ合戦が繰り広げられるが、私は性懲りも無く出場した2年間で、連続して入選(初年度は2位、次の年は3位)し、数万円の賞金を手にしたのである。
一緒に出場した後の二人が飛びぬけて上手かった(現在1人は中洲のスナックのママ、もう一人はしがないサラリ―マン)のは言うまでも無いが、その日 は、嬉しくて賞金を大盤振る舞いしながら朝まで飲み続けた挙句、大散財して女房にこっぴどく文句を言われたのも今では、良い思い出かもしれない。
しかし、その5年間で悔いが残る事が1つある。
博多の『ドンタク』に並ぶ2大祭りの『博多祇園山笠』の"追い山"を一回も見なかった事である。
重さ2トン超の『山』を、締め込みの男たちが櫛田神社から数キロの道を担いで競争するという勇壮な祭りだが、スタート時間が確か午前4時ちょっと前で、毎年「見るぞ!」と意気込んで早寝するものの、起きれた試しが一度もなかったのである。
今であれば1年365日、早寝しなくても自分で起きることができるのは、言うまでも無い・・・。

勉強会の収穫
第1部は『これからの補償料制度について』・・・パネルディスカッションの司会
第2部は『退職金・適格拠出年金のポイント 日本版401K』
第3部は高橋五月プロによる講演会。演題は『女子プロゴルファー今昔物語』
終了後は懇親会
13時30分から、懇親会終了まで約4時間、内容満載の企画で準備に結構時間を費やしたが、概ね好評だったので家に帰ってドッと疲れが出たもののほぼ満足!
但し私にとって最大の収穫は古くからの友人である五月プロの久方振りの"ワンポイントレッスン"。
「藤本さん左手グリップが緩んでいるよ!しっかり握らなきゃ!」
ちょっとしたアドバイスだった。
よーし、これで取引先との今週末の九州熊本、玉名カントリークラブでのゴルフバトルは30台か!!!?
私は中高年?
"Boys, be ambitious!"「少年よ 大志を 抱け!」
この言葉は1877年4月16日にウイリアム・S・クラーク博士が札幌農学校(現北海道大学)の教頭を辞するにあたり教え子達に送った有名な言葉である。
日本人誰もが小学校で習った北海道の開拓の歴史を代表する言葉であるが、調べてみると実際は、別れの際に馬上から贈った言葉で「君たちも頑張りなさい」程度のものだったというのが真実らしい。
しかし、そんなことはどうでもいい。
ここで言う"Boys"「少年」とは何歳位の男たちを言うのか長年気になっていたことを調べてみることにした。厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0~4歳、少年期5~14歳、青年期15~24歳、壮年期25~44歳、中年期45~64歳、高年期65歳~という区分になっているらしい。
ここにきて「少年」なんか更にどうでもよくなってきた!
私は、中年?はたまた中高年?
後期高齢者医療制度(改正して長寿医療制度とするらしいが?)なんて、国民が忌み嫌うようないい加減な言葉を作ったお役所が定めた基準なんか信ずるに値しないが、何故か自分には思い当たるふしがある。
船橋駅から東京駅に総武線快速で行くと地下5階のホームに停車する。疲れている時は僅か30分足らずの乗車時間だが、落ち着いて用事を済ませる目的もあってたまにグリーン車に乗ることがある。
そうすると幸か不幸かちょうど地下5階から地下1階に昇るエレベーターの脇に止まるのであるが、そこから葛藤が始まる。
待ってでもエレベーターに乗るべきか?それとも長いエスカレーターを自分の足で乗り継ぐべきか?数分、いや数秒考える。「私はまだまだ若くて元気だ!そこに居る若者たちと同じように長くて急勾配のエスカレーターの右側を軽やかな足取りで一気に駆け上がればいいじゃないか!」
「やめとけ、やめとけ!君はもう中高年?なんだ。これから人に会うのに疲れた顔では、交渉事も上手くいかないよ!辛抱して周りのお年寄りたちを先に乗せて最後にエレベーターに乗り込めばいいじゃないか!」
さて、どちらを選択したかは、皆さんのご想像にお任せするが、何と東京という所は、我々中高年にとって疲れるところか!
中高年の意味を調べて見たら、その定義が意外といい加減なので驚いた。
国語辞典・・・中年と高年。40~50歳をいう。
大辞林・・・中年と高年。普通、45歳~65歳程度の人をいう。
和英辞典・・・「middle age」40歳~60歳
マチマチだが、少なくとも45~50歳はどれにも該当しているので間違いはないようである。
かたや熟年を調べてみると
「人生の中で成熟した年代。1970年頃につくられた語で、始め老年の意、次いで中高年の意で用いられるようになった。」
ますます抽象的過ぎて訳がわからなくなってきたため、念のために「老年」も調べてみた。
老年・・・年をとって心身の衰えが目立つ年頃。又、その年頃の人。
うーん、これも当てはまるかも?
私は堺屋太一が1947~1949年までの第一次ベビーブーマーをさしていった『団塊の世代』という言葉は、決して嫌いではない。
その前後の方々には申し訳ないが、私がそれに当てはまるということ、妙に仲間意識が強い年代であること、そして未来永劫ぶれる事がない言葉だからだ。
そして考えるに、我々『団塊の世代』が、余生を楽しく暮らして行くためのキー・ワードは、「お金・健康・家族の安定した(バランスがとれた)関係」あたりにどうもありそうだ。
<東京駅構内エレベーター>
<東京駅構内エスカレーター>
~社名の由来~
「『ビー・トライ』という社名に何故したのですか?」「昔ラグビーをやっていたのですか?」とよく聞かれます。
"Brave Try & Catch The Drearms"『勇敢に 挑戦して 夢をつかもう』英語の使い方が正しいかどうかはともかくとして私はこの社名が大好きです。
サラリーマン生活が長く(約30年)その悲哀を知りつつも、比較的遅く起業した私にとって所謂"独立"と言う言葉の響きは快くもありリスクを考えると勇気が要るものでした。
当時、二人の息子たちが成人し肩の荷が下りた頃であり、どういう社名にしようかと考えた時、先ず"トライ"というカタカナが浮かびました。
二人の息子たちはそれぞれ中学ではテニスや野球をやっていたものの、当時流行っていたテレビ番組「スクルールウォーズ」(不良高校生軍団を一人の熱血指導者がラグビーを通じて更正させていくというストーリー)に憧れ、高校・大学を通してラグビーをやっていたからです。
彼等はラグビー漬けの毎日で結果的に脇道に反れず、小遣いも使わず、そういう意味では親孝行の息子たちでした。そして今でも彼らは(一人は現役として)「ラグビーの精神」を大事にしているように思われます。
その精神とは、『ONE FOR ALL ,ALL FOR ONE!』(個人はみんなのために、みんなは個人のために!)、私の大好きな言葉です。
そして、勝敗が決着しても終わりは必ず『NO SIDE』(健闘したお互いを称えあう)です。なんと清々しいスポーツではありませんか!
「そうだ社名はこれしかない"トライ"だ!」
しかし、喜び勇んで登記所で類似称号を調べた結果、某教育関係の「トライ」という会社があって残念!そのままでは使えませんでした。
止む無く直感的に前と後ろに言葉をくっつけたのが社名の始まりでした。
何とかそれから10年、大過なくここまで来られたことは有り難く、社員諸君を始め我が社に関わって頂いた全ての方々に感謝申し上げたいと思います。
これからもますます挑戦して参りたいと存じます。
『社員は会社のために、会社は社員のために!』
≪巴里祭とビリー・ザ・キッド≫
昨日の夜、仕事を終えて家に帰り一つ風呂を浴びて遅い夕飯を食べながらふと日経新聞を読んでいたら、ある哲学者が書いた『あすへの話題』というコラム欄に目がとまった。
我が社の創立記念日である7月14日は「巴里祭」だそうだ。
この楽しげな呼び名はある映画会社がフランス映画をヒットさせるために付けたタイトルで、実はフランスの革命記念日、つまり1789年のこの日、パリの民衆がバスティーユの牢獄を占拠して政治犯を解放し、革命の火蓋を切ったその記念日だという。
なぜか気になって早めに夕飯を済ませ、7月14日をインターネットで検索したところ国内では、森喜朗(元総理大臣・1937年)、岡田克也(民主党代議士・1953年)、久米宏(アナウンサー・1944年)、水谷豊(俳優・1952年)、海外ではグスタフ・クリムト(オーストリアの画家・1862年)、フリッツ・ゼルニケ(オランダの物理学者・1888年)、ジェラルド・R・フォード(第38代アメリカ合衆国大統領)などが生まれている。
さらにその項目の下の忌日の欄に目をやると、アメリカ西部開拓時代のカウボーイ、ガンマンでアウトローのビリー・ザ・キッド(本名:ヘンリー・マッカーティー)が1881年の7月14日に亡くなっていた。
彼は、17歳で殺人を犯して21歳の時、友人でもあった保安官パット・ギャレットに射殺される約4年間に21人(メキシカンやインデアンは含まない)を殺害したといわれているが、目はあくまでも青く、その時代のアメリカ西部の無法者としては口が達者で異様に親しみやすい態度の持ち主であったという。
映画好きの私としては、1958年アーサー・ペン監督/ポール・ニューマン主演の『左利きの拳銃』、1973年サム・ペキンパー監督/クリス・クリストファー主演の『ビリー・ザ・キッド』や1988年クリストファー・ケイン監督/エミリオ・エステベス主演の『ヤングガン』などを見た記憶があるが、なんとなく親しみを感じるのは何故なのだろうか?
彼の墓石は記念?に度々削られて持ち帰られてしまうため、現在はケイジの中に収まっているということだが、その墓石には
<真実と歴史。21人を殺害した。少年悪漢王ビリー・ザ・キッドは彼らしく死んだ>と刻まれている。
無法者、ビリー・ザ・キッドに合掌!!
ご挨拶
若者もすなるブログというものを、私もしてみんとするなり。それの年の文月の14日の子の刻に門出す。そのよしいささかものにかきつく。・・・・・・・
弊社は平成10年に創業して以来、本日をもってお陰様で10周年を迎えることが出来ました。
正に「光陰矢のごとし」とはこのこと、山あり谷ありの10年でしたが、右肩上がりの成長が出来ましたのもお取引先の皆様方の絶大なるご支援の賜物と衷心より御礼申し上げる次第でございます。
紀貫之の「土佐日記」になぞらえましたが、ホームページの立ち上げを機に見よう見まねで『ブログ』なるものを始めたいと思っております。
私の経験や見聞、周囲の出来事などをそれなりの切り口で語り綴って参りますのでビー・トライを感じて頂ければ幸甚です。
そして次回も楽しみにしてもらえるようになれば小生にとって無上の喜びであります。
"社長のすべて、教えます"(*^^)v
Q1.「社長」の出身は・・・
A1.出身地は福岡県、中学2年生の時に親父の転勤で東京に来ました。
Q2.「社長」の好きな食べ物は・・・
A2.寿司・イタリアン・中華
Q3.「社長」の好きなお酒は・・・
A3.何でも飲みますが、特にビールと赤ワインがすきです。
Q4.「社長」の好きな映画と俳優は・・・
A4.一番古くは「シェーン」かな?「カッコーの巣の上で」やイタリヤ系の俳優が出るギャングもの「ゴッドファーザー」・「ワンスアポンナタイムインアメリカ」・「コットンクラブ」・「スカーフェイス」などが好きです。
男優では、ロバート・デニーロ/アル・パチーノ/ダスティン・ホフマン/マイケル・ダグラス/トム・ハンクス/ジュード・ロウ
女優では、古くはイングリッド・バーグマン/エリザベス・テーラー/ソフィア・ローレン/オードリー・ヘップバーン最近の俳優ではデミー・ムーア/メグ・ライアン/ジュリア・ロバーツ/二コール・キットマン
少し欲張りかな?
Q5.「社長」が最近はまっている事は・・・
A5.ゴルフ/孫と遊ぶこと
Q6.「社長」が次に乗りたい車は・・・
A6.レクサス LS600hL
Q7.「社長」が好きなブランドは・・・
A7.ベルサーチ、ヒューゴボス、ゼニア、フランク・ミューラー
Q8.「社長」が今、旅行に行くとしたらどこへ・・・
A8.月並みながらアメリカ(ニュー・ヨーク)・イタリア・スペイン&スイス
Q9.「社長」が将来住んでみたい国は・・・
A9.スペイン又はギリシャ
Q10.「社長」は人間としてどんな人が好きか・・・
A10.何事にも前向きで貪欲だが嫌みがない人
Q11.「社長」が偉人と会えるとしたら誰に会いたいか・・・
A11.ジュリアス・シーザー/アレキサンダー大王/レオナルド・ダビンチ/織田信長/岩崎弥太郎
Q12.「社長」が好きな女性のタイプは・・・
A12.清楚で品格がある日本的な女性
Q13.「社長」が尊敬する人は・・・
A13.織田信長
Q14.「社長」はどんな老後を過ごしたいか・・・
A14.一年の半分は仕事をし、残り半分は外国旅行が出来るといいな!
Q15.「社長」が今一番やりたい事は・・・
A15.今以上によい会社に発展させること/ホールイン・ワン/世界1周旅行
Q16.「社長」が今までで一番嬉しかった事は・・・
A16.結婚した時/子供や孫が生まれた時/社員が喜んでくれた時
Q17.「社長」が今までに一番悲しかった事は・・・
A17.母が亡くなった時/長兄が交通事故で亡くなった時
Q18.「社長」が今一番欲しいものは・・・
A18.時計が好きなので、ビンテージものの時計かな?
Q19.「社長」が一番大切にしているものは・・・
A19.家族そして社員
Q20.「社長」が描く理想の会社とは・・・
A20.社員全員がそれぞれの役割分担を心得ていて、何も言わなくても回っていく会社



